トルーマン演説の呪縛を打ち破り原爆神話を葬る一歩 見逃されているオバマ広島演説の重要性

思い出して欲しい。アメリカ大統領の演説が、どれほど社会や政策決定に影響力を持ち続け、そして、夢物語でさえ実現させる原動力となるかを。
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思い出して欲しい。アメリカ大統領の演説が、どれほど社会や政策決定に影響力を持ち続け、そして、夢物語でさえ実現させる原動力となるかを。

リンカーンのゲティスバーク演説(人民の、人民による・・・)は今でも民主主義の規範として残る。ケネディーの「人類を月に演説」から7年後に月面着陸が実現した。

オバマ大統領の広島演説。原爆投下の謝罪がなかったことに対する失望と落胆、具体性がないとする冷笑、その逆に、もろ手を挙げての歓迎――こうした二極分離の意見がメディアの言論空間を支配しているように感じる。しかし、謝罪がないことは、訪問前から分かっていた。核廃絶の具体的道筋は米国の大統領一人の力ではどうにもならない。広島を訪問したことだけで浮かれている場合でもない。

オバマ大統領の広島演説の意義と重要性を冷静に検証する必要があるにもかかわらず、見向きもされず、見逃されているとても重要な点がある。

原爆で亡くなった人の数、そして、何を破壊し誰が犠牲になったのかについて、これまでの米国公式見解を修正する内容が広島演説で明言されたことだ。

「どこが重要なの?」と思われるのも無理はない。原爆神話と正当化を打ち破ることにつながるこれらの重要性をひもといていきたい。

修正された犠牲者数

広島原爆投下の犠牲者数は、米国において公式には71,379人(USSBS、米国戦略爆撃調査)となっている。長崎の犠牲者とあわせた84,673人が、誤って広島の犠牲者として使われることも多い。広島市の公式見解では、原爆投下の1945年末までに14万人が亡くなったとしているにもかかわらずである。

米国や世界中の新聞記事やニュースばかりか、歴史・政治学者の学術論文でも、7万人(もしくは近い数字)が大手を振っている。

その結果どうなるか。「広島の原爆犠牲者は東京空襲犠牲者の10万人より少なく、破壊規模も小さい」「レニングラード包囲戦の比ではない」。このように原爆被害の矮小化に使われることが多い。

私の研究分野は、原爆投下が米国など世界のメディアによってどのように報道され、人々の認識形成に影響しているか、また、原爆投下の決定要因や情報操作の分析だ。

米国を中心とした記事や学術論文の中で「広島への原爆投下によって7万人」「8万人」というくだりを目にするたびに、「またか」とため息が出る。そして、「人類が初めて経験する武器であったが、被害規模や犠牲者の数からすると...」と続くと、研究者としての立場を忘れて、悲しくそして怒りがこみ上げてくる。

オバマ大統領は広島演説で「10万人を超える死者」と明言した。おそらく、ホワイトハウスなど米政府内では、犠牲者数をどうするかについて議論され、実数である14万人と相容れないわけではない「10万人以上」に落ち着いたのだろう。

犠牲者の数をもてあそぶことは、死者に対する冒涜であり、気分の悪いことではある。しかし、たぶんに情報操作的な公式死者数のために、原爆被害の実相が過小評価や矮小化されてきたことは事実だ。「10万人以上」は政治的判断ではあるにせよ、これが米国の公式な見解となった。

「7万人の犠牲者」という間違いは、広島演説によって正された。

「女性や子供の犠牲者」

そして、数字よりもはるかに重要なことがある。原爆が何を破壊し誰の命を奪ったかである。

広島原爆が正当化される根源のひとつになっているのは、投下を承認したトルーマン大統領の米国民に向けた演説だ(1945年8月9日)。

「史上初の原子爆弾が軍事基地である広島に落とされた。その(軍都に投下)理由は、市民を殺すことを避けるため、可能な限り、である」。

その後も政府の情報操作によって、「原爆は軍と軍需工場を破壊し、日本を降伏させた。その結果、百万人の米兵だけではなく、それ以上の日本国民の命も救った」という神話(いや、欺瞞)が続くことになる。

いくらでもある情報操作の一例を挙げると、秘密裏に軍との「取り引き」をしたニューヨークタイムズの記者の存在がある。機密であったマンハッタン計画(原爆製造)の情報を独占的に提供され、そして、原爆を投下したB29(広島に原爆を落としたエノラ・ゲイには搭乗できなかったものの、長崎に原爆を落としたボックスカーに搭乗し、アメリカの科学技術を賞賛する記事を書いた)の搭乗が約束された。引き換えに、原爆を正当化し賛美する記事を書き続けた。

しかし、オバマさんはアメリカ大統領としては初めて、そして、米政府としてもおそらく初めて、原爆は市民の生活を破壊し、米国人の良心を揺さぶる「女性や子供」が犠牲者になったと話した。「軍事基地」という言及はない。

この意味は大きい。原爆神話の原点となるトルーマン演説を否定、修正するものだからだ。

大統領演説や声明は公式なものとして、修正されない限り未来永劫生き続け、影響力を持ち続ける。

ある例を紹介したい。1991年12月8日(日本時間)、ハワイ真珠湾でのブッシュ(父)大統領の「もう恨みはない」とした「融和演説」だ。日本を完全にたたきのめそうと訴えたルーズベルト大統領の「屈辱演説」を修正するものだ。

「ブッシュ大統領の演説があったからこそ、真珠湾は憎悪から融和へと大転換が実現した」と国立公園局歴史研究員ダニエル・マルティネスさんは断言する。

演説から数年後、訪問者が見ることになる日本に対する憎悪むき出しだった映画は戦争の死者を追悼するものになった。そして、演説から20年を経て、現地の資料館の展示内容は日米開戦に向かう歴史的史実が中心となった。

「ホノルル市民の犠牲者のほとんどは、(日本軍によるものではなく)米軍による誤爆」と資料館で流れている。ヴォランティアでガイドをする中国系アメリカ人は「日本は軍の施設以外は一切攻撃しなかった。完全な軍事行動であり、賞賛に値する」と訪問客に伝える。

佐々木禎子さんの折鶴が2013年に真珠湾に展示されたことも、融和を象徴している。すべては、大統領の「融和演説」から始まった。

時間はかかるだろう。しかし、オバマ大統領の演説は、「原爆神話と正当化」を葬り去ることの「公式な根拠」、そして、大きな一歩なると私は信じている。

(注)この記事は、中国新聞2016年6月1日付国際面の「原爆正当化葬る根拠に オバマ演説をひもとく」を加筆修正した。