イングランド南西部のコーンウォール郡にある、アーサー王伝説と深い関わりのあるティンタジェル城で発見された遺構が、アーサー王の城とみられると発表された。
アーサー王は、6世紀に活躍したと言われるブリトン人の伝説的な王。円卓の騎士を従えてサクソン人と戦った。現在伝わるアーサー王伝説は13世紀ごろに完成し、円卓の騎士の活躍、聖杯伝説、王妃グィネヴィアと騎士ランスロットの恋物語などが知られる。
ティンタジェル城跡にある“ギャロス”(コーンウォール語で「権力者」の意)の像。言い伝えによると、アーサー王はこの地で誕生したとされ、考古学者は暗黒時代の宮殿がその頃に作られたという証拠が見つかったという。
12世紀に書かれたジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』によると、その時代、その場所にアーサー王がいたと考えられていた。
「これは、『ティタンジェルでアーサー王が誕生した』と最古の物語に書かれていることが真実だったと示すものだ」と、『The Lost Tomb of King Arthur』(アーサー王の失われた墓)の著者グレアム・フィリップス氏はデイリー・テレグラフに語った。
「アーサー王誕生にまつわる伝説は、それほど非現実的なものではないということだ。さらにくわしく調査する価値がある」と、フィリップス氏は語った。「歴史家たちによる、まったく新しい調査が始まる予定だ」と、考古学チームはBBCに語った。
この発見は、アーサー王伝説が真実だったと裏付けるものではないが、およそ1500年前の宮廷生活が明らかになることが期待される。陶器やガラス片、地中海から輸入されたワインやオリーブオイルの入った壺などから、広範囲で貿易をしていたことがわかる。
こちらから遺跡の横穴の1つを3Dで見ることができる。
発掘日記 ー 3Dスキャン
コーンウォールの考古学チームは2週間以上前から素晴らしい作業をしている。
このフォトグラメトリ (写真測量)の画像を見てほしい。これは南側テラスのトレンチDだ。
イングランドの歴史的建造物をほぼする団体「イングリッシュ・ヘリテッジ」のウィン・スカット氏は、壁からその場所が「非常に密集した居住区」だったことがわかった、とBBCに語った。
「それは複合建築物で、1980年代以降、多くの人々がそれを宮殿施設、ドゥムノニア王国の宮殿施設だと主張していたものです」と、スカット氏は語った。「私たちは他には手がかりを見つけていないので、そこが宮殿施設で、彼らが主張してきた通りの可能性は十分にあります」
ティンタジェル城跡を探索する観光客
サン紙によると、この宮殿は6世紀末から7世紀初めにかけてペストが流行して壊滅的な打撃を受けた際に、放棄されたとみられている。
この城が後のアーサー王伝説に結び付けられた可能性はあるが、ジェフリー・オブ・モンマスがアーサー王伝説の最初の地としてこの場所を選んだ理由はわかっていない。
「モンマスはアーサー王とコーンウォールを深く関連付けていました。コーンウォール人の伝説は、当時その地で重要な民族間の記憶として、おそらくコーンウォールの有力者たちの拠り所として共有されていたものかもしれません」とイングリッシュ・ヘリテージのウェブサイトに記述があった。「ジェフリーはロマチックな要素も評価しつつ、ドラマチックな身体的特性を記述しました」。
13世紀に建てられたティンタジェルの城跡、アーサー王伝説と深く結びつきがある。
歴史家たちは、アーサー王関連の伝説がどれほど歴史に即したものなのかを議論している。そもそもアーサー王自身が実在したのか、架空の人物なのかもわかっていない。しかし、千年もの間語り継がれ、大衆文化にもたらした影響は否定できない。ガイ・リッチー監督がこの伝説を描いた新作映画「キング・アーサー:レジェンド・オブ・ソード」が2017年公開される。
ティンタジェル城跡づたいにある歩道。
ティンタジェル城の新しい発見は、アーサー王伝説に新しい光を当てるものではないが、あまり知られていない時代の歴史について詳しく教えてくれる。
「高い地位の人が住んでいた建物はおそらく宮殿だと思われますが、この遺構はティンタジェルに対する私たちの考え方を変えました」と、スカット氏はインディペンデント紙に語った。「ローマ帝国統治時代のイギリスの崩壊に続き、歴史的にあまり知られていない世紀で、重要な場所でどのような生活があったのか、詳細が明らかになるでしょう」
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
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