事件発覚後、初の『鉄腕DASH』 そこで語られたこと、そして語られなかったこと

意味深なナレーションは、何を伝えたかったのだろうか。
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TOKIOが出演する人気番組『ザ!鉄腕!DASH!!』が5月13日に放送された。TOKIOの4人が5月2日に謝罪会見を開き、山口達也氏がジャニーズ事務所との契約を解除してから初となる放送だった。

番組では、これまでTOKIOが開拓してきた「DASH島」企画の歴史などが、過去の収録映像などとともに紹介された。また、山口氏の書類送検が報じられた4月26日以降に収録された映像も放映された。

ただTOKIOのメンバーが、番組に協力してくれている専門家に「申し訳ありません」などと謝罪するシーンがあった。ところどころ、意味深にとれるナレーションも流れた。

番組の最後には、ともに米を育ててきた福島・浪江DASH村の人々を城島茂が訪れるシーンも放映された。

この日の放送内容を振り返る。

番組の序盤では、10年目を迎えた横浜「DASH海岸」で、城島が海岸を清掃するシーンが映された。収録日は5月1日。山口氏以外のTOKIOの4人が揃って開いた記者会見の前日だ。

4月から気温の上昇が続いたこともあり、海岸に住むエビや小魚、カニなど小さな生物たちの住処がなくなってしまう恐れがあったという。

それを避けるため、城島は岩場の手入れをして、小さな生き物の住処をつくっていた。

「いつもなら4月中に行う作業」と、ナレーションは語る。

では、なぜ4月中にできなかったのか。そこは語られない。

CM前には、「TOKIOは日々の作業へ しかし」というテロップが写し出された。

CMが明けると、長瀬智也がDASH島を訪れた様子が紹介された。収録日は5月4日だった。

DASH島で反射炉建設を指導する本勝照雄さんに対し、長瀬は「みなさん色々とご迷惑ご心配をおかけしてすみません。突然で申し訳ないです」と謝罪の言葉を口にした。

日本では江戸時代以来となるという反射炉を、TOKIOは本勝さんとともに作っている。

本勝さんは長瀬に語りかける。

「一緒に頑張って、立ち上げて、完成しましょうよ」

長瀬は帽子を取り、一礼する。

反射炉作りに携わるスタッフたちは、心配そうな暗い表情を浮かべる。そんな空気を察してか、長瀬はスタッフに声をかける。

「なに? 気使ってんの? 心配はしなくて大丈夫だから。また引き続きよろしく。これはね、とりあえず完成させないとね」

一つ一つ耐火レンガにモルタルを塗り、積み上げていく。しかし、やはり現場の空気は暗い。

長瀬が再び、声をあげる。

「お前ら暗いな!凹んでる場合じゃねえぞ!反射炉作り終わったら、一緒に泣くぞ(笑)」

続いて、番組ではTOKIOが開拓した無人島「DASH島」の歴史を振り返った。

2012年9月、城島がDASH島に上陸したところから、VTRは始まった。

山をかき分け、道なき道を歩き、時にはヘビとも格闘。かつての島民が残した廃屋なども利用した。

TOKIOがDASH島をどうやって切り開いたのか。そんな自然との戦い、開拓の歴史を、過去の放送内容をもとに振り返る内容だ。

「先は見えず、目の前のことを、一つ一つやっていくしかない。だが、環境は厳しく...」

ナレーションは、TOKIの苦悩を伝える。

開拓拠点を整備する城島は、石を運びながらひとりつぶやく。「ワシの意志(石)は硬い」と。

ナレーションは「辛い仕事ほど、リーダーが先頭に立って楽しみながら...」と、「リーダーの責任」に触れる。

そして、ナレーションは続けた。「他のメンバーも、それぞれができることを...」と。

重い枕木と鉄のレール。長瀬は、島内に走らせるトロッコのレールを懸命に敷く。特に、カーブ部分は難しい。

その様子をナレーションは、こう紹介する。

「終わりの見えない、果てしない作業。硬い意志さえ曲がりかける」

「そんな時はメンバーの助けを借りて...。これで再び、ハンマーが叩ける」

今度は松岡昌宏がレールを敷く。ナレーションは語る。

「終わりが見えず、途方にくれようと、一歩ずつ進めば、目的地にたどり着く。そして...」

そしてスタッフ総出で、拠点となる小屋「船屋」を基礎から作る。釘を使わず、古い造りで組み立てる小屋。完成までは困難も多い。

ナレーションは語る。

「新たに建物を建てる日も、きっとくる。この経験を体に叩き込んでおかねば」

「TOKIOだけで手が足りなければスタッフも」

「この経験を、今後の開拓に活かせる日が、いつかきっと来る。そう自分に言い聞かせるうちに、未来を気にする余裕など、なくなっていた」

瓦屋根、壁と次第に小屋は完成へと近づく。

ナレーションは、TOKIOの奮闘を「厳しい時期さえ耐え凌げば...」「知らず知らず、気が急いていた」と伝える。

二階部分の床板を張る城島の手にも、力が入る。ところが、やってもうた...。気づいた時には、階段用の穴を作り忘れていた。

そんな時、松岡が城島をフォローする。

「確かにやってしまって失敗したけどね。でもまずさ、すごいよこの空間」

城島は感極まった様子で語る。

「優しすぎんねんけど...」

「なんでそんなに優しいのお前、いつも...」

目には、涙が溢れていた。

「DASH島」では、時に台風の影響が及ぶことがある。帆船で海に出れば「転覆寸前」のテロップ。

「時には、予測を超える災難が降りかかる」

そんなナレーションが不安を誘う。

海岸にゴミが漂着するシーンも映し出された。

「できることを、ひとつづつ」。TOKIOはトロッコのレールにまとわりついたゴミを、地道に取り除く。

風雨で地盤が緩むこともあった。TOKIOは石橋をつくり、地盤を固めようとする。

ナレーションは語る。

「一度緩んだ地盤は、あてにはできない。一旦崩してかき出し、そこに新たに、二度と崩れぬ石橋を...」

「隙間があると、重みで落ち、一つ抜ければ、全てが崩れる」

「そして、二度と崩れぬよう、両脇に石垣を。石には、一つ一つ個性が...」

波と風で崩れた地盤は、石の力で再生された。

「重さがかかるほど、石はかみ合い、動かなくなる。石運びが重く、辛いほど、完成した石橋は、より強いものに...」

「荒波が何度打ち付けようと、崩れることはなく、荒れる波は、支え合う石の下を抜けていく」

ナレーションは、何かを伝えようとしているようだった。

島には豊かな自然があり、TOKIOは椿の花から椿油を抽出したこともあった。

椿油のランプを手にした城島が、夜の無人島で昆虫と出会う。

ナレーションは語る。「暗闇は、人の集中力を研ぎ澄ませる」と。

セミ、バッタ、カナブン、コクワガタ、ヒラタクワガタ、カブトムシ...城島は夜の無人島で、さまざまな虫との邂逅を果たした。

5月4日、東京・高田馬場にある「新宿DASH」の拠点。例年より早いミツバチの飛来が確認され、その居場所をつくる必要があった。国分太一は巣箱を前に、真剣な表情で語る。

「対策が必要だ」

「DASH村」以来の付き合いであるスタッフ・山口礼斗氏とともに、国分は藁をつかって蜂が過ごしやすい環境をつくる。DASH村で学んだ技術が、ここでも生かされている。新宿で絶滅しかけているニホンミツバチ。その生息地になるように...。

番組の終盤になると、福島に残してきた米の苗の話に。

ここで、黒い背景に白い文字で、こんなテロップが出される。

「ここからは番組を見てくださっている皆様に、実際の様子をそのままお伝えするため、あえてカメラを回した映像を放送します」

映し出されたのは、4月29日。山口氏が書類送検されという報道から3日後のことだった。

映し出されたのは、城島と国分が番組プロデューサーらと話し合っているところだった。例年なら今ごろ、福島での米作りに挑み、田植えをしている時期だ。

今年のDASH村での米作りをどうするか。それが議題になっていた。

番組プロデューサー「農業企画。米、新男米からずっとやってきて。ロケを進めていくのかどうなのか僕らスタッフも色々意見があって」

国分「僕たち主導で動けなくないですか。今回(米)のことは」

番組プロデューサー「実際まだ番組も、いつも一緒に米作りやっている農家さんたちだったり、(DASH)村のころからの仲間の皆さんたちに、直接顔を合わせてスタッフも話はできていないし。向こうも多分気をつかって連絡してこないとかもあるので」

城島「テレビとかDASHとか超えた部分って、ぶっちゃけあるじゃないですか。もちろんオンエアしてなんぼの世界ですけど。これはこれで、僕はその、繋げるっていう部分は、ここは罪はないような気がするんですよ」

番組プロデューサー「リミットがあって季節的な」

スタッフ「(米の苗を)植えるのは5月半ばなんですけど、その前に(田んぼに)お水をいれたりとかしなきゃいけないので。そう考えると、もうちょっと短くなりますね」

国分「今、僕らがタイムリミットに向かって動くのは、ちょっと違う気が...」

話し合いのシーンから場面が転換する。テレビには「DASH村」がある福島を訪れる城島の姿が映し出された。5月10日のことだった。

ともに米作りをしてきた人々に、城島は頭を下げる。米作りに協力している三瓶専次郎さんは城島に、今は亡きあの人の名前を出してこう語りかける。

「(三瓶)明雄さんいたら、この"大馬鹿者"って、いわっちゃかもしれんな」

三瓶明雄さんは「DASH村」の企画開始当初から、農業アドバイザーとして出演。TOKIOにとって、農作業の師匠であり、恩人だった。明雄さんは、東日本大震災から3年後の2014年にこの世を去った。

城島の目には涙が浮かぶ。しかし、三瓶さんは続けてこうも語る。

「だけど、まだまだ、まだまだって(言ったとも思う)」

「まだまだ」は、明雄さんの口癖だった言葉だ。周りの人々からも、城島にこんな声がかけられる。

「これからって、言ってると思いますよ」「大丈夫だ」

城島は涙を流し、鼻をすすりながら、頭を下げた。

三瓶さんは語る。

「今まで津島(浪江DASH村)で十何年もやって、震災の時も、地震でも、原発事故でも一緒に逃げて、一緒にここまで苦労してやってきたんだから、ここで終わらせない。またみんなで一緒にやってきて、米を育てていこう。そういう気持ちでみんな集まっています」

番組はここで終了。この続きは近日中に放送するという。

放送された映像に山口氏の姿はなく、事件についても最後まで直接語られることはなかった。