東京オリンピック2020を黒字化する方法4

ついに出た、駒沢オプション。感慨深いです。なぜなら、過去の東京オリンピックでも常に駒沢会場はスーパーサブ、最期の最後は駒沢頼み。といった場所なんです。

新国立競技場の方向性について河野太郎先生からご報告がありました。

以下河野先生の公式ブログより抜粋。

自由民主党の新国立競技場見直しプラン

明快です。

そして、ついに出た、駒沢オプション。

駒沢かあ。

感慨深いです。

なぜなら、過去の東京オリンピックでも常に駒沢会場はダークホース、スーパーサブ、最期の最後は駒沢頼み。

といった場所なんですね。

過去のオリンピックといっても1964だけではありませんよ。

1940幻の東京オリンピックでも外苑会場でもめまくって、最終的に駒沢だったからです。

1940TOKYO計画とはこんなんです!

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設計者は岸田日出刀(きしだ ひでと)(1899年2月6日 - 1966年5月3日)

私は学生の時分、近代建築の歴史を調べているときにこの人の名前を発見して、

The Sword of rising sun. 日の出の刀と書いて、ひでとと読む。

何やった人かどうかは置いといて、なんてかっこいい名前なんだ!と思いました。

この岸田日出刀って人はどうい人かというと、

ひとことでいえば、

戦前戦後を通じた日本近代建築界のゴッドファーザー。

雰囲気でいえば、

日本建築界の大橋巨泉。

その変遷を含め今の若い人向けに言えば、

日本建築界の秋元康。

そんな感じです。

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文学的才にも秀でておられ、保田輿十郎の「日本の橋」を彷彿とさせるような非常に格調の高い「壁」、「扉」、「窓」、「甍」、「縁」といったエッセイ集シリーズもあれば、

「過去の構成」とドライなタイトルを付けた伝統建築の写真集等も出されています。

こう、純粋でナイーブで聖職者的傾向の強い建築家達の中で、

この岸田日出刀だけはちょっとデーモニッシュであり、モダンであり、ニヒルでもあり、どこか倦怠感や諦念を感じさせるところもあり、精緻でありながら破格な感じ、豪奢でありながら簡素を愛するようなところに大変興味をもちまして、

私は20代の後半ごろから岸田日出刀マニアと化して、古本屋さん等で岸田日出刀著作を見つけ次第購入してましたので、その装丁もすばらしい「壁」なんかは、結果3冊も所有しております。

その岸田日出刀が紆余曲折あって、駒沢にオリンピック会場を求めていった過程と現在の新国立競技場のもめごとは、80年の時を超えて、鏡写しのようにシンクロしているんであります。

つづきはまた後程書きますね。