新型出生前診断で問われる"命の選別" 「13トリソミーの子」と家族に寄り添う医師、松永正訓さんに聞く

お腹の中の赤ちゃんに先天性の病気がないかを母親の血液で調べる「新型出生前診断」が始まって1年。「命の選別」につながるとして議論を呼んでいる。生まれてくる命とどう向き合えばよいのか。13トリソミーの子と家族に寄り添ってきた医師、松永正訓さんに聞いた。
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Getty Images

ある日、千葉市で小児科・小児外科のクリニックを営む医師、松永正訓さんのところへ1本の電話がかかってきた。千葉市立海浜病院の新生児科部長からだった。「13トリソミーの赤ちゃんが退院して在宅医療になるので、主治医になってほしい」

依頼を聞いた松永さんは、驚いた。「13トリソミー」は半数以上の赤ちゃんが生後1カ月までに亡くなるという先天性の病気だ。短命の定めにある上、在宅介護となれば周囲の苦労は想像を絶する。しかし、松永さんは躊躇したものの、その依頼を引き受ける。2011年10月、「13トリソミー」の赤ちゃん、生後半年を超えていた「朝陽くん」と松永さんとの付き合いがスタートした。

お腹の中の赤ちゃんに先天性の病気がないか、妊娠した女性の血液で調べる「新型出生前診断」が2013年4月から始まって1年。「13トリソミー」を始め、「ダウン症」(21トリソミー)や「18トリソミー」など3つの先天性の病気の可能性を知ることができ、手軽で流産の危険もない検査として広まる一方、「命の選別」につながるとして議論を呼んでいる。

松永さんは主治医として朝陽くんを支えながら、その家族や障害児を持った他の家族たちを丁寧に取材。昨年末に2年間の記録を『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(2013年小学館ノンフィクション大賞)として上梓した。私たちは生まれてくる命とどう向き合えばよいのか。子どもの生死を見つめてきた松永さんを訪ねた。

■致死的染色体異常の赤ちゃんへの医療行為は過剰医療?

松永さんは千葉大学病院で小児外科医として医療の最前線に立ってきた。ただひたすら命を救うため、19年の間1800人もの子どもたちの体にメスを入れきたが、一度だけ、子どもの命を見放したことがあったという。「18トリソミー」の赤ちゃんだった。

今でこそ、全国の病院に新生児集中治療室(NICU)が設置されて増床しているために風向きは変わりつつあるが、当時、致死的染色体異常を持った赤ちゃんへの医療行為は優先順位が低く、「いたずらに命を引き延ばすだけの過剰な医療」と考えられていた。「13トリソミー」と「18トリソミー」の赤ちゃんはダウン症と比べて障害が重く、1歳を超えて生きられるのは1割に過ぎないからだ。

そうした短命の「障害新生児の生命倫理」とは、どうあるべきか。同時に、障害を持った子どもを受け入れるとはどういうことなのか。松永さんは医師になって四半世紀を経てもなお、解答を得られていなかった。致死的染色体異常を持つ赤ちゃんを受け入れるということは、その子の死を受け入れることにも等しい。

「自分の心の中にはずっと、そういう子どもたちにどう接していいかわからないという気持ちがありました。ですから、朝陽くんの主治医になってほしいと言われた時、僕はお母さんの胸のうちを思いを聞いてみたかった。朝陽くんを自宅で育てながら、何を思っているのか……」

トリソミーの赤ちゃんの命を二度も見放してはいけない。いや、もう一度そんなことをしたら自分は医者ではなくなってしまうとさえ思った。

『運命の子 トリソミー』より

そんな医師としての思いもあった。朝陽くんの主治医を引き受けた松永さんは、初めて朝陽くんの家庭を訪れた時、意表を突かれた。

朝陽くんの臓器の多くは奇形だ。無呼吸発作を起こす危険もある。痰が詰まったり、脳が十分に発達していないために「呼吸せよ」という信号が伝わらない場合があるのだ。そのため、ぬいぐるみが置かれた朝陽くんのベビーベッドの周囲には、酸素や心拍数がわかるモニターや痰の吸引器、小型冷蔵庫ほどの大きさの酸素供給装置が備えられていた。痰の吸引は、母親の桂子さんが1時間に1度の頻度で行う。昼夜なく、朝陽くんに徹夜のケアをしていた。

しかし、松永さんが驚いたのは、そんな在宅介護の過酷さではなく、それを受け入れている家族の日常だった。

■生まれてきた赤ちゃんに泣いた長男

「お父さんもお母さんも、朝陽くんに対する受容が進んでいました。お父さんの展利(のぶとし)さんはギターを弾くのですが、朝陽くんを抱っこする時はギターを抱えるみたいに自分の体と一体化していた。もうあらためて話を聞くことはないんじゃないのかなと思うぐらい。ただ、お母さんの桂子さんも愛情は深かったのですが、どこか躊躇している部分がありました。会話を重ねて、桂子さん自身がその答えを得られるまで家庭訪問をしようかなと思いました」

松永さんは、展利さんと桂子さんたち夫婦、朝陽くんの兄にあたる長男、そして祖父母にまで、朝陽くんが生まれてからのことを丁寧に聞いていった。『運命の子 トリソミー』では、誕生直後から生死の境をさまよい、多くの障害を持った朝陽くんを自宅に引き取るまでが丹念に描かれる。朝陽くんの誕生を楽しみにしていた長男は、展利さんからこう聞かされた。

赤ちゃんは、口の形が変わっていて、黒目のところがグレーなんだ。髪の毛がちりちりで可愛いんだよ、左手の指は六本もあってすごいんだよ。男の子か女の子か、まだわからないんだ。でも、男の子かな。手術すれば、治るところもあるんだけど、手術しても治らないところもあるんだよ。

『運命の子 トリソミー』より

長男はうつむき、やがて涙を流し始めたという。悩み、不安、パニック。松永さんが目にしたのは、さまざまな感情を乗り越えた先にたどり着いた朝陽くんと家族の日常だった。松永さんは桂子さんに、朝陽くんを自宅へ連れて帰ってよかったですか、と尋ねている。桂子さんはこう答えた。

それはもう当然です。家に帰って願いが叶った訳ですから。用意していた服も着せてあげられたし、家族もそろったし。もし、一度も家に帰れなくて、あのままNICUで命を落としていたら、私は立ち直れなかったと思います。

『運命の子 トリソミー』より

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『運命の子 トリソミー』の著者、医師の松永正訓さん

■障害児を生んで育てるという「不条理」を乗り越える

松永さんは朝陽くんの家族に寄り添いながら、難病や障害を抱えた子どもを育てている他のさまざまな家族も訪ねて話を聞いている。朝陽くんと家族が生きていく上でのヒントになるかもしれないという思いもあったが、松永さんはこう話す。

「大風呂敷を広げるようなのですが、障害児を抱えるということは、障害児が生まれた家庭だけの問題ではありません。そういう子どもが生まれたら、ご家族にとってはすごく不条理に感じる。実際、介護はすごく大変ですから、障害児を育てる母親の苦労は、普通の母親とは桁違いです。不条理の苦しみ以外の何者でもない」

「でも、よく考えてみると、人って人生の中で、そういうわけのわからない不条理な苦しみに遭うことがある。対人関係でもそうだし、仕事のことでも、家庭内のことでも、どうしてこんなに不条理を抱えるのか。そういう時、新しい価値観を構築することでしか、克服することができない。障害児の家庭だけに限らず、人は生きていく上で苦しいことを受け入れて乗り越え、いま自分が置かれている状況に承認を与えてその世界で生きていく。人生って、そういうもんじゃないかなと僕は思っています」

障害を持った子どもたちの家族には、それぞれの人生にとっての幸せが確かに存在した。そんな確信を得ながら松永さんが取材を続けていたところ、にわかに報道され、話題になってきたのが、「新型出生前診断」だった。

■「新型出生前診断」にひそむ「命の選別」という問題

「新型出生前診断というのは、これから赤ちゃんを産む人たちにとって非常にインパクトが大きい検査、スクリーニングです。途中からこの問題を避けて通れなくなりました」と松永さん。

「出生前診断には、光と影の部分があります。一概に悪いとはいえません。出生前診断によって、赤ちゃんが持っている病気が生まれる前にわかることがある。病気がわかれば、妊婦さんに大学病院へ入院してもらい、産科と小児外科の医師があらかじめスタンバイします。帝王切開で生まれた赤ちゃんをそのまま隣のオペ室で手術をすることができるのです」

しかし、一方で松永さんは「僕は、出生前診断で陽性判断が出た場合の選択的人工妊娠中絶について、否定的な考えを持っています」とも語る。現在、簡単に検査できるとして普及している新型出生前診断に疑問を抱く。「命の選別」につながりかねないからだ。

「新型出生前診断という言葉はかっこよく聞こえますが、言い換えれば『ダウン症中絶検査法』じゃないですか。ダウン症だったら中絶したいといって検査を受ける。それは、あまりにもつらいことです。その検査を受けて、あなたの子どもは90%以上の確率でダウン症ですといわれ、さらに羊水検査を受けて確定したら、ほぼ全員が中絶に進みます」

「しかし、人工妊娠中絶がどれだけ母親にとって苦痛をともなうものか、一般の人は知らなさすぎると思います。中絶は確実に母親の心と肉体を苦しめるものです。ダウン症の子どもを生まなという生き方も苦痛でしょう。自分の子どもを中絶して幸せになれるとは思えません」

松永さんは桂子さんに、出生前診断をどうとらえているのか、率直な疑問をぶつけたことがある。桂子さん自身も、朝陽くんが生まれてからなぜ検査を受けなかったのかと何度も聞かれたという。「受けない」というのが桂子さんの返事だった。知ったところで、朝陽くんの命を絶つ選択肢はないからだ。

■人間は孤立して生きていけないし、無知は偏見を呼ぶ

朝陽くんや家族、他の障害児に関わっている人たちと話すことで、松永さんは気づいたことがある。「展利さんは、朝陽くんのここを触ればこういう反応が返ってくるとか、そういう自分の経験に基づいた知識を得ていました。それは、ネットや本の情報からでは得られないものです。最近、気づいたのですが、医者には医学知識しかないし、看護師には看護知識しかない。でも、親は親のプロなんです。障害児は障害児のプロ。プロの集団だから初めてチーム医療ができるわけです」

障害児や障害児の家族は孤立しがちだ。「でも、人間は孤立しては生きていけないし、孤立することも不可能です。人はひとりで生きられない。共生することが大事です。そういう生き方は障害をもった家族ほど、大事ですよね。たとえ、身近にそういう人たちがいなかったとしても、知ってほしいと思います。怖いのは無知です、無知が偏見を呼ぶし、偏見は人を殺すことになりかねないですから」

2013年2月21日は、朝陽くんの2歳の誕生日だった。誕生から死と隣り合わせで生きてきた朝陽くんとその家族にとっては、奇跡のような日に違いない。松永さんは朝陽くんが2歳8カ月を迎えた時点で、『運命の子 トリソミー』の筆を置いている。その後の朝陽くんがどうなったのか、松永さんは伝えたくないという。

「僕は朝陽くんがこの1カ月後に亡くなったというようなことは言いたくない。2歳8カ月の時点で、朝陽くんは生きています。最初、僕は本の最後に朝陽くんが亡くなる場面を書くのかと思っていました。でも、そうはならなかった。だから、あくまで朝陽くんが生きた記録として、この本を世に送り出しました」

人生って案外難しいですよね。生きていくってそんなに簡単なことじゃない。だから普通に家族が揃って笑っていられることが、一番の幸せなんだと思います。

『運命の子 トリソミー』より

2歳の誕生日を迎えた朝陽くんを抱いた、桂子さんの言葉だ。どんな命も生きることは難しい。しかし、だからといって、幸せになれないわけではないのだ。「命の選別」を超えたところに、その答えはあるのかもしれない。

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