ツール・ド・フランス2014 第5ステージ レースレポート「昨年の覇者がリタイアする事態に、ツール一行を"北の地獄"が笑顔で手招き」

本家パリ~ルーベは、2002年以来、泥んこレースから遠ざかっている。ところが2014年7月、石畳クラシックにとって、ある意味では最高に理想的な条件が揃った。朝からの大雨に、気温は4月並みの15度程度。風は強く、石畳路の上にはいくつも大きな水溜り。まさしく、北の地獄が、ツール・ド・フランスのプロトンを笑顔で手招きしていた。
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本家パリ~ルーベは、2002年以来、泥んこレースから遠ざかっている。ところが2014年7月、石畳クラシックにとって、ある意味では最高に理想的な条件が揃った。朝からの大雨に、気温は4月並みの15度程度。風は強く、石畳路の上にはいくつも大きな水溜り。まさしく、北の地獄が、ツール・ド・フランスのプロトンを笑顔で手招きしていた。

開催委員会はスタート前に決断を下した。全部で9つある石畳セクターのうち、2つ(第7モン・アン・ペヴェールと第5オルシー~ブヴリー・ラ・フォレ)の通過を中止。自ずと石畳の総距離は15.4km→13kmに、ステージ全体の距離も155.5km→152.5kmに短縮された。かといって大部分の選手たちは、ちっともホッとできなかったに違いない。たとえばクリス・フルームやアルベルト・コンタドールといった総合優勝候補は、みなそれぞれパヴェの下見をしっかり済ませていたけれど、あくまでも「晴れた日」に「乾いた石畳」の上を走っただけ。しかも石畳に入るまでの約85kmのアスファルト路さえも、結局のところ、ひどい虐殺の地となってしまったのだから。

ピリピリとした雰囲気がプロトン全体を包んでいた。スタート直後に9選手が飛び出し、先に行ってしまった後も、マイヨ・ジョーヌ擁するアスタナがメイン集団前方で厳しくテンポを刻み続けた。スピードが一向に落ちぬまま、30kmほど走った頃だった。フルームが濡れた地面に滑り落ちた。前ステージに左半身から激しく落車したディフェンディングチャンピオンは、今度は右半身を打ちつけた。チームメートの尽力で、一旦はメイン集団に復帰した。しかし、いよいよ最初の石畳ゾーンが3kmほど先に迫ったその時、またしてもフルームは滑り落ちた。24時間で3度目の――、そして最後の落車だった。2013年ツール総合覇者クリス・フルームは、大会5日目で戦いの場を去った。

「今年のツール・ド・フランスから撤退しなきゃならないなんて、ひどく悲しいよ。手首のケガと、厳しい天候のせいで、自転車を制御することがほぼ不可能になってしまったんだ」(フルーム、ツイッターより)

石畳に入る前に、アレハンドロ・バルベルデやティージェイ・ヴァンガーデレンもまた、アスファルトに転がり落ちた。あちこちで大量の落車とメカトラブル相次ぎ、逃げ集団もいつしか7人に減り、そしてガタガタ道がやって来た。

パリ~ルーベでは「難度5点満点」を付けられ、伝統的に最後の勝負地であるカルフール・ド・ラルブル(第9セクター)が、この日は最初の試練だった。意外にクセモノだったのが、続く石畳路アンヌヴラン~ポン・ティボー(第8セクター)。難度は3点。ところが道幅が極めて狭い上に、トラクターの作った轍には泥水がたっぷり溜まっていた。自転車で走行可能なのは中央部分の細い一筋だけ。綱渡りのような走りが要求される中で、この春のルーベ覇者ニキ・テルプストラさえ水溜りにはまり込んだ。メイン集団は細かく切れ切れになった。マイヨ・ジョーヌ姿のヴィンチェンツォ・ニーバリが前から4番目ほどの位置で上手く抜け出した。

「下見に来たときは、道は乾いていた。ただペテル・ヴァンペテヘム(2003年パリ~ルーベ勝者)が、とにかく真っ直ぐ進むこと、石畳路の真ん中部分を走ること、この2点を助言してくれた。だからその通りに走ろうと、ひたすら努力した。それに、ボクは、マウンテンバイクをやっていたんだよ。その経験は今までもダウンヒルで生かされてきたけれど、石畳上のライン取りにも多いに役立ったね」(ニーバリ、ゴール後TVインタビューより)

一方でアルベルト・コンタドールは分断の罠にはまった。ようやく難局から這い出した時には、ニーバリから30秒近く遅れていた。アスタナのアシストたちが、俄然スピードを上げたのは言うまでもない!アンドリュー・タランスキーを連れたガーミン・シャープや、ユルゲン・ヴァンデンブロックを率いるロット・ベリソルも、積極的に加速を繰り返した。……ところが、3番目の石畳(第6セクター)で、その肝心のリーダー2人が沿道に放り出された。石畳を抜け出した後には、水色ジャージのマキシム・イグリンスキーがカーブを曲がり切れずに自滅したが、黄色いジャージ姿のリーダー、ニーバリはここでも難を切り抜けた。

残り30km、すでに10人ほどに小さくなったマイヨ・ジョーヌ集団が、逃げの残党を吸収した。つまり0km地点から半袖で勇ましく逃げていたリエーベ・ウェストラが、今度はニーバリを引っ張る番だった。また北クラシック最強軍団のオメガファルマ・クイックステップも、総合リーダーのミカル・クヴィアトコウスキーを前に残していた。エスケープ組トニー・マルティンに、マーク・レンショー、マッテオ・トレンティンとアシストも3人控えている。おかげで第2石畳セクターに入る頃には、先頭集団はコンタドールに2分近いリードをつけた。

普段は山で違いを見せる男たちの、必死のパヴェ爆走の傍らでは、石畳巧者たちが虎視眈々と勝負の時を狙っていた。元シクロクロス世界王者ラース・ボームと北クラシック表彰台常連セプ・ヴァンマルクのベルキン2人組は、第6セクターで早くも意欲を剥き出しにした。残念ながら第4セクターで、ヴァンマルクはパンクの犠牲となり消えて行ってしまったけれど……。昨季ヘントで、今季E3ハーレルベークで北属性を証明したペーター・サガンは、第4、第3セクターで何度か加速を試みた。ニーバリから総合でわずか2秒遅れにつけるスロヴァキア人には、区間勝利の可能性だけでなく、マイヨ・ジョーヌのチャンスさえ目の前にちらついていた。ルーベ競技場で3度の栄光を味わってきたファビアン・カンチェラーラは、なにやら恐ろしいほどに、存在感を隠していた。

全長3700mという、今ステージで最も長い第2セクターの石畳路がやって来た。12人の先頭集団は、あいかわらずウェストラが引っ張っていた。フランドル系ワンデーレースには良く顔を出すけれど、パリ~ルーベ参戦は2009年の1回きりで(しかも途中棄権)、むしろ4月はアルデンヌ派……というオランダ人は、しかも、ここでさらに加速ギアを一段上げた。ウェストラとヤコブ・フグルサングとニーバリ、3人のアスタナが前へ猛進した。驚くべき石畳列車に飛び乗れたのは、なんとボーム1人だけ!

残り10km、先頭は4人。カンチェラーラとサガンがお見合いをしているうちに、アスタナ+ボームはどんどん距離を離していった。全力を使い果たしたウェストラが脱落すると、ラスト9kmからはフグルサングが仕事を引き継いだ。意を決したカンチェラーラが、追走に乗り出した頃には、時すでに遅し。

そして、この日最後の、第1石畳セクターで、ボームが渾身の一撃を放った。プロローグのような短距離タイムトライアルが得意な28歳が、初めてのツール区間勝利へ向かって一直線に飛び立った。

「今朝、空模様を見たときに、思わず笑いたくなってしまった。だって、ずっと何年もの間、雨のパリ~ルーベを夢見てきたんだから!ツールで、そんな条件が、揃ったわけだ。落車があちこちで発生して、クレイジーな戦いになったね。でもボクは、前を走り続けることに成功した。おかげで、あらゆる問題を、遠ざけることができた。最後のカーブを曲がって、後ろを振り返って、そこでようやく勝利を確信した。こんな勝ちを、ずっと、ずっと、待っていたよ」(ボーム、公式記者会見より)

この夜、サッカーオランダ代表は、史上4度目のワールドカップ決勝進出を逃したけれど、ボームはオランダに9年ぶりのツール区間勝利をもたらした。何度も繰りかえし拳を握り締め、歓喜のトップフィニッシュを決めた。

その19秒後に、マイヨ・ジョーヌのニーバリとフグルサングがゴールラインを越えた。1分01秒遅れでサガンとカンチェラーラはたどり着き、24歳の若造はポイント賞ぶっちぎり首位で満足するしかなかった。同い年の24歳クヴィアトコウスキーは、その直後の1分07秒遅れでゴールした。新人賞ジャージはいまだサガンが握り締めている。ちなみに山岳賞首位シリル・ルモワンヌは、最後のパヴェでパンクするまでカンチェラーラ集団に属しており、1分45秒遅れ。当然ながら山のない今ステージで、赤玉ジャージを守った。

また長らく逃げていたトニー・ギャロパンや北クラシック巧者ユルゲン・ルーランツに助けられたユルゲン・ヴァンデンブロックは2分02秒遅れで、自転車を降りたフルームに代わりステージ途中から急遽リーダーに昇格したリッチー・ポートは、ゲラント・トーマスの背中に張りついて2分11秒遅れで1日を終えた。激しい落車にも関わらずタランスキーは2分22秒遅れ。そしてティボー・ピノ、ルイ・コスタ、バルベルデ、ロメン・バルデ、ヴァンガーデレン(2分28秒遅れ)、バウク・モレマ(2分44秒遅れ)にさえ置き去りにされてしまったのが、コンタドールだった。「小スプロケットに泥がたっぷり詰まったせいで、周りについていけなくなった」(チームリリースより)と語るスペイン人は2分54秒遅れ。つまりニーバリから2分35秒遅れで地獄から解放された。

総合タイム差も、当然、大きく開いた。前日までは2秒差の総合首位につけていたニーバリも、「予想以上だったね」と語るように、雨の石畳は、2014年ツール・ド・フランスの戦いをかき回した。

「タイムを稼げたらいいな、とはもちろん思っていたよ。でも、これほどまでとは、予想もしていなかった。それにサガンやカンチェラーラといったスペシャリストが前集団にいたから、マイヨ・ジョーヌを失う覚悟もしていたほどだ。ただ今はまだ、浮かれてはならない。冷静に、走り続けなければならない。パリまでの道のりは、いまだ長く険しいのだから」(ニーバリ、公式記者会見より)

そう、大会は、いまだ5日目が終わったに過ぎない。戦いはあと16ステージ残っている。プロトンの行く手には、ヴォージュ・アルプス・ピレネーの3山岳地帯も立ちはだかっている。ニーバリとコンタドールの総合タイム差は2分37秒。2人の間には、17人の強豪が控えている。

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

(2014年7月10日「サイクルロードレースレポート」より転載)