先日、Googleが自動翻訳機として使えるイヤホンの販売を発表しました( '言語40種、一瞬翻訳イヤホン登場!グーグルから')。
Googleの機械翻訳がブラウザChromeに実装されたり、日常生活に(Appleの)Siriやら(Amazonの)Alexaが入って御用聞きをしてくれるようなってから数年、こういう方向に世界は進むんだろうな、と思ってはいましたが、想定していたより製品化が速くてビックリ。 来るとわかっていた未来が近づくスピードが速くなっている気がします、自分が年を取っただけかもしませんが・・・
ここ数年の間ずっと悩んできた、でも答えのない問いがまた大きく膨らみ始めました。
それは「我が子にどこまで日本語をやらせるべきか」という問い。
このブログの中でシリーズ化するつもりだったのに、シリーズ化できなかったトピックに「バイリンガルの頭の中」シリーズというのがあります。 長男が2歳8ヵ月の時に書いたこの記事が最初で最後です。
その理由は家庭では二言語(母と日本語、父と英語)、家庭外では一言語(英語)という我が家の子どもたちの環境では完全なバイリンガルは無理だと早々に悟ったからです。
英語と言語的に近いヨーロッパ言語ならいざ知らず、日本語と英語のバイリンガル(会話及び読み書きともに母語並みに操れるレベル)は『日英バイリンガルへの道』で書いたように、私は家庭で日本語(両親ともに日本人で家庭内言語は日本語)、家庭外で英語(初等教育後半から中等教育を英語の現地学校で受けた)と完全に分かれていたケースしか知りません。
そのケースでも日本語のレベルを保ち伸ばすために土曜に日本語補習校に通うなど親子とも並々ならぬ努力をされています。
我が家の子どもたちのように英語のボリュームが圧倒的に多い環境において漢字の使いこなし(新聞が読め、仕事で使える文章が書けるレベル)まで求めるのは、親の努力だけではほぼ無理でしょうし、子どもにとっても親にとっても、それが望ましい時間とエネルギーの使い方なのかは疑問です。
そこで『日英バイリンガルへの道』に書いたように、日本語学習において、「なぜ(WHY)」と「どのレベルまで(WHAT)」が重要になってくるのです。
その前に我が家の現状を記しておきます。 子どもたちは現在7歳(日本の学齢では小学2年生)、5歳(同、幼稚園年中)、3歳です。
海外で育つ日本人の親を持つ子どもたちの多くは日本語を学べる環境に通っていることと思います。
我が家は長男が小さい頃は次男と長女も赤ちゃんだったので、土曜の朝に日本語教室の送迎に時間を費やせる精神的・体力的余裕がなかったのですが、長男が(日本の学齢で)小学校1年生になる直前に「小学校入学の時期を逃すと彼は学ぶチャンスを失う」と思い、年長の3学期に日本語教室の幼稚園部に入れてみました。 それまで私が日本語で話しかけても返ってくるのはほぼ英語だったのですが、日本語のボキャブラリーは溜まっていたのでしょう。 わずか3ヵ月の間に彼の日本語は目覚ましい発展を遂げました。
本人が行きたいと言うので、そのまま小学部に進み、今は毎週土曜の午前中に日本の国語の教科書をベースにして授業を行う少人数制の教室に通っています。日常会話の大部分は日本語でこなせます。
年中にあたる次男は「ボクも行きたい」と言うので同じ教室の幼稚園部に通っています。 3歳の長女はお留守番です。
補習校ではなく、そこに通う子どもたちはほぼ全員が日本人とどこかの国のハーフです。季節の行事もふんだんにあり、先週は秋祭りで御神輿を担ぎ、ヨーヨー釣りや投げ輪など屋台を楽しみました。
英語の環境の中で、子どもたちに少しでも多く日本の文化・言語・慣習に触れさせてあげよう、という先生方の努力には頭が下がります。
ただ、親・子どもともに費やす時間と費用・精神力、及び支払う機会コスト(Opportunity Cost)は並ではありません。
【時間】
毎週土曜の朝、送迎時間込みで5時間半、宿題の時間が週2時間(イヤイヤ言ってはかどらない時間含む)、合計7時間半 x 年間40週 = 年300時間。 その他、長期休暇中の日本語キャンプが、送迎込みで1日9時間 x 年間15日 = 年135時間で、合計435時間。
家で見ている日本語のテレビ番組、DVDや日本への一時帰国などはレクリエーションとみなしカウントしません。
年間435時間を小学校の間の6年間として、合計2610時間。
親の費やす時間は、お弁当をつくる時間、送迎、宿題をみる時間で年間220時間ほど。
この時間は子どもひとりあたりなので、子ども3人になると宿題をみる時間は増え、延べ10年間以上のコミットが必要となります(長男と長女が日本の学齢で5学年違うため)。
お弁当をつくる時間と送迎にかかる時間は増えず、宿題をみる時間だけ3倍になると仮定しても延べ11年間で合計3380時間。
【費用】
ひとりあたり日本語の学校と日本語キャンプだけで年間1,400ポンド(約21万円)、3人で4,200ポンド(約63万円)。 費やす期間を6年間ずつと仮定すると25,200ポンド(約370万円)。 日本から取り寄せる日本語の絵本や教材、DVDなどの費用もバカになりません。
子どもが日本語に触れる機会を増やすための日本への一時帰国費用などは含まれていません。
【機会コスト】
一番大きいのは上記のように実際にかかる時間や費用ではなく、機会コスト(Opportunity Cost)かもしれません。 機会コストとは日本語学習をすることにより失う他のことをする機会のコストのことです。
普段はロンドンの公立現地校に通っている我が家の子どもたちが日本語の教室に通っているのは土曜の午前中です。
この土曜の午前中というのは、忙しい生活を送る現代っ子にとって予定の激戦区であり、友達の誕生パーティー、サッカーの練習・試合、週末旅行・キャンプなど、無数のお誘いを断っています。
親もたまには休みたい休日の朝を早起きしてお弁当をつくるのです。
我が家と同じような状況にあるほとんどの家庭で、学年が高くなるごとに増える宿題、高度になる内容が負担になります。
小学校が始まる学齢が早いイギリスでは(4歳になった次の9月から)、中学校も早く(11歳になった次の9月から)、よって9歳から10歳の時に中学入試の受験勉強期がやってきます。
多くの子どもは日本語の学習と受験勉強との両立が不可能で日本語学習からドロップアウトします。親も「どのレベルまで(WHAT)」の問いに対し、厳しい現実に合わせて「できるところまでやった」と受け入れるのです。
ここで、恐ろしい事実が2つあります。
ひとつめは、スポンジ並みに吸収が早い子どもの脳は忘れるのも恐ろしく速いということ。
日本語学習からドロップアウトした後も親との会話が日本語であれば会話力はそれなりに維持できますが、問題は数百・数千時間を費やした漢字!!!
日常生活で使わない漢字は子どもは覚えたそばからどんどん忘れていきますが、9歳や10歳という年齢で日本語学習をやめると大人になった時に残っているのは何パーセントでしょうか? 想像するのも恐ろしいです。
ふたつめは、「日本語は聞けばわかる、会話も敬語以外はそこそこできるが、読み書きは低レベル」というレベルを受け入れ、日本に一時帰国した時に自由に旅行ができ、日本のアニメを吹き替えなしで楽しめ、おじいちゃん・おばあちゃんや日本人の友達と会話ができるレベルが維持できたとします。
それはまさに、冒頭の「自動翻訳機」が代替するレベルであるということ。
自動翻訳機がカズオイシグロの小説を微妙なニュアンスも含めて美しく多言語翻訳したり、自動翻訳機だけを介して同言語を話さない人間と生涯に渡る大親友となることはないかもしれません。
でも機械ができるのは、音声認識し(=聞けば大体わかる)、100%ではないが90%くらいの精度で意図を伝える(=会話はそこそこできる)こと。
第二言語として日本語を学ぶ子が2600時間以上、親である私が3400時間、長年にわたり多大な時間・費用・精神力と機会コストをかけて得る成果と同じかそれ以上のことがわずか数百ドルで一瞬で得られるのです(今後、すべての携帯電話には標準でついてくるかもしれません)。
人間が言語を習得するのは多大な労力と時間が必要で、同じ言語を学ぶのであればプログラミング言語でも学んだ方が将来のためになるのではないかという疑問がもたげてきます。
子どもがプログラミング言語を学ぶのに親の費やす時間は上記の100分の1以下でしょう。
ノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロ氏がインタビュー(こちら、2006年『文學界』)で
日本語の読み書きをやるとなると大変な苦労なので、日本語の学習を強要しなかった両親に感謝している
と述べている部分は特に興味深い、というより軽くショックです。
私は個人的に、インド系や中国系のイギリス人・オーストラリア人で「親が強制しなかったので、ヒンズー語(もしくはベンガル語、北京語、広東語)が話せない、強制してくれたらよかったのに」と言う人を何人も知っているのですが、逆のパターンもありなのだなー、と。
もちろん言うまでもなく、上記のロジックは日本語の習得を非常に狭義の「意図を伝える」という目的だけに絞ったものです。
言語の習得は文化理解に必須であり、私の子どもたちにはルーツが日本にある以上、「意図を伝える」以上の目的があるのですが、こんな時代になったからこそ日本語学習における「なぜ(WHY)」がさらに重要になってきたと感じます。
次回は言語が持つ「意図を伝える以上の意味」について書きます。