PRESENTED BY WOWOW

世界が認めた日本人プロデューサー。ハリウッド水準の最新作品で見つけた日本エンタメ界の可能性と課題とは

コロナに揺れ、ジェンダーや人種問題、働き方が問われるエンタメ業界。そんななか、一人のプロデューサーが錚々たる制作陣の作品を完成させた。その過程で見つめ続けた、世界に誇る日本エンタメ界の底力や映画産業の課題。それは明日の日本と次世代への熱いエールでもあった。
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Photo Sachiko Horasawa

WOWOWがハリウッドと本格タッグを組んで制作した連続ドラマ『TOKYO VICE』の配信が4月7日から始まる。アカデミー賞®で監督賞、作品賞などにノミネート経験があるマイケル・マン氏が第一話の監督、全話を通じてエグゼクティブ・プロデューサーを務め、東京でロケ、撮影をした本作は発表時点から注目を集めてきた。制作過程を知るのはWOWOWチーフプロデューサー・鷲尾賀代さんだ。

2021年、米国ハリウッド・リポーター誌によって「全世界のエンターテインメント業界で最もパワフルな女性20人」に選出された彼女が挑んだ、本企画から見える日本発エンターテイメントの可能性──。

夢と希望を胸に飛び込んだエンタメ業界。バズ・ラーマン監督を喜ばせた「本音」

鷲尾さんが新卒でWOWOWに入社した当時は、今とは違い、日本でお金を追加で払ってチャンネルを観ること自体が一般的ではなかった時代である。就職活動をするまでWOWOWの番組も知らなかったが、レポーターか番組制作を手掛けてみたいという彼女の思いを当時の経営者はおもしろがってくれた。
キャリアのスタートは営業だったが、「いずれは…」という思いは捨てなかった。

「今から振り返れば、その時から私は変わっていませんね。この人と一緒に仕事をしたいという思いからスタートします。WOWOWで働きたいと思ったのも、当時の社長と働いてみたいと思ったからです。

映画も人並みには観ていたけど、週に何本も観るというタイプではありません。だから営業配属と言われたときも、自分の希望とは違うけど、私が一緒に働きたいと思った人たちが決めたことだから頑張ろうと思っていました」

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WOWOWチーフプロデューサー、鷲尾賀代(わしお・かよ)さん。WOWOWロサンゼルス駐在員事務所代表駐在員も務める。
Photo Sachiko Horasawa

就職時の希望は早期に叶った。映画の公開に合わせて来日した監督や出演俳優にインタビューする番組を立ち上げた。当時のWOWOWの視聴者は、彼女の声を知らず知らずのうちに聞いている。

忘れられないインタビューは『ムーラン・ルージュ』(2001年)を手掛けたバズ・ラーマン監督だ。インタビュアーという仕事をしていれば、誰もが質問を考えながら映画を観る。ところが…。

「私は『ムーラン・ルージュ』の試写で、気がついたら涙を流していました。質問も忘れるくらい映画の世界にのめり込んでいたのです。何を聞くかなんて考えられなかった。本当はダメなのに、関係者に頭を下げてもう一度、試写で観せていただきました。

インタビューでバズにそのことを正直に話したら、すごく喜んでくれたのです。そこまでのめり込んで観てくれるなんて嬉しい、と。そこから話が弾んでいきました。そこで私はバズのインタビューだけでなく、彼の映画の考え方や制作の過程をまとめたドキュメンタリーを制作できないかと考えました。

これはバズに限りませんが、彼らは世界中で観てもらうために、かなりの熱量で取り組む。私は彼らの熱量を観客に伝えることが仕事だと思うようになりました」

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Photo Sachiko Horasawa

このドキュメンタリー制作の企画に予算の都合で難色を示していたWOWOWも鷲尾さんの熱意に折れ、バズ本人も快諾した。20分弱の短い作品だったが、最初の転機となった。そして2011年、WOWOWアメリカオフィスの立ち上げにともない、鷲尾さんは現地のロサンゼルスに派遣された。当然ながら、制作への意欲も希望も隠してはいなかった。いずれはハリウッドとの共同制作、という思いは当然ながらあった。

「会社からは『2年は制作への色気を出すな』と言われました。それは当然のことです。会社がLAにオフィスを構える最大の理由はハリウッドの映画製作スタジオとの契約回りや映画の買い付け強化にあるわけです。そしてアメリカではWOWOWなんて誰も知らない。自分がやりたいことをやればいいわけではないのです。

それでもせっかくLAにいるので昼間は仕事をしながら、夜はUCLA(カリフォルニア大学)の社会人コースに通って、ビジネスマネジメント、プロデューサー業について学ぶことにしました。週に3回くらいのコースでしたが、非常に刺激的な時間でした。

何より良かったのはゲスト講師でハリウッドの第1人者がやってきて、連絡先を交換できたことです。現場を見たいとお願いすれば、快く引き受けてくれます。学びながら人脈を作ることができる。ハリウッドの懐の深さを知ることができました」

マーティン・スコセッシ氏、ロバート・レッドフォード氏とヴィム・ヴェンダース氏など錚々たるメンバーとのドキュメンタリーの共同制作が実現した。そして、『TOKYO VICE』の企画がやってくる。ハリウッド屈指のスタジオであるエンデバー・コンテントから東京を舞台にしたドラマシリーズの構想を聞かされた。2018年のことである。

コロナ下での世界水準の制作進行。見えてきた日本エンタメ界の課題とポテンシャル

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『TOKYO VICE』のメインキャストには、2017年にゴールデングローブ賞主演男優賞にノミネートされたアンセル・エルゴート氏。アンセル演じる新聞記者ジェイクとバディを組む敏腕刑事、片桐役に渡辺 謙氏。
©️HBO Max / James Lisle

主演はアンセル・エルゴート氏、監督はマイケル・マン氏を考えている。彼も、配給プラットフォームHBO Maxも興味を持っているというのが最初の触れ込みだった。

「この世界で興味を持っているというのは、何も決まっていないというのと同じことです。半信半疑でしたが、本当にそれが実現できるのならば、絶対にやりたいと思いました。何より脚本が良かったからです。

日本のドラマ制作とハリウッドのそれとはまったく違います。

ハリウッドで最初に決まるのは脚本です。最初にセリフよりも重視されるのは、詳細に作り込んだ登場人物の設定です。細かく設定を作り込み、セリフが生まれ、そこに俳優を配置する。俳優が先に決まり、脚本が後という作り方はまずしない。そのうえで、この企画は東京でのロケを絶対に実現しなければいけないと思ったのです」

そして、何も決まっていないところから本当に制作は現実のものになっていった。実際に監督兼エグゼクティブ・プロデューサーにハリウッドの巨匠、マイケル・マン氏が決まり、日本側も渡辺 謙さんを筆頭に主要キャストが次々と決まっていった。

「しかし、前例はないのです。日本で作ったコンテンツをハリウッドに売り込むのではなく、ハリウッドの水準で企画・撮影したドラマシリーズを日本で作る。しかもセリフの半分は日本語で、投じる予算も文字通り日本とは桁違いです。WOWOWにとっても何からか何まですべて新しいことです。

アメリカは契約社会なので、細かい契約内容に至るまで私が直接チェックし、交渉する。時間はかかりましたが、結果としてベストを手に入れることができたと思います」

撮影は新型コロナウイルス禍の真っただ中。日米の往来が制限されるなかでもプロジェクトは進行していた。加えて、鷲尾さんを悩ませたのは日本での映画撮影の手続きだ。海外の製作陣が簡単に理解できるような統一したルールやシステムが存在しない。ハリウッドの製作陣が都知事や区長を表敬訪問したから、普段より撮影は円滑に進んだのだが、見方を変えればそれまでに至る統一的な基準が無い、という問題が浮かび上がる。

なによりマイケル・マン氏は東京での撮影に一貫してこだわった。撮影にふさわしいロケーション地がたとえば北九州市にあったと情報を聞いても、「なんで東京の映画を東京以外の場所で撮影するんだ?」と言った。ロケだけでなく、スタジオも東京に構えて最後まで撮影した。

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舞台は1990年代の東京。美術スタッフが渋谷の街を当時そっくりに変貌させた。
©️HBO Max / James Lisle

「私は撮影誘致において、最大の問題は撮影許可の煩雑さだと思っています。今の環境では、いくら海外の監督が東京をロケ地に使いたいと思っても、断念するでしょう。日本人でも理解できない手続きを海外のスタッフが理解できるわけがないのです。

映画の撮影に慣れているLAでも『映画の撮影で道路封鎖か。困ったなぁ』という感情をもつ市民もいます。ですが、同時に映画は大切な産業である事実も受け入れています。日本にとって映画をどう位置付けるのか。これは大きな課題です」

日本への追い風と#Me Tooを経て変わるエンタメ界

長年、ハリウッドとかかわってきた鷲尾さんから見ても、今は日本エンタメ界にとって追い風が吹いているという。2020年、アカデミー賞®の作品賞を韓国映画である『パラサイト 半地下の家族』が受賞し、注目がアジアに向いた。今年はついに日本映画からアカデミー賞®の国際長編映画賞を『ドライブ・マイ・カー』が獲得するなど、注目が続いている。鷲尾さんがいう「追い風」、それは作品や俳優だけでなく、美術スタッフや撮影スタッフにとっても吹いているというのだ。

「日本の美術スタッフの技術力は高いと思います。渋谷で印象的なロケがありました。1990年代の東京を再現するために、日本の美術スタッフが現存しなかった看板をいかにも90年代にありそうなものとして再現しました。看板が少し朽ちていたり、時間を感じさせたりする美術設定も細部まで丁寧に再現し、一晩で渋谷の街のセットを2020年代から1999年に変えたのです。

スタジオでの追加撮影では、ロケで使ったセットをそのまま運んできました。この再現力の高さひとつとっても、高水準な技術力を実証しています。

実はこのドラマの制作中に別企画の売り込みがきました。それが『Tell It Like A Woman』(公開時期未定)です。各国の社会問題をテーマにした短編をベースにした一本のアンソロジー映画で、日本の配給権を買わないかというものでした。企画は素晴らしいと思いましたが、その時は私は買わないと言いました。なぜなら、先進国の中でも女性の社会進出が遅れているとされている日本の作品が含まれていないからです。

そこからの動きが早かったです。プロデューサーからすぐに連絡があり、『あなたに任せるから日本の女性監督で作品を作ったら、この中に入れる。二カ月なら待てる』と。私はすぐに呉 美保監督に連絡をいれました。呉監督とは面識はなかったのですが、ダメなら断るから、考えてほしいと。これも見方によれば、一昔前なら考えられない追い風です。ここでも一緒に仕事をしたいという思いで一気に連絡です。杏さん主演という形で作品に結実して良かったです」

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Photo Sachiko Horasawa

時代のキーワードの一つは多様性の力である。ハリウッドを揺るがした「#Me Too」から変化は一気に進んだ。インタビューの最後に誰か一人、今後仕事をしてみたい人をあげてほしいと聞いた。

「一人は難しいですねぇ。日本にルーツがあるキャリー・フクナガはずっと注目していますが…。ここはリース・ウィザースプーンですね。私はアメリカに渡った時、なんて女性が自由な社会なんだろうと思っていました。でも、彼女はまだまだ不十分だと思っていて、自分で制作プロダクションまで作っていた。その意味がようやくわかりました。

意識しなければ、今までの映画の歴史を積み上げてきた白人の男性が、過去の実績と経験から業界の競争には勝ち続けます。でも、それではダメだと。女性やカラードといったマイノリティにも最初のチャンスを与えなければ平等ではないと訴えていたのです。『#Me Too』の前から変化の必要性を訴えていた彼女を尊敬します」

変化はいずれ日本のエンタメ界にもやってくるだろう。時代は確実に変わったからだ。変化を恐れず、変化に目を向けて──。鷲尾さんの言葉は、彼女の実践と共に輝きを増している。

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(撮影:洞澤佐智子  取材・文:石戸 諭  編集:佐藤健秀/ハフポスト日本版)