ドナルド・トランプ大統領は1月30日、オバマ前大統領の特徴だった外交政策の1つからアメリカが正式に撤退することを決定し、バラク・オバマ前大統領が4つの大陸でアメリカの影響力を取り戻すことを目指した8年間の努力は終わった。
奇妙な話だが、これは民主党の勝利だった。
労働組合、環境団体、公衆衛生専門家、リベラル派の経済学者、消費者監視団体は、何年にもわたってTPP(環太平洋連携協定)を批判していた。下院と上院両方で、民主党の圧倒的大多数は繰り返しTPPを阻止しようとした。ヒラリー・クリントン元国務長官とバーニー・サンダース上院議員は、2016年の大統領選でTPPに反対した。2016年夏の民主党全国大会では、TPPに抗議する人たちが演説する議員をやじり倒した。これを凌ぐ光景は、ミシェル・オバマ大統領夫人のパワフルな演説だけだった。
オバマ大統領は最も近い支持者に拒絶されたため、TPPを断念した。誰が大統領になっても、いずれTPPに最後の一撃を加えるまでの猶予期間でしかなかった。議会のリベラルな民主党と進歩的な活動家たちは、経済思想の潮目が変化する中で、人気がある大統領に望みの薄い闘いを挑み、勝利した。
■ 変遷していったTPPの理念
オバマは政権発足が当初TPPを呼びかけたときは、中国を標的にした厳しい新経済政策として提示した。この地域で影響力を拡大しつつある新興経済大国に対抗するため、アメリカは新たな貿易ブロックを作って同盟国を獲得しようとしていた。そしてこれが、アメリカの国益を守り、人権と民主主義についてのアメリカの理念を広めることになると考えられていた。
こうした高い政治的理想は、すぐに実現困難となった。オバマ政権が各国の指導者を集めグループ作りを始めたとき、反中国の防波堤のパートナー候補として、悪名高い抑圧的なマレーシアの政権を招き入れることもまったく躊躇しなかった。政権は政治改革に付けられた大きな疑問符を先送りし、最終的にTPPの基本原則として新たに投資家に強固な権利を保障することに焦点を当てた。アメリカの交渉担当者は、TPPに参加した12カ国のすべての当事者が、政府の規制が投資を妨げているとみなしたとき、多国籍企業に国際法廷で国内法や規制に異議を唱える権利を与えること(ISDS条項)を要求した。オバマ政権はまた、国家主導の独占体制によって、製薬会社などの知的財産所有者が価格を引き上げる力を強化するよう強く求めた。
貿易のあらゆる側面をカバーする長期的な協定の最終的な経済的影響は予測困難だったが、基本的なメッセージは明らかだった。アメリカとの新たな同盟に加わりたいと思う国は、富裕層の政治力を拡大させなければならなかった。
この概念を最初に思いついたのはオバマ政権ではない。TPPの条文の基盤となっている1993年の北米自由貿易協定(NAFTA)は、ジョージ・H・W・ブッシュ(パパブッシュ)とビル・クリントン時代から取り組まれているものだ。この2人の大統領は、世界の発展を妨げているのは「資本不足」だと信じていた。株式、債券、知的財産の所有者は、関税や行き過ぎた政府の規制で必要以上に拘束されているという主張だ。これを自由化すれば、投資の新しい時代を開き、必然的に進歩をもたらす、と彼らは考えた。
こうした考えから、1990年代には自由貿易が爆発的に加速した。クリントン大統領は2000年に中国の世界貿易機関(WTO)加盟に同意した。クリントン氏は、貿易拡大が中国の民主的改革につながると見込んでいた。アメリカ議会でも超党派で中国のWTO加盟を承認し、その見返りとして民主・共和両党に富裕層からの献金が激増した。
2008年の金融危機では、多くのエコノミストが規制緩和を考え直したが、政治の動きは鈍く、財政的なダメージと貿易政策を結びつけるのには何年もかかった。規制緩和が論理的な根拠を失い始めたとき、オバマ政権はTPPをクリントン流に実現させようと全力を尽くしていた。
自然保護団体「シエラクラブ」などの環境保護主義者は、TPPで化石燃料の貿易が拡大し、気候変動への取り組みが弱まると主張し、投資家が相手国の協定違反で損失を被った場合、その国を提訴できる超国家的なISDS(国家と投資家の紛争解決)条項の権利を企業に与えれば、企業に大きな権力を付与することになると非難した。
労働組合は、64セント(約72円)の最低賃金を受け取っているベトナムの労働者とアメリカ人労働者が、雇用をめぐって争うことになると批判した。「国境なき医師団」は、TPPで途上国の人々が救命医療を利用できなくなると警告した。2010年、アメリカの貿易政策を長年にわたって監視してきた消費者団体「ブリック・シチズン」は、シエラクラブ、全米通信労組(CWA)、トラック運転手組合、市民貿易キャンペーンといった反対派グループとTPPを撤廃する戦略について調整を始めた。
他の国々は異論に耳を傾けているようだった。TPP交渉にくわしい関係者によると、2011年12月、オバマ政権は、新薬の癌治療薬、特に生物製剤(生物を利用して作った薬剤)などの医薬品の長期独占を求め、処方医薬品の提案を協議対象にした。この提案はTPP交渉で18カ月間動きがなかった。
「そのことについては誰もアメリカに話すことさえないでしょう。そして、何年もの間解決されていない問題があるのに、これほど大きな協定に合意することはできません」と関係者は語った。
このようなTPP交渉の停滞はTPP反対派の思う壺だった。議会のロビイストの先例にならい、協議を頓挫させることができないと踏んだ反TPPグループは、逆に交渉の引き延ばしを図り、最後にどんでん返しが起こることを期待した。TPPに関する議会採決が2014年春まで延期されたら、共和党と民主党のどちらの議会首脳も中間選挙前に物議を醸すような問題をしたいとは思わないだろう。中間選挙の後、2016年の大統領選の準備が整うまで、活動家はこの問題を遅らせられると望んでいた。
大統領選では、貿易問題はいつも予測できない。2008年の大統領選で民主党候補を争ったオバマ氏とヒラリー・クリントン氏は、2人ともNAFTAに反対したが、後に方針転換した。この協定が2015年10月まで未定のままだったら、TPP反対派はもう1年時間稼ぎができただろう。
■ 議会の抵抗
2014年初頭までに、オバマ政権は連邦議会内外のTPP反対派との間に深刻な問題を抱えていることに気づいた。しかし譲歩して支持を勝ち取ろうとするのではなく、オバマ大統領のチームは、TPPが本当はどれほど素晴らしいかを理解していない反対派を説得するため、公的な、そして私的なキャンペーンに乗り出した。
公的には、厳しい環境保護と労働保護がTPPに盛り込まれると政府が主張し、輸出増加の可能性を宣伝することでオフショアリング(企業が業務の一部または全部を海外に移管・委託すること)を懸念する労働組合を軽視した。TPPは1993年ごろの経済的課題を引き継いだものではなく、国際的な経済秩序の全面的な見直しだと主張した。政府はNAFTAについても、メキシコとカナダが交渉に参加しており、オバマ氏が2008年の大統領選で公約に掲げた「再交渉」を実施していると説明した。オバマ氏は、TPP反対派は「現状維持」の擁護者だと批判した。
「情報を集めましょう」と、オバマ大統領は2015年の私的会合で民主党議員に語った。「ハフィントンポストを読んでもだめです」
こうしたオバマ政権の働きかけはうまくいかなかった。通商代表のマイケル・フロマン氏は、非公式会合でTPP反対派の民主党議員を怒らせた。下院で最も重要な通商委員会で、民主党トップのサンダー・レビン議員は「政府が私の協力を拒否し、強い侮辱を受けたのでTPPを破棄する」と宣言した。
一方オバマ氏は、政権内部の左派からの抵抗に辟易としていた。民主党のエリザベス・ウォーレン上院議員がTPPで生まれる投資家の権利に反対を表明し始めた頃、オバマ氏は食ってかかった。ウォーレン氏の批判は「いい加減なたわごとだ」と、報道陣に不平を漏らした。しかし、多くの法律専門家はウォーレン氏を支持した。
これは単に民主党内の見苦しい確執ではなかった。オバマ氏の動きは立法戦略としては逆効果で、連邦議会で新たな支持者を獲得することはなかった。そして、TPPにはメリットがあるという政府の主張には綻びが見えていた。民主党のボブ・メネンデス上院議員は、アメリカが世界最悪の違法人身売買国家として公式指定した国とアメリカが貿易協定を締結することを禁じる修正条項を、TPP法案に忍び込ませた。それはマレーシアを狙った間接的な計略だった。マレーシアは違法強制労働の長い歴史を持つTPP参加国で、何百人もの人身売買被害者の集団墓地が発見されたばかりだった。政府は人身売買年次報告書でマレーシアの評価を格上げして対抗した。この措置は「TPPは労働虐待を防止する」という政府自らの主張を台なしにし、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」などの人権団体を憤慨させた。
しかしオバマ氏にとって、本当の問題は下院にあった。下院では民主党のローザ・デローロ議員がTPPに反対する民主党議員を束ねていた。2016年初頭、デローロ氏は新たに、ノースカロライナ州の保守的な共和党議員ウォルター・ジョーンズ氏とパートナーを組んだ。デローロ氏とジョーンズ氏は朝食会とスタッフ会合を開催し、参加者同士でTPP反対運動についての最新情報を交換した。
「私たちが唯一同意するのは、貿易問題の哲学的側面だ」と、ジョーンズ氏は当時ハフィントンポストUS版に語った。「しかし、私たちは歩み寄ったところだ。共和党の視点からは、TPPは国の主権を脅かす合意の典型例だ。受け取るものより差し出すものの方が多い。これがずっと継続する」
ジョーンズ氏は、共和党首脳と意見が対立することもたびたびある、珍しい共和党議員だ。ジョージ・W・ブッシュ時代には、イラク戦争、ウォール街擁護、自由貿易といった政策に対し頻繁に反対票を投じた。共和党は、クリントン大統領の自由貿易政策を熱心に支持し、富裕層にとっての成功と見ている。
しかし大統領予備選でトランプ氏が行った選挙運動は、共和党首脳がもっていた有権者像を混乱させた。それまでの有権者は、大富豪のコーク兄弟よりもジョーンズ議員に味方すると考えられていた。貿易に関する共和党の方針をトランプ氏が攻撃しても、トランプ氏の支持率は下がるどころか、かえって高まった。これが最終的に本選挙の勝利に重要な役割を果たしたわけだが、これはミシガン、オハイオ、ペンシルベニアといったラストベルト(さびついた工業地帯)の州が赤(共和党)から青(民主党)に変わったからだった。
TPP推進派は、大統領選挙でTPPが阻止されるまでの時間稼ぎができることを期待していた。ところが、この選挙戦で連邦政府内の合意は完全にひっくり返った。ヒラリー・クリントン氏、トランプ氏、サンダーズ氏は繰り返しTPPを批判した。神経をとがらせたホワイトハウスは、2016年の初めにTPP法案の採決をするよう議会首脳に要求し始めた。長い選挙戦で、世間一般がTPP反対で合意形成される可能性を認識したためだった。共和党議員は自らの党の大統領候補の公約が、選挙区の支持基盤と真正面から衝突することを恐れた。その一方、クリントン氏は不満を抱えるサンダーズ支持者を取り込もうとしていた。デローロ氏とジョーンズ氏は、TPPを推進した共和党のポール・ライアン下院議長や、民主党のナンシー・ペロシ上院院内総務よりも多くの票を得た。
■ オバマ氏の大事業を崩壊させたもの
TPPの思想的な下地も、8年間の協議の間に移り変わっていった。中国がWTOに加盟しても、クリントン大統領が望んだような民主的改革の気運は生まれなかった。NAFTAの実施以来、メキシコの賃金は少しも上昇しなかった。ギリシャの政治的な混乱、そしてブレグジット(イギリスのEU離脱)が起き、世界的な自由貿易体制が実現できるのかどうか、厳しい目で再評価せざるを得なくなった。そして、アメリカの崩壊しつつある地域社会が、扇動政治家の背後に列をなして並んでいった。
世界銀行の元エコノミストのブランコ・ミラノビッチ氏は2016年4月に発売された著書で過去30年間、行き過ぎたグローバリゼーションで富裕層の利益は巨大化し、先進国で怒りの大衆主義(ポピュリズム)と金権国家を助長していると警告した。クリントン氏の下で国務省政策企画室長を務めたアン・マリー・スローター氏は9月の会合で、TPPの根本思想を公然と疑問視した。
「システムが機能していない感じがします。私が育んできた自由貿易の理念、それはあらゆる人にとって良いものであり、パイを広げるものであり、絶対に必要なものであり……このシステムは機能していないと、多くの人たちが感じています」と、スローター氏は語った。
かつて熱烈な自由貿易主義者だったフィナンシャル・タイムズのコラムニスト、マーティン・ウルフ氏は、さらに踏み込んで批判した。「私たちが自由民主主義とグローバル資本主義の両方を維持したいと思うのなら、深刻な問題に直面することになる。その一つは、既存の企業の利益のために国の規制や裁量を厳しく制約する国際協定を推進することが、意味をなすかどうかだ」
こうした批判が起き、オバマ氏が主張したTPPのメリットは説得力を失った。代わりに、その宣伝文句がアメリカの面目を保つために必要なものとなった。「アメリカは長年にわたり自由貿易の交渉をリードしてきた。この交渉の場から退場すれば、世界で恥をかくことになる」
そして、それは正しかったことが判明した。しかしオバマ氏にとっては大した恥にはならないのかもしれない。オバマ氏が8年間をかけた大事業を目の前で崩壊させたのは、オバマ氏の党と同盟を結んだ、彼の後継者、ドナルド・トランプなのだ。
ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。
▼画像集が開きます
(スライドショーが見られない方はこちらへ)