芸術に造詣が深い東大病院・稲葉俊郎医師に聞く「ビジネスに“アート”は効くのか」

芸術は、ビジネスリーダーだけでなく、すべての人たちが幸せに生きるために活用できる文化的営みです。
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ここ数年、芸術とビジネスの関連性について記された書籍が人気を集めています。『世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~』などはその一例です。

私も前々から芸術に関心を抱いてきましたが、先日ある方から新しい視点の芸術論を教わりました。ある方とは、東京大学医学部付属病院で循環器内科 助教を務め、NHKの『SWITCHインタビュー』にも出演された稲葉俊郎さんです。

稲葉さんは伝統芸能や音楽、絵画などへの造詣が深く、休日には能も習っていらっしゃいます。能を始められたのは、東日本大震災の直後。震災が起きた2日後に現地に入ったとき、それまで一人ひとりの患者さんを頑張って助けてきた経験と、目の前で多くの方たちが亡くなっている事実に折り合いがつかなくなったと言います。

「心のどこかで鎮魂を求めていたことが、生者と死者の交わりを題材した能に惹かれた背景にあるのかもしれません。実は大学生の頃に強烈に惹かれたことがあったんです。当時は内容をよく理解できなかったのですが、深い体験をしたという記憶はずっと残っていました。

能をやろうと思った直接的なきっかけは、ある神社で磐座に向かって歌っている能楽師の女性を見たことです。歌だけで場を作っていて、これはすごいと思いました。まるで空間が歪んでいるように感じたんです」(稲葉さん)

能のメロディーは、普段私たちが耳にするポップスではなく、呪術や祝詞のような唱えるという表現に近いと言えます。一聴すると聞き馴染みのない旋律ですが、どこか琴線に触れるのは、先祖から代々伝わるDNAが共鳴しているからでしょうか。

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■昔は医療も芸術も宗教も全て統合されていた

稲葉さんは「芸術と医療は密接に関係している」と語ります。西洋医学の源流は、古代ギリシアのアスクレピオスという名医で、アスクレピオスの聖地とされているのがエピダウロスという神殿です。

紀元前500年の頃、エピダウロスは医療施設として機能しつつ、演劇やオペラ、温泉などもありました。現代のレクリエーション施設に医療機関が付いたような場所と言うと分かりやすいかもしれません。そこでは、医療も芸術も宗教も全て統合されていました。

「寝るだけで体が回復する仮眠所もありました。温泉に入り、優れた芸術に触れ、安らかな気分で眠りにつく。すると夢にアスクレピオスが現れて、結果として治癒につながったと言われています。私が理想としているのは、このような体と心の両方をカバーした医療です。

病を“治す”という病気学に基づく現代医療に対して、アスクレピオス信仰のような伝統医療は健康学であり、病気という概念がありません。体と精神が調和している状態を起点とし、もとに“治る”ことを目的としています」(稲葉さん)

“治す”は、病気を敵だと見なして闘うこと。対して“治る”は、人間が本来持っている治癒力を生きる方向に働きかけていくこと。“治る”のアプローチは医学だけではなく、哲学や宗教、心理学なども有効な手段であり、芸術もその1つです。

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■60兆個の細胞を使うことが、私として生きること

とは言え、具体的に何をすればいいのか分からない方も多いはず。私もそう感じた1人ですが、稲葉さんは「何でもかまいません。何となく気になっているものは無意識が反応しているということであり、それに対して忠実であればいい」と言います。無意識が反応しているものは自分の中の全体性が求めているものであり、難しそうとか、意味がないとか、頭の中で合理化させてはいけないそうです。

「全体性というのは、体の全てを使って生きるということ。人間は60兆個の細胞で構成されていますが、人間の器官で最も重要だと位置付けられている脳でも200億個、脊髄を入れてもせいぜい2000億個弱しかありません。それ以外の59兆7000億個の細胞を含めた全てで体を運営させることが、私として生きるということです」

例えばPCやスマホを見る時間に多くを費やしていると、使用する細胞は視覚に偏ります。そんなときに絵を描いたり音楽を聴いたりすると、体は調和が取れた状態に戻ろうとします。治ろうとすると言ってもいいかもしれません。書道をする際に墨を擦るのは、文字を書くときとは違う細胞を使うという意味合いがあります。

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■芸術は失われている人間の全体性を取り戻す

祭や儀式などが一般的だった時代は、人々はこれらに参加することで普段使わない細胞を動かし、全体性を取り戻していました。しかし今は、昔ながらの伝統や風習が薄れつつあります。そこで代替物の1つになるのが、芸術です。芸術は失われている人間の全体性を取り戻す効果があり、それは私として生きることに直結します。

「能は、立ったり歩いたりする基本的な動作が大切です。普段私たちはこれらの動作を無意識に行っていますが、意識的に行うことで無意識と意識が結合され、心が整えられる。その感覚は心地よくて、とてもハッピーなものです」(稲葉さん)

法によって管轄される社会で、合理性を持ち、規範的に生きるのが大人のあるべき姿。しかし、ときには子どものように欲求のままに行動を起こしたくなる衝動は、大人になっても体の中に残り続けています。

その受け皿の1つとなるのが、芸術です。芸術はビジネスリーダーやエリートにとってだけ有用なものではありません。全ての人たちが幸せに生きるために活用できる文化的営みであり、利便性や効率が先行するこれからの時代において、その必要性がより増していくことは間違いないでしょう。