最近、あるセミナーで株式会社いろどりの横石知二社長の話を聞く機会があった。横石氏は、過疎に悩む徳島県上勝町で「葉っぱビジネス」を立ち上げた人物である。
セミナーのテーマは「地方を考える」だった。参加者の多くは「繁栄する東京と衰退する地方」という対立軸をかかげ、横石氏のケースを数少ない成功例と捉えているようだった。私は、このような見方に違和感を抱いた。
レセプションで、横石氏とじっくりと話をし、その舞台裏をお聞きした。結論から言うと、「葉っぱビジネス」は徳島の歴史・風土に根ざしており、他の土地では成し遂げられなかった可能性が高い。
横石氏が強調したのは、徳島のネットワークだ。特に徳島新聞、および関西で活躍する徳島出身者の存在が大きかったようだ。
徳島新聞は早い段階から「葉っぱビジネス」を繰り返し報じている。発行部数は24万部でシェアは八85%。長年にわたり、地域シェア日本一の座を守り続けている。一連の報道により、このプロジェクトの存在が県民の間で広くシェアされた。
また、横石氏は「当初は、関西での売上が大きかった」という。故郷の知人から「葉っぱビジネス」を聞いた関西在住の徳島出身者が応援したのだろう。その後、在阪のテレビ局が報じ、さらに認知度を高めていったという。横石氏はネットワークの特性を熟知し、上手く使いこなしている。まさに「プロデューサー」だ。
現在、徳島は人口76万の小さな県だ。鳥取・島根・高知についで四番目に少なく、震災前の福島県浜通りとほぼ同規模だ。なぜ、こんな小さな町に横石氏のような人材が生まれたのだろうか。
実は、徳島は驚くほど多くの成功者を生みだしている。企業なら大塚製薬、ジャストシステム、青色ダイオードで有名な日亜化学工業。今でも県内に本社を置く。大物政治家も多い。三木武夫、後藤田正晴、仙谷由人らを生みだしている。さらに、高校野球界に革命をもたらした池田高校もある。わずか人口1万5000人の町の公立高校が日本一を目指したというのだから、常軌を逸している。そして、それを31年間かけて成し遂げている。実に粘り強い。
徳島が人材を生み出す原動力とは何だろうか。それは、この町の歴史・風土である。
江戸時代、この地を治めたのは蜂須賀家だった。現在の徳島県全域は蜂須賀藩領だ(支藩を含む)。幕末、徳島藩は佐幕と倒幕の間で揺れ動くが、何とか無事に明治維新を迎える。
400年以上もかけて、徳島県は一つの共同体として発達する。このような地域は概してまとまりがいい。鹿児島県や宮城県なども同様だ。逆に、明治維新で多くの藩が併合され、いまだに地域間の不和に悩む福島県や兵庫県とは対照的だ。私は兵庫県の生まれだが、県民意識は希薄だ。
徳島県では、このような地域共同体意識が、徳島新聞という全国屈指の地元紙を生みだした原動力になっている。逆に、徳島新聞の存在が県民の一体感を強めている。
徳島は教育熱心だ。医療については、戦前、四国で唯一の官立医学専門学校が設置され、戦後、徳島大へと改組される。
徳島大は一流だ。文科省から受け取る運営交付金は毎年130億円程度。86の国立大学中で23位。上位陣は旧七帝大や旧官立六医科大学など、戦前からの名門大学が名を連ねる。戦後生まれの大学に限れば、東京医科歯科大、信州大、愛媛大についで第4位である。
徳島県のエリートたちは、徳島大を目指し、勉学に励む。青色ダイオードを発明した中村修二氏も徳島大工学部OBだ。徳島県は人口が少ない分、地域への波及効果も大きい。県民一人当たりが受け取る国立大学の運営交付金は、京都府・宮城県についで3位である。
ちなみに、京都や宮城県の文化レベルは高い。京都大学や東北大学などの高度教育機関があることに加え、祇園祭や七夕などに代表される独自の文化をもち、外部からの交流人口を増やしている。徳島県では阿波踊りと徳島大が、この役割を担ってきたのだろう。この地域から多くの成功者が生まれたのも納得できる。
横石氏もまさにその中の一人だ。おそらく、横石氏が亡くなれば、「葉っぱビジネス」は苦戦を強いられる。ただ、徳島からは次の人材が生まれるはずだ。この地域はそうやって生き延びてきた。地方の生き残りは教育にかかっている。徳島は、その格好の事例だ。我が国の将来を考える上で示唆に富む存在である。
* 本稿は「医療タイムス」の連載に加筆したものです。