TPPの核心とは何か:「国内市場の逼塞」を超えて

TPP体制は日本の将来につきまとってきた「国内市場の逼塞」を決定的に打ち破る変革に直結する可能性をもつ。

 おもに人工知能の開発者たちが使い始めている用語だが、脳の機能はゴースト(ghost)とドリーム(dream)とに分けられるのだという。ゴーストとは幽霊ではなく、幽霊のようにつきまとって離れないような、それまでに身につけてきた認識枠組みとでもいうべきものだ。これに対してドリームとは、もし一部に知覚上の欠落があったとしても、全体像を構成するために、欠落部分を架橋で補うような意識作用を指す。

 こうした脳を通ずる作用によって脈絡づけ(=コンテクストcontext)が行われ、その結果として、ものの見方が定着するという。ゴースト、ドリーム、コンテクストと重ねることにより、固定的な、あるいは安定的な認識枠組みが成立するに至る。

 しかしこれだけでは変革は生まれない。脈絡づけに大きな変革をもたらすための要因として想像力があるはずだ。ゴーストを冷静に認識できれば、変革への道筋も浮かび上がる可能性がある。想像力を鍛えることの意味はここにあるはずで、意識的な認識の組み換えという営為もここに発する。

コメと関税に関する「認識枠組み」

 TPP(環太平洋経済連携協定)の大筋合意後の世界を考えるに当って、ゴースト、ドリーム、コンテクストという認識にかかわる道具立ては極めて有効なように私には思える。現実を認識する枠組みはそれなりに、或いは決定的なほど固定的で、打ち破ろうとしてもまったく容易ではないのが通常だ。しかしいくつかの偶然が重なるなかで、コンテクストの変革が起きることはある。TPPの大筋合意が刺激するものはこれに当るのではないか、ということで話を進める。

 これまで関税ゼロの社会を考えることは、単なる空想でしかなかった。日本は関税自主権のないままに国内市場の開放を強制された。そのままでは産業近代化のための政策実施もできないと自らをとらえた明治政府の高官たちにとって、関税自主権の回復は、自国の文化に対するプライドをたとえ損なうことがあっても目指さねばならない目標であった。第2次大戦後も最初の20年間については、関税に守られた諸産業の欧米のそれへのキャッチ・アップ過程として描き出すことがこれまでの常であった。

 直近の日本の政治経済史におけるゴーストは、農産品の関税ゼロが強いられるならば、日本の農村は崩壊し、社会不安はとめどもないため、たとえ隣国の韓国がFTA(自由貿易協定)の網の目を世界に張りめぐらす努力を続けても、日本はこれに追随しないという固定化した認識構造だった。このゴーストはウルグアイ・ラウンドのコメ開放というテーマ設定のなかで更に強固なものになったとさえいえよう。

「このままでは農業自壊」という現実

 しかし他方でコンテクストの側から、そのゴーストは脈絡を欠いているのでは、という材料が次々に上がってきたのが、ウルグアイ・ラウンド妥結後の20年近くの経過であった。

(1)農民の平均年齢が67歳前後と聞かされれば、日本の農業はこのままでは産業として自壊する。内部から別の声を抽出する必要がある。

(2)耕作放棄地の拡大が相次ぐにもかかわらず、土地利用のあり方を決める農業委員会制度がまったく機能していないことが、行政評価システムに関する審議会でなぜ正面から問題とされないのか。内閣制度は健全といえるのか。

(3)そもそもコメ価格が下落を続けている中で、もし他産業における日本内部の活力低下も同時に生起するようなことがあれば、国民の実質購買力の減衰が生じ、コメ価格にはさらなる低下圧力がかかり、その結果として「農業、農村、農民の自立」など根拠をなくす。

(4)近隣アジア諸国の所得の伸び率は持続的に高く、1人当たり所得はすでにシンガポールが日本を大きく上回っているが、他の東南アジア諸国の多くも20年ほどの間に日本を上回る可能性が計算上はでてきた。消費者につけ回しを続ける農産品対策の余地は消滅しつつある。

(5)日本での所得拡大を担ってきた非農業分野の企業が、高度のFTA体制づくりができない日本の政治システムに失望して、より一層の海外移転を図る可能性は、もう無視できるほど小さなものではない。

TPPに投機したオバマ

 TPPの枠組み浮上についていえば、世界的な経済システムの「縁辺」にあると自らを位置付ける国々の連携がきっかけであった。2006年のニュージーランド、シンガポール、チリ、ブルネイの4カ国の自由貿易協定の連合体は、古典的な自由貿易の利益が自己意識としてまったく矛盾なく自国に優位と受け止めうる国々であった。この連合体に投機したのが米国のオバマ大統領だった。(1)自国の雇用機会の拡大の必要性(2)環太平洋の高い経済成長率の魅力(3)貿易のみならず投資や知的所得権の尊重を含む経済制度の高いレベルでの統合の必要性――という3つを連鎖させることが、米国にとっての輸出所得の拡大となり、ひいては経済活性化を導くという図式を描いたのである。このとき日本の意思決定のあり様について、どの程度織り込んでいたかは定かではない。少なくとも彼は、米日FTAを自らが推進するテーマと考えてはいなかった。日本のゴーストについて知らないわけではなかったのだ。

「最適な仲裁者」だった日本

 2013年3月に安倍晋三首相がTPP交渉への参加を決断した。背景のひとつとしてJA全中の政治圧力への反発があった。民主党の政権構想に寄り添ったJA全中の幹部への不信の念は根強く、自民党が野党に転落した敗因のひとつにこれを数えあげていたといわれている。ゴーストは払拭されねばならないし、コンテクストはすでに変革を不可避とするまで煮詰まっていた。

 2013年7月に日本はTPP交渉に参加し、12カ国による交渉が始まると、日本はすぐに交渉に不可欠な参加者という扱いを受けることになった。例えばバイオ医薬品のデータ保護期間の設定問題である。後発医薬品を早く手掛け、保険会計の赤字の拡大をとどめたいオーストラリアのような国家と、研究開発資金の回収を至上命題とせざるを得ない米国との対立にあって、日本ほど最適な仲裁者はいなかった。保険会計の健全化という目標と、医薬品の開発者に十分なインセンティブを与えて研究開発主導型の産業展開を目指すという目標の、双方の狭間にあるのはまさに日本だったからである。

 途中参加者に過ぎなかった日本が、12カ国のなかでこうした位置づけをその当初から受けたところに、新たなコンテクストが生まれる可能性があったといえよう。こうした認識が日本の全政府部門で共有されたところから、ゴースト、ドリーム、コンテクストの連鎖を貫いて、改革の命題が共有されるに至った。この先に、関税ゼロのもとで、「少子高齢化」による国内市場の萎縮の克服という命題の賢明なこなし方という方向性が登場したのである。

なぜ「中印の参加は尚早」なのか

 関税ゼロと統合度の高い市場経済の運営というTPPの理念は、インドや中国では少なくとも今しばらくは実現の兆しを見せることはないだろう。インドでは連邦レベルでの統一的な財やサービスに対する課税(GST)法案は成立のメドが立っていない。中国では進出した外資は合弁比率、営業政策、知的所有権に関する紛争の扱いにおいて、西側の基準を実質上持ち込めないでいる。

 ここからTPP12カ国の枠組みがもつ意味が際立ってくるともいえる。そして関税ゼロの実現の折には、従来とはまったく別の経済システムが浮上する。これは「無重力のもとでの化学反応」「取引費用ゼロのもとでの企業行動」「電気抵抗ゼロのもとでの諸電源の組み合せ」など、従来はまったくのペーパー・プラン(机上の空論)でしかなかったことが実現するに等しい。

 通関では輸出入に当って登録だけが求められる。検疫業務にはTPPで統一の基準が適用される。こうなれば一国内とまったく同等の取り扱いとなり、間接費の最小化と取引費用の急縮減が可能となる。生鮮食品の輸出や評価の高い日本の工芸品の市場は一挙に拡大するだろう。通関への登録はインターネットを通じて可能になるところから、その利益に関しては大規模生産者よりも小規模生産者の方が相対的に有利化することになろう。新潟県燕の洋食器、岐阜県関の刃物、岩手県の南部鉄瓶、愛媛県今治のタオル、佐賀県の伊万里焼など、既に海外からの旅行客から高い関心が寄せられているものは、その評価の先行のゆえにTPPの枠のなかで存在感を高めることができよう。

 ドリームという、現実への架橋を具体的に補う作用についていえば、北海道や九州、四国、あるいは瀬戸内海という地域ブランドを手掛りとした農水産品の輸出も有望視される。知的所有権に「地理的表示」が組み込まれ、ブランディングという差別化に道筋がついたのだ。このようにTPP体制は、日本の将来につきまとってきた「国内市場の逼塞」を決定的に打ち破るコンテクストの変革に直結する可能性をもつ。総人口で8倍近く、GDPで6倍という市場を直接の対象とした取組みが始まるのだ。諸々のゴーストの退場を促すことこそが構造改革だとすれば、われわれはどうやらその手掛りを得つつある。

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10月5日、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉が大筋合意した閣僚会合を終えて共同記者会見する日米など12カ国の閣僚ら(アメリカ・ジョージア州アトランタ)(C)EPA=時事

田中直毅

国際公共政策研究センター理事長。1945年生れ。国民経済研究協会主任研究員を経て、84年より本格的に評論活動を始める。専門は国際政治・経済。2007年4月から現職。政府審議会委員を多数歴任。著書に『最後の十年 日本経済の構想』(日本経済新聞社)、『マネーが止まった』(講談社)などがある。

(2015年10月26日 「フォーサイト」より転載)

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