東日本大震災の被災地に「情報を届ける」という使命

しばらくして気付きました。津波のありさまばかりで、「人」の情報がほとんど報じられていないということに。
|
Open Image Modal
時事通信社

「必要なのは情報だ!」

東日本大震災を目の前にして私はそう確信しました。

私は、兵庫県弁護士会に所属する弁護士です。3.11のその時、被災地から遠く離れた関西の地で、テレビ画面を通じて、次々と映し出される信じられない光景に言葉を失っていました。大地を、家を、車を、そして命を・・・次々に飲み込んでいく津波のおそろしさに恐怖し、何もできない自分が猛烈にもどかしく、ただただ無力感で唇を噛むことしかできませんでした。

しかし、しばらくして気付きました。津波のありさまばかりで、「人」の情報がほとんど報じられていないということに。メディアが人々に密着していないとなると、おそらく被災地にいる人々にも大切な情報は届いていないに違いない。避難所に詰めかけた人々は、明日のことさえ考えられずきっと茫然としているはず。しばらく経って落ち着いて我に返ったとき、必要なのは水や食料だけではなく、目の前に起こっている出来事を理解するための情報、あるいは不安を解消するための情報、とにかく生きていくための情報こそが必要となってくることでしょう。

「弁護士は非力だから災害時には役に立たない。」これは、それまでの起きた災害で何度も耳にした言葉です。たしかにそうかも知れません。しかし、だからといって何もせず、ただ傍観するだけというのは間違っている、やれることは必ずあるはずです。なぜなら、困った人たちの役に立つことが弁護士の本分であり、まさに、その状況が目の前に存在しているからです。たとえば「情報を届ける」ことが人の役に立つならば、それは弁護士の使命ではなかろうか、と。

阪神・淡路大震災の教訓

今から20年前(1995年)に起きた阪神・淡路大震災の時は、震災が起きた1月17日から9日目の1月26日から法律相談が一斉に始まりました。

阪神地域では約25万棟の家屋が全半壊あるいは焼失しました。倒壊した家に住んでいていた人、それを借りていた人、あるいは貸していた人などから相談が殺到しました。弁護士の下に寄せられた相談件数は、少なくとも数万件にのぼりました。

私は当時、弁護士の見習い(司法修習生)として、避難所でボランティア活動をしていました。せっかく法律を勉強したのだからと、被災者の方々に法律相談のまねごとをしようとしたら、避難所にいたおっちゃんから「若いあんたに教えたるわ。優先借地権っていうのはなぁ・・・」と、逆に教えられてしまいました。被災地の現場で、人々の隅々まで法律的な情報が行き渡っているのを実際に目にしたわけです。

当時の兵庫の弁護士たちは、自らも被災していたけれども、大阪の弁護士らが中心になって急ごしらえした震災法律Q&Aの冊子を手にして、自分たちの住まいに近い役所などで法律相談を展開していました。ポイントは3点あったと思います。ひとつ目は、弁護士が徹底した被災者目線で話をしていたことです。ふたつ目は、受け身の姿勢ではなくこちらから出向いていたことです。三つ目は、他の地域からの後方支援が欠かせないということです。後方支援というのは情報を被災地に届けることです。物資の支援と同じです。

弁護士は社会生活上の医師などと喩えられることがあります。被災地の現場で応急処置を行う弁護士がいるならば、そこに物資を届ける仲間も必要でしょう。私は、それをやろうと思いました。

メーリングリスト「Saigai-ben」

実は、全国の弁護士で構成される日本弁護士連合会には災害復興支援のための規程があります。その中に「弁護士会及び弁護士との情報交換」という一文があります。いざというときには、お互いに情報をやり取りして支援し合おうという根拠規定です。私は、「これだ!」と思いました。

そこで、震災から3日経った3月14日朝の会議の場で、まずメールなどを使って情報交換の場を作ろうと持ち掛けました。ところが、返ってきたのは「何か問題が起きたら困る」という反応でした。意外でした。いかにも災害を知らない弁護士らしい発言だと思いました。しかし、目の前でとんでもない問題が起きているわけですから、そんなことを言っている場合ではありません。私は、有志の弁護士たちと共に私的なメーリングリストを立ち上げました。

災害弁護士すなわち「Saigai-ben」と名付けたメーリングリストは、3月14日昼からスタートしています。参加者数は1か月で1700人、まもなく2000人を超えました。メーリングリストの運営管理の協力を呼び掛けたところ、すぐに杉岡麻子弁

護士をはじめ約20名の弁護士が手を挙げてくれました。北海道から、東北、甲信越、関西、四国、沖縄まで、「いざというとき人の役に立ちたい」という素朴な社会的使命感を持った同志が、こんなにたくさんいるのだと知り、胸が熱くなりました。

「Saigai-ben」では、たとえば安否確認とか、被災地の状況とか、現地入りするためのルートなど、今まさに起きている情報のやり取りが行われました。発災後6日目で安否確認が取れない弁護士が39人いるという投稿や、山田町から南には行けない、などの情報が寄せられました。

また、阪神淡路大震災、雲仙普賢岳噴火災害、新潟中越大震災など、これまでの災害の経験や教訓が、次々にアップされました。分厚い資料集をPDFファイルにしてネット上で共有するという試みが行われ、あっという間に質の高い災害法律データベースが構築されました。

さらに、保険の知識、金融の知識、建築土木の知識、都市計画の知識、福祉の知識、心のケアの知識、ジェンダーの知識、など、さまざまな領域に精通した弁護士たちから、最前線の専門的情報が寄せられました。とても貴重なものばかりで即戦力になる知識ばかりでした。

当時、内閣府の中で執務していた岡本正弁護士からは、政府の発信する情報や、行政が弁護士に何を求められているのか率直なコメントが寄せられ、平時ではとても考えられないコラボレーションが実現しました。

1週間に500件ほどの投稿があったため、情報の整理や、情報ニーズとのマッチングをすることも私たちの仕事でした。

小口弁護士の勇気

そんな中、小口幸人弁護士から衝撃的な投稿があったのは3月18日のことでした。その日、宮古市立河南中学校の体育館の指導員室で法律相談を実施したという報告で、限られた時間の中で6件もの相談を受け、たとえば借家の処理や、流された金銭や保険の対応など、いずれも法的なアドバイスを必要とする案件ばかり、ということでした。

私は、災害直後から相談ニーズがあると思っていました。すぐに法律家が寄り添って支える必要があると思っていました。しかし、周囲の声は「今はそれどころではない」、「もうちょっと落ち着かないと弁護士の出番はない」、「かえって迷惑ではないのか」という意見が支配的で、それを打破して実行する力が私にはありませんでした。後に聞けば、小口さんも強く反対されていたそうです。しかし、小口さんは、自らの信念に基づいてそれを突破したのです。

私はその勇気にたいへん力づけられました。素直に嬉しかったし、弁護士も頑張ろうとあらためて思いました。

そんな気持ちは、きっと全国の弁護士にも共通に伝わっただろうと思います。

同じ日、福島からの方々が多く避難されているさいたまのスーパーアリーナでも、弁護士らによるニーズ調査が始まり、併せて法律相談が行われたとの報告がありました。そこでは、住宅ローンや公共料金の支払い、子どもの学校、放射線被ばくの懸念、医療、お金の無い中で当面の生活をどうするのかなど深刻な内容ばかりでしたが、現場からリアルタイムでメーリングリストに質問がアップされ、全国の弁護士がネットを通じて直ちに回答を寄せ、それを現場で被災者に伝えるというようなスタイルも実践されました。

復興支援はやまびこのように

その後も情報交換は継続し4年近く経った今も続いています。今は復興情報を共有する場になっていますが、災害の教訓を伝承する場にもなっています。

昨年の広島豪雨災害や丹波土砂災害では、東北の弁護士たちがいち早く立ち上がり、「Saigai-ben」を通じて、広島や丹波の弁護士を支援してくれました。復興支援はやまびこのようなものだとつくづく思います。情報交換の場を常に風通しの良い環境にしておくことが大切だと考えています。

今もメーリングリストに登録する弁護士は2000人以上います。全国の弁護士たちが、被災地を見守りつづけているという証(あかし)でもあります。

(2015年2月14日「東北復興新聞」より転載)

関連記事