パリで無差別テロが発生した。同時多発的に行われたテロにより犠牲者は100名を超え、フランスでは非常事態宣言がなされた。IS(イスラム国)により犯行声明文も出ている。
事件についてはすでに各種報道がなされているが、昨日はフェイスブックでプロフィール写真に三色旗を重ねる行動と、世界各地の建築物がフランスを象徴するトリコロールでライトアップされている写真が目に入った。アメリカ・ニューヨークの世界貿易センタービル跡地、エンパイアステートビル、ドイツのブランデンブルク門、オーストラリアのシドニーのオペラハウス、ブラジルのキリスト像などだ。
自分はライトアップについてフェイスブックで以下のように短くつぶやいたところ異様な反響があった(普段は多くて数十件程度)。多くの人にとって違和感のある行動だったという事だろう。
>もうこういうのやめた方が良いよ。
>テロは許せないというのと、テロがなぜ起きたのか考えることは全く別問題。
>殺したいほど憎まれてる原因をろくに考えないでトリコロールで支持表明とか皆どーかしてるよ。
■三色旗を掲げる意味。
フェイスブックを使っている人にはすでにご存じかと思うが、自身のプロフィ-ル写真に三色旗を重ねる機能が提供された。テロの被害者に哀悼・祈り・連帯を、という事でかなり広がっているようだ。一方でそれに対する批判・疑問を呈する記事が公表され、賛否を呼んでいる。
記事の内容はフランス以外にもテロの被害者は中東にも多数いるのになんでフランスだけ?というものから、フェイスブック創業者が笑顔に三色旗を重ねているのは不謹慎、というものまであった。
結論を言えば個人の行動は好きにすれば良いというだけの話だ。他にも被害者はいるという意見については、テロの被害者が自分の肉親か友達か無関係の人かで感情も行動も変わるのは不思議なことではないだろう。
直接的な関係はなくとも知人がいる、仕事や旅行で行った、なども含めれば中東よりフランスを身近に感じる人の方が多いのも当然だ。フェイスブックの創業者が云々についてはただの難癖だろう。
フェイスブックのプロフィール写真をどうするかで議論になるなんて日本は平和、あるいはフェイスブックの安否確認機能で知り合いの無事を確認出来たので自分はトリコロールに変える、と自分の周囲では真逆のつぶやきがあった。どちらも当然の反応で、他人がとやかく言うような話ではない。自分が問題にしているのは、個人ではなく国や地域を象徴するような建物のライトアップだ。
■ライトアップは「私はシャルリ」デモと同じ?
すでに書いた通り、世界各地でライトアップがなされ、日本でも東京タワーとスカイツリー、都庁舎もライトアップされた。
さて、これはどういった経緯で判断されたものが公表されていないので分からないが、シャルリ・エブリ紙襲撃事件を受けて発生した「私はシャルリ」デモを自分は連想した。
2015年の年初、イスラム教の預言者ムハンマドを風刺画で侮辱したとして、アルカイダのメンバーによりフランスのシャルリ・エブリ紙が襲撃され多数の死者が発生した。これは表現の自由への冒涜として、EU各国の首脳を中心としたデモがフランスで行われた。その参加人数は370万人上ると言われるが、「私はシャルリ」と書かれたプラカードやバッジを掲げてのデモだ。
しかし肝心のシャルリ・エブリ紙の風刺画を見ると、日本で問題になったヘイトスピーチが可愛く思えるほど見るに堪えない下劣さで、こんなものを擁護するためにフランス中が大騒ぎになったのかと思うとあきれるほかない。そもそもイスラム教では偶像崇拝が禁止されており、描くことすら禁止されているムハンマドを用いて宗教的にタブーな行為を表現するなど、侮辱の限りを尽くしている。権威をあざ笑うことは風刺画の特徴ではあるが、これは表現の自由の名のもとに保護されるようなものなのか、当時も多くの人が疑問を呈した。
最近ではシリア難民の子どもが海岸で亡くなっている痛ましい映像が話題になったが、これについてもキリスト教徒は水の上を歩ける、イスラム教徒の子どもは沈む、などと表現した酷い風刺画を公表して同様に顰蹙を買っている。当然フランス人全ての支持を得ているわけでは無いようだが、ISによる今回のテロの犯行声明文ではフランスによるムハンマドの冒涜も理由としてあげている。
自分のフェイスブックのつぶやきに対しては、風刺画にムハンマドを描いたらテロで人を殺して良いのか、とトンチンカンな反論も来ていたが、重要な事はテロリストにテロの「口実」を与えてはいけない、という事だ。それが今回のライトアップとの共通点だ。
■テロリストのロジック。
テロの口実とはどういう意味か。特に今回行われたような自爆テロは成功しても失敗してもテロリストは死ぬ。実行犯は幹部から指令を受けているはずだが、好き好んで死にたい人間はいない。
そんなの恐怖で押さえつけてるだけだろう、と思うかもしれないが、言う通りにしないと殺すという脅しはオウム真理教の地下鉄サリン事件のように、他人を殺させる指令には有効かもしれないが、自爆テロには通用しない。言うことを聞いても聞かなくても死んでしまうのだから当然だ。つまり、自爆テロには自ら死ぬという強い意思が必要となる。
9.11のテロでは、犯人は飛行機を奪って世界貿易ビルに突入するため、飛行機の操縦訓練を受けていた。このような難易度の高いテロを遂行するためには、一定水準以上の知能と強い意志が必要だ。誰でも出来ることではない。
誰かを殺したいほど恨むことはテロリストでなくともあるだろう。しかし特定の個人ではなく、フランス人は許せないとか、キリスト教徒は抹殺すべしとか、不特定多数を対象にした無差別テロに生きた人間を向かわせるには、何か強烈な動機、別の言い方をすればフィクション、物語、大義、口実が必要だ。つまりテロリストにはテロリストなりの「理(ことわり)」があり、ロジックがあるということだ。
今回フランスが選ばれた理由として中東での空爆に参加したことを第一の理由に挙げる人もいるが、空爆はアメリカ主導でありフランスは際立って目立った存在ではなく、一番に狙われる理由にはならないという。実質的な理由としては先進国で最もテロがやりやすかった事が原因のようだ。これは昨日放送された報道ステーションサンデーでも解説されていた。
フランス語をしゃべる事が出来るイスラム系の人が自由にフランスとベルギーと行き来出来たこと(ベルギーはフランス語圏であるイスラム教国とつながりが強いという)などが理由だという。日本やアメリカと比べれば条件がずいぶん異なることがわかる。
ただ、「テロがやりやすいから」という理由で実行犯が命を懸けようとは思わないだろう。しかし、イスラム教を侮辱したフランスに鉄槌を下す、というテロリストなりの大義があれば命を懸けてテロに臨む動機になるのかもしれない。つまりは口実だ。
■テロリストは企業のように行動している。
テロに屈することはあってはならない。しかし、テロを起こす口実を作ることは可能な限り避けるべきだ。個人がフェイスブックの写真をトリコロールカラーに変えたからと言ってテロリストに狙われることは無いだろう。
しかし、その国や地域を代表するような建物がトリコロールでライトアップされたらどうか。テロリストから見れば「空爆を支持する一方で我々の攻撃をテロだと非難してライトアップまでする、欺瞞に満ちたダブルスタンダードで行動するのが先進国の連中だ」と、部下を煽動する良い口実が出来たと喜んでいるのではないか。
テロリストは不満を持っている者、虐げられた者の抑圧されたエネルギーを利用・煽動し、目的を達成する。多くの企業が社員の採用、教育、モチベーションアップに苦労している状況と比べれば、脅威に値する。
紛争地に乗り込んで武器を回収することを仕事とし、「職業は武装解除」という著書もあるNPO法人・日本紛争予防センターの瀬谷ルミ子氏は、滝川クリステルさんとの対談で海賊は中小企業のようだと話す。
瀬谷 例えば今ソマリアでは海賊が多発し、各国が取り締まりをしています。でも発展のスピードがものすごく速くて対応しきれていないんです。最近では、インド洋の海賊とコラボをし始めて。
滝川 海賊同士がコラボ......?
瀬谷 技術協力をし合って、お互いにもっと遠くへ遠征したりしているんですよ。
滝川 ええっ、そんなことが。
瀬谷 ですから、ソマリア沖の海賊は減っても、代わりに中東沖の海賊が増えてしまって。海賊といっても、会計係がいたり、交渉係がいたり、船の査定係がいたり、まるで中小企業みたいになってるんです。
滝川 株式会社ソマリア海賊。
瀬谷 ほんとにそういう感じなんですよ。
石油の生産で毎日数億円の利益を出しているというISに至っては、大企業レベルと言って差し支えないは無いだろう。
自分はISにシンパシーを抱くわけでも、友達の友達にアルカイダがいるわけでもないが、テロリストを思考回路の壊れたおかしな人たちではなく、同じ感情を持った人間、大切なものを侮辱されれば腹が立つ自然な感情を持った人間、そしてそういう人たちを都合よく利用する輩がトップにいて、目的のためには企業のように合理的に動く集団だと考えれば、こういった推測は十分に成り立つ(シャルリ・エブド事件を受けて警備が厳しくなっていたフランスでのテロは困難を極めたはずだが、それでもISはやってのけた)。
■ライトアップ決断に至るリスクマネジメントは?
東京都は都庁をライトアップすると舛添都知事が公表したが、その際にテロの対象となるリスクまで考慮したのか。東京タワーやスカイツリーは民間施設ではあるものの、多数の観光客を迎え電波塔として公的な役割も持つ。ライトアップによってテロを仕掛けられるリスクが上がるとは考えなかったのか。
被害者に哀悼の意を示す、フランスと連帯する、テロと戦う、と言えば何となく理由になるのかもしれないが、例えば募金箱を置いて支援するとか、被害者や被害者の子どもを招くとか、ほかにもやり方はいくらでもある。日本は政府としてテロは断じて許さない旨の談話をすでに公表している。他国の施設がライトアップをしたからと同じことをやる必要が果たしてあるのか。
繰り返すがこれはテロに屈する事は全く意味が違う。テロはダメージを与える行為であると同時に、挑発行為でもある。挑発に乗って過剰な反応を示せば、敵がいるからこそ成り立つテロリストは存在意義をより強固なものとする。「私はシャルリ」デモにより、テロリストがより団結を深めた事、そして幹部連中がほくそ笑んでいたことは想像に難くない。
■目には目を。
イスラムの教えとして知られる「目には目を」という言葉がある。元々は出エジプト記などの旧約聖書に書かれている内容だ。さらに遡るとハンムラビ法典に書かれた内容で、イスラム法(シャリーア)でも同様の考え方がある。
これはすでに知っている人も多いと思うが、やられたらやり返せという報復の奨励ではない。相手の目をつぶしたら自分の目をつぶして償わないといけない、という刑法の話であり、同時に倍返しのような報復を禁じる公平なルールでもある。
紀元前にこんなルールがあるという事は、大昔から倍返しの報復があったことも意味する。人間の心理として、一発殴られたら二発殴り返したくなる本能があるようだ。プロスペクト理論といって、意思決定に関する理論でも似たような考えがある。これは主に経済やマネーの分野で損得に関して使われるが、倍返しは人間の本能と言っても過言ではない。誰でも自分が感じた痛みは特別だ。
しかし1人殺されたら報復に2人殺す、ということをやっていたら人間はいつかいなくなってしまう。被害を受けた国も倍返しはせず(100倍返しが失敗する事はすでに9.11に対するイラク戦争で証明済みだ)、今回のテロで直接的な被害を受けていない日本は、淡々と警備を強化し、テロを生む貧困を無くすために経済や農業・技術分野で協力し、テロリストの行動範囲を狭めていくことがテロ撲滅への近道ではないのか。
不寛容を前にしても可能な限り寛容を保たなければ他者との共存を実現することはできない。テロは排除しなければならないからこそ、排除する側は文化と価値の多元性を受け入れ、維持する必要があると私は考える。
これはシャルリ・エブドのテロが起きた時に書かれたものだ。当時すでにこのままではテロが拡大するのではないかという意見も散見された。被害を受けた人や国が寛容な態度をもつことは難しい。連帯する事も一つの手段ではあるが、第三者の立場だからこそ出来ることがあると思うのは自分だけだろうか。
最後になりますが、今回の卑劣なテロにより、亡くなられた方、被害にあわれた方に哀悼の意を表します。
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中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー
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