教えて、三橋順子さん。 トランスジェンダーへの誤解を解く3つのキーワード〈決定版〉

キーワードは「脱病理化」「手術要件」「TERF」の3つだ。

2018年、お茶の水女子大学がトランスジェンダー女性(男性から女性へのトランスジェンダー)の入学を許可したのをきっかけに、トランスジェンダーをめぐる議論が活発になってきている。 

TwitterなどのSNSでは、当事者はもちろん、非当事者も交えて「トランスジェンダー学生のトイレや更衣室はどうするんだ?」「トランスが病気じゃなくなるのは困る!」などと加熱ぎみの言葉が飛び交う。

しかし、この話題は、トランスジェンダーのみならずセクシュアルマイノリティの社会的な運動の歩みや背景を知らない人にとっては、わかりにくい部分があるのではないだろうか。また耳慣れない専門用語も理解の妨げになっている。

そこで、ゲイの筆者もあらためて理解しようと、ジェンダー・セクシュアリティ史の研究者であり自身がトランスジェンダーである三橋順子さんに、トランスジェンダーをめぐる課題について解説していただいた。

キーワードとなるのは「脱病理化」「手術要件」「TERF」の3つ。ポイントを押さえて、議論の流れを正しく理解していこう。

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三橋順子さん
Jun Tsuboike/HuffPost Japan

  

1、脱病理化——世界的な流れと日本における反対論

トランスジェンダーをめぐる話題で、よく耳にする言葉の一つに「脱病理化」がある。

簡単に言えば「病気という扱いではなくなること」

現在、一般的に病気を診断する時の基準となっているのが世界保健機構(WHO)が策定する「国際疾病分類(ICD)」だ。また精神疾患についてはアメリカ精神医学会による「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」がある。

これら2つにある疾病の分類から、性別の移行に関する病名を外そうという流れが「脱病理化」だ。

「この流れの大元は、30年近く前にあります」と三橋さんは言う。

「国際疾病分類が第9版(ICD-9)から10版(ICD-10)に改定されたのは1990年のことですが、その際に、同性愛が疾病リストから外されました。同性愛の脱病理化です」 

「この時から、欧米のLGBT活動家の間では『次はトランスジェンダーだ』という話が出ていたようです。つまり、脱病理化の動きは、昨日今日の話ではなく30年近い長い当事者運動の歴史があるのです」

 誰かが精神疾患とされた場合、さまざまな権利が制限されてしまう可能性がある。だからこそ、LGBTの権利回復のための運動では、脱病理化を目指してきた。

 “自分の〈性〉のあり方について病気と言われたくない”という気持ちは多くの非当事者も共感出来るのではないだろうか。

一方、日本では性別移行の脱病理化に反対する当事者もいる。

脱病理化を反対する理由を考えるときに、多くの当事者は性別適合手術(SRS)に対する保険適用のことを思い浮かべるかもしれない。脱病理化すると保険が適用されないのか?

 

トランスジェンダーは疾病と妊娠・出産の中間に位置付け

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2018年4月10日、明治大学文学部の「ジェンダー論」の講義にて
三橋順子さん提供

三橋さんは、「今回の改定(ICD-11)では完全な脱病理化ではありません。精神疾患から外す〈脱精神病理化〉です」と語る。

「WHOのICD-11では17章に〈Conditions Related to Sexual Health〉(性の健康に関連する状態)という新たな章を設けて、ここで性別の違和感について〈Gender Incongruence〉(直訳すると性別不一致。日本語の翻訳案は性別不合)が記述されています」

「1章から16章まではすべて〈Disorder〉(疾患)です。そして18章は妊娠・出産です。妊娠・出産は疾病ではありませんが、医学的な対応が必要な場合があります。つまり、Gender Incongruence(性別不一致)は、疾病と疾病ではないものとの中間に位置づけられたわけです」

つまりWHOは、疾病や妊娠出産とは別に、性の健康について新たな章を作ったのだ。いきなり疾病分類のリストから完全に削除すると影響が大きいので、リストには残すが「疾病ではない」という位置付けにしたわけだ。

「厚労省の翻訳案では〈Conditions Related to Sexual Health〉は、性の健康に関する病態になっています。〈状態〉ではなくあえて〈病態〉にしているのは、〈病〉の字を入れないと保険適用がしにくいということなのでしょう。ですから、性別適合手術への保険適用は、おそらく継続されると思います」

となると、脱精神疾患化に反対する当事者がいるのはなぜなのか。

 

性同一性障害という言葉が普及しているのは日本だけ

三橋さんは、性同一性障害(Gender Identity Disorder=GID)という言葉に注目する。

 「じつは日本ほど、性同一性障害という言葉が広く普及している国は世界にありません。そうした状況の中で、これまで“障害なのだから”と説明して周囲の理解を得てきた人は、障害でなくなるのは困るのでしょう」

たしかに多くの日本人は、トランスジェンダーよりも性同一性障害という言葉に馴染みがあるのではないだろうか。

ここであらためて解説しておくと、性同一性障害とはあくまでも医学的な診断名であり、医師によって診断されるものである。

これに対し、トランスジェンダーは性(ジェンダー)を横断する(トランス)という字義通り、生まれた時に割り当てられた性別とは別の性別を生きる人という意味。誰かに診断や認定されるまでもなく、本人が自称するアイデンティティだ。

もともと、トランスジェンダーという言葉は、自分たちが精神疾患であると定義されることに反対する意志を込めて当事者たちが使い始めたものだ。日本以外では、性同一性障害よりはるかに広く使われている。

しかし、皮肉ではあるが性同一性障害という名称が普及しているのは、日本において当事者たちが活発に運動してきた歴史があるからだ。

2003年、戸籍の性別変更や法令上の取り扱いの変更を可能にするための「性同一性障害特例法」が成立する。この法律の制定をめぐるメディアの報道を通じて、性同一性障害という診断名が広く世の中に広まった。

三橋さん自身も1990年代末までは、「今は性同一性障害という概念を社会に理解してもらうことが必要だ」と考えそのために動いていたという。

その時点では、それは必要だった。だが、今は違う。

トランスジェンダーを含むセクシュアルマイノリティの権利回復の歴史は、まず「病理化」を経て「脱病理化」へと進んでいる。こんな歴史的背景があるのだ。

 

病理化から脱病理化へ、権利回復の大きな潮流

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stock-eye via Getty Images

「欧米ではもともと〈キリスト教的な正常な性〉以外の多様な性のあり様はすべて神の教えに背く宗教犯罪であり、背教者は死刑など厳しく罰せられていました。それが19世紀後半からそういう人々は“犯罪者ではなく病者だ”という主張がされはじめます」

 「つまり病理化です。病気(精神病)なのだから、死刑にしないで精神病院に閉じ込めておくというのは当時としては〈人道的〉な方向だったわけです。しかし、20世紀中頃になると、自らの性のあり様を精神病とされることに主に同性愛者たちが反発し、脱病理化の運動を進めていきました」

そして、三橋さんはこう続ける。

「こうした大きな流れの中に、性別移行の脱病理化はあります。もう10数年前から、世界的には脱病理化の流れは決定的だったのに、日本だけが逆方向の病理化の推進に走ったわけで、取り残されるのは当然です」

「すでにWHOは、性別移行の脱精神疾患化、性同一性障害という病名の完全消滅を含む改定案を決定していますので、日本の一部で反対論があるとしても今からくつがえることはありません」

 

2、手術要件——人権状況がガラパゴス化する日本

世界的な流れから日本が取り残されている状況は、性別変更の際の「手術要件」の撤廃という問題についても見られる。 

「2014年5月にWHOをはじめとする国連諸機関が、〈強制または不本意な断種手術の廃絶を求める共同声明〉を出しました。性別変更の際に法律で手術を要件化するのはトランスジェンダーへの人権侵害だという内容です。これに対して、日本政府と性同一性障害(GID)学会はほとんど反応しませんでした」

欧米では、こういった日本の姿勢はかなり問題視されているが、日本人はそのことに気づいていないと、三橋さんは日本の人権状況の後進性を指摘する。

「2003年に日本が性同一性障害特例法を作ったとき、それに先んじて性別移行の法制化をしていた国は7カ国ありました。それらの国は、国連の共同声明に応じて次々と手術要件を撤廃していきました。また2004年に法制化をしたイギリスなど、はじめから手術を必須としない国も多くなっています」

「欧米のメディアからは、すでに“手術要件のある古いタイプの法律を頑なに守っているのはトルコと日本だけだ”と名指しで批判されています。今後、国連や欧米メディアの視線はさらに厳しくなっていくと思います」

2019年、ようやくGID学会は手術要件を撤廃する方向に動き出した。

「日本政府は、相変わらず国連の動きを無視しています。GID学会はこれまで現状維持という姿勢でしたが、さすがに無視しきれなくなり2019年の総会でようやくWHOなど国連諸機関の声明を支持し手術要件を撤廃する方向に舵を切りました」

「これも世界的な潮流(身体の自己決定の尊重)にそった動きなので、日本だけが『関係ない』というわけにはいかないのです」

 

3.TERF——トランスジェンダーに排他的なフェミニスト

2018年の7月、お茶の水女子大学がトランスジェンダーの学生を受け入れると発表し、多くのメディアがこれを好意的に報じた。 

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お茶の水女子大学がトランスジェンダーの女性を受け入れる理由に、室伏学長は「『多様な女性』があらゆる分野に参画できる社会の実現」と述べた。
時事通信

ところがTwitter上では「女子大に男子を入れるな」、「トイレや更衣室はどうするのか」などという無理解と偏見に満ちた反対論がうずまいた。

こうした状況の中で浮かび上がってきたのが、「TERF」(ターフ、Trans-Exclusionary Radical Feminist=トランスジェンダーに排除的な原理主義的フェミニスト)の存在だ。

「大学側は男子を入れるなどとは一言も言っていません。あくまでも女子として受け入れるといっているのです。女子として受け入れる以上、トイレはどうする、更衣室はどうするという話は論理的におかしいです」

現実には、「在校生が性暴力の被害に会いかねない」と言い出す人まで現れた。

 「トランスジェンダーが入学したからレイプが多発するなど全くの妄想というほかありません」と、三橋さんは強調する。 

「そもそも女子大の教員は男性の方が多いくらいです。事務職員や守衛さんにも男性はいますし、男子学生が研究会などで学内に入ることはあります。他大学との単位互換制度がありますから男子学生が授業を受けることも可能です。〈閉ざされた女の園〉のようなイメージはまったくの誤りです」

 

克服されたはずのTERFの問題

「トランスジェンダーに対して排除的なフェミニストは昔からいました」と三橋さんは言う。 

とくに80年代のアメリカなどではかなりそういう傾向が強かったそうだ。しかし今のフェミニストは、基本的に“女性差別をはじめとする全ての差別に反対”という姿勢の人が多くなってきている。

「それは(欧米の)フェミニズムの運動の中で、トランスジェンダーに対する差別や、非白人女性に対して無関心であったという反省から、より幅広い女性たちを包摂していこうとしたからなのです」

「私は世代的にそうしたフェミニズムの変化を見てきていますから、フェミニズムを標榜する人たちが、今になって、トランスジェンダーを排除するような発言をしたことにとても驚きました」

 

次々と現れた新たな火種

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Jun Tsuboike/HuffPost Japan

お茶の水女子大に端を発する騒動から数カ月経ち、議論は沈静化する様相を見せ始める。ところが、昨年末になって新たな火種が持ち上がった。

アメリカ在住のトランスジェンダーの急進的な理論家が、トランス女性も女子トイレに入る権利があるというニュアンスの見解を表明。

これがTwitter上で拡散され、また別のトランスジェンダーの過去の発言などが切り取られ、トランス女性が女性の占有領域である女子トイレや女湯に入ろうとしている、という話が作り上げられたのだ。

 「あくまで個人の見解であり、理論的にそういう権利があるという話にすぎません。公の場で、女子トイレや女湯に入ることを今すぐ認めて欲しいと要求しているトランスジェンダーはいないのです」 

「そういう状況の中で、元参議院議員の松浦大悟氏がネットテレビで手術要件撤廃の話に絡めて、“男性器がついた人が女性更衣室に入って来たとしても、拒絶できなくなる”など、ミスリードとしか言いようがない発言をしました」

この発言は、自民党のLGBT理解増進法案を推し、超党派のLGBT差別解消法案を批判する目的だったとみられる。

「LGBT差別解消法案には男女の区分を変えるなどという話は全く書かれていないわけで、根本的におかしな発言です。自分の主張のために、トランスジェンダーを生贄にするような論法は、非道なやり方と言わざるをえません」

「もし将来的に、日本で手術要件が廃止されることがあるとしたら、その時に、従来の入浴方式とどう折り合いをつけるかという議論をすればいいのです。今日明日にもペニスをぶら下げた人が女湯に入ってくるかのようなイメージを喚起するのはあきらかにトランスジェンダーの排除を意図したでっち上げ、デマです」 

…………

Twitterでは、トランスジェンダーをめぐる議論は過激で一方的な内容になりがちだ。しかし、そういった過激な議論に胸を痛めるトランスジェンダーやその家族・友人たちがいることを忘れてはいけない。

「Twitter上のトランスジェンダー排除言説によって、若いトランスジェンダーたちが傷ついたり、ましてや絶望から死を選ぶようなことがあっては絶対にならないと思います」 

三橋さんは、最後にそう語ってくれた。

三橋順子(みつはし・じゅんこ) 

ジェンダー・セクシュアリティ史の研究者。自身がトランスジェンダーであり、明治大学などいくつもの大学で講義をするとともに、性別越境や買売春の歴史について、文献とフィールドに基づく意欲的な研究を行っている。著書に『女装と日本人』 (講談社現代新書)、『新宿 「性なる街」の歴史地理 』(朝日選書)などがある。

 (取材・文:宇田川しい 写真:坪池順 編集:笹川かおり)