【3.11】東日本大震災を経験したセクシュアル・マイノリティの人々が、「わかりづらい話」を集める理由

震災を記録した手記として寄せられた文章に、様々な記憶が綴られている。
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東日本大震災でセクシュアル・マイノリティが体験したことを記録に残し、発信しよう――。宮城県内などで活動する団体が「レインボーアーカイブ東北」に取り組んでいる。

震災時にセクシュアル・マイノリティが必要とする支援とはなんだろうか?

こうした疑問を、レインボーアーカイブ東北プロジェクトを運営するMEMEさん、小浜耕治さん、キャシーさんの3人に聞いてみた。

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取材に答える小浜さん(左)ら

避難所のトイレやお風呂の問題、生理用品など支援物資の問題、復興住宅に同性同士で入居が難しい問題...。3人はこうした具体的な課題と必要な支援を挙げた一方、結局は「日常の延長」であり、だからこそ「レインボーアーカイブ東北」の活動を始めた、と話す。

どういうことなのだろう?

■「レインボーアーカイブ東北」とは?

「レインボーアーカイブ東北」は、LGBTQなど、多様な性の当事者たちの生の声を記録し発信することを目的に、4つの団体とせんだいメディアテークの「3がつ11にちをわすれないためにセンター」との協働プロジェクトとして始まった。

被災地で様々な経験をしたセクシュアル・マイノリティの人々が寄せた手記を記録し、センターのウェブサイト上などで公開。また、シンポジウムなどを通じて、多くの当事者の経験を集め、発信する活動を続けている。

インタビューに応じた3人は共に、宮城県内に住んでいる。

小浜耕治さん(東北HIVコミュニケーションズ)は同性のパートナーと暮らしており、性のことは比較的オープンにして活動している。震災では暮らしているマンションが大規模半壊した。

MEMEさん(♀×♀お茶っこ飲み会・仙台)は、身体は女性で、アロマンティック(何者にも恋愛感情を抱かない)・バイセクシュアル。実家が津波により浸水する被害を受けた。独り暮らしをしていたアパートは無事だったため、自身は自宅避難を続けることになった。

キャシーさん(Anego)はMtX(男でも女でもない、あるいは男でも女でもある)で、身体は男性、心は男:女が2:8程の割合。こちらも、震災で自宅は無事だったが、県内で帰宅困難者となり1週間避難所で生活した。また、震災後に熊本へ引っ越し、熊本地震の発生前に宮城に戻った。東北と熊本、両方のセクシュアル・マイノリティの活動団体との繋がりがあるという。

MEMEさんとキャシーさんの2人は、こうした活動と日常とを切り離して過ごしている所謂「クローゼット」。コミュニティ活動には加わっても、家族や周囲には話していない2人のようなスタイルは、セクシュアル・マイノリティの中では、むしろ多数派だという。

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■「予期せぬカミングアウト」の恐れが、支援につながることを阻む

震災を記録した手記として寄せられた文章にも、クローゼットの人のこんな記憶が綴られている。

一番最初にしたのは自宅の中の「セクマイ(セクシュアル・マイノリティ)系の本を隠す」こと。

「この部屋に誰か来るかもしれない。もうプライバシーはない。自分のことは後回しになる。きっと世の中が大変なことになってる」と瞬時に思って、余震が続く中、セクマイ系の本を封筒に入れてテープで封をし、棚の中に隠した。(namiheiさんの手記「セクマイ被災者」と呼ばれて

3人は活動や他団体による聞き取り調査などを通じて、トランスジェンダーの人などが、男女別に分かれていた避難所のトイレやお風呂を利用しづらい問題、生理用品など性に関わる避難物資が受け取りづらい問題、家族単位の入居しか認めていない災害公営住宅に同性カップルで住めない問題など、震災時には性にまつわる様々な問題を耳にした。

行政や避難所のボランティア、医療機関など、支援者の方々がこうしたセクシュアル・マイノリティの人々の課題を知って、望まない人がカミングアウトをせずとも過ごせる、避難所や支援のあり方を考えることが必要だと思います。そうでないと意図せぬカミングアウトを恐れて、受けられる支援を受けられない人が出てしまう。

一方で小浜さんは、いざという時、非日常の空間でそうした提案がどこまで活かされるか、不安な部分もあると話す。

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仙台市の小学校に設置された避難所(撮影日:2011年03月16日)

こうした要望をすると「皆、我慢しているのだから、セクシュアル・マイノリティを特別扱いできない」という反応が返ってくることがあります。実はそれって、行政などに何かを要望する時、日常的に私たちが投げかけられるのと同じことなんです。

意図せぬカミングアウトをしなくても支援が受けられる仕組みは必要。でもそれだけでなく、緊急時に予期せぬカミングアウトをすることになってしまっても、それをきちんと理解し受けとめる環境、人々の意識を作っていくこと、それが本当に必要なのではないでしょうか?そのためにはセクシュアル・マイノリティが社会の中で、もっと見えるようにしていかないといけないと思いました。

■「わかりにくい話」、でも一人ひとりの大事な記録

日常時も、非日常時も、セクシュアル・マイノリティは社会の中でマジョリティの人々と一緒に暮らしている。人によっては、困ったことを抱えている。それを可視化し、社会全体の問題だと捉えること。

それこそが、「レインボーアーカイブ東北」の狙いだという。だからこそ、被災地にいた一人ひとりのセクシュアル・マイノリティの体験したことを「アーカイブ」として、記録する試みを始めた。

実は、「レインボーアーカイブ東北」に寄せられた手記は、すべて「わかりづらい」話だ。

それぞれのセクシュアル・マイノリティが震災からの体験を綴っているが、どの部分がセクシュアリティと関係するのか、どの部分は誰でも共通のことなのか、それをあえて切り離していないからだ。

あえて「わかりづらい」ものをそのまま提示する背景には、MEMEさんらが震災後、支援団体などから『被災地のセクシュアル・マイノリティとして困ったこと』を何度も何度も問いかけられ、困惑したという経験がある。

私を作る要素は、セクシュアル・マイノリティだけではない。戸籍と身体は女。1人暮らし。実家が浸水した。色んな要素で私ができている。「セクシュアル・マイノリティとしての経験」を聞かれると、とても難しい。あくまで私の経験でしかないんです。その中から、私の1つの要素の経験だけを切り出して、語るというのに何となくモヤモヤした違和感を覚えたんです。

一方で、自身でも手記を書いてみて気づいたこともあるという。

とにかくありのままに書くようにしました。書いてみて、後から、「あ、この要素はセクシュアリティと関わっていたんだな」ということもわかった。

私の場合それは、「誰とも結婚しないで1人で生きていく」と決めていたことから、たくさんの食料を備蓄していて結果的に助かった、という内容だったりします。手記では、セクシュアリティは、生きていくことの中に絡み合っている、と理解していただけると思います。

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イメージ写真:震災後・品物が無くなった仙台市内のスーパー(撮影日:2011年03月20日)

また、小浜さんはこう話す。

手記の中には「自分は被災者じゃない」と訴えるものもあります。困ったことが整理され、類型化された情報や、すごく苦労した話が語られる中で、「ちょっとした辛さ」の語れなさも気になっていました。手記にはそんな話も盛り込まれていると思います。

■コミュニティの大切さに気づく

一方、震災を契機に、東北でセクシュアル・マイノリティのコミュニティが急増したという現象も起こっている。3人はそれも、「日常」の重要さに気づいたからだと指摘する。

震災直後、ネットの掲示板で「被災地のセクシュアル・マイノリティを支援しよう」という声が多数挙がりました。「困っていることを教えて」という被災地外からの温かい声もたくさん。でも実際に被災地の現場では、その瞬間、仲間が何に困っているのかどころか、無事なのかどうかさえ把握することができませんでした。

震災前、コミュニティ活動は正直な所、活発とは言えませんでした。ある沿岸部に住んでいる友人は、震災から1カ月近くも音沙汰がなく、皆、心配していたんです。結局無事だったのですが、「探している」という情報さえ本人には伝わっていなかったようでした。

プライバシーに配慮する気持ちもあり、意図的に住所や本名などの情報を入手することを避けている側面もあったという。ところが、そうした配慮が結局は仇となり、安否確認や支援の手が届きづらい状態になっていた。と小浜さんは振り返る。

震災以降、災害をテーマにしたシンポジウムなどの機会も多くなった。それだけでなく、2014年からは東北の各団体によるキャンペーンプロジェクト「東北レインボーSUMMER」が始まり、翌年からは合同で「東北レインボーSUMMERフェスティバル」も開催。こうした共同プロジェクトによって東北の各団体間でつながりが生まれ、活動の範囲や場が広がり、より多くの人たちに知ってもらえる機会が増えたという。

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「東北レインボーSUMMERフェスティバル2016」で舞台に立つ、MEMEさん(手前)とキャシーさん

それに伴って団体の数も増え、震災以前に10程度だった東北の団体は、現在50近くになったという。こうした活動の活性化は、結果的に緊急時にお互いが助け合う力になると考えている。

「セクシュアル・マイノリティ」と言っても、色々な性自認、立場の人々がいる。クローゼットの人の集まりもあれば、完全にオープンで活動している人もいて、バラバラで運営されることが多かったんです。それぞれのスタンスをわかり合いながら、一緒に連携していくという雰囲気が強くなったのは、やはり震災以後だと思います。(MEMEさん)

「普段からつながっていないと、自分を、仲間を守れない」という意識を少なからず皆が持ち始めたと思う。孤立はリスクになる。困ったときは相談してもいいんだという風に、皆が思い始めたのではないかと思います。(小浜さん)

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