筆者は「チケット転売問題」とは、いわゆる「チケットの転売に関する諸問題」という表層のレベルだけではなく、音楽業界の構造的な課題の象徴であり、その背後に極めて重大な問題を孕んでいると考えている。
その「重大な問題」について検討するにあたり、まずは、下図をご覧いただきたい。
図 1 レコード産業の生産高の推移(米国と日本の比較)
(資料)米国のデータはアメリカレコード協会 (Recording Industry Association of America, RIAA)"Year-End Industry Shipment and Revenue Statics"による。
1$=110円にて換算。なお、為替相場の変動およびインフレ率は考慮していない。
日本のデータは一般社団法人日本レコード協会(『日本のレコード産業』等)による。
このグラフから理解できることは何であろうか。
第一に、音楽業界が大きな構造転換を迎えているということである。
米国の音楽ソフト(CD、LP/EP、ミュージックビデオ等のPhysical)の生産額(Total Physical Value)は、1999年をピークとして、それ以降は急減している。
インターネットの急速に普及にともなって、2000年代前半に音楽共有サービス「ナップスター」が人気を博し、その後、アップルのiTunesやYouTubeなどが登場したことにより、かつてはCD(またはレコード)というパッケージ・メディアを通じて音楽を供給していたビジネスモデルが、従来通りには成り立たなくなってきているのである。
実際に2016年現在の米国の音楽ソフトの市場規模は、ピークであった1999年のわずか11.5%にまで縮減している。
第二に、日本の音楽ソフトの生産額も米国と同様に減少しているが、その減少の度合いが緩やかであるため、2012年頃に日本が米国を抜いて、世界最大の音楽ソフト(特にCD)の生産/消費国となっていたのである。
そして、日本人はモノに対するフェティッシュなこだわりを有しているので、今後どれだけ音楽配信が進展したとしても、CDの愛好者は一定数残るであろうと推測される。
第三に、米国において2011年以降は、音楽配信(サブスクリプション、ストリーミング、ダウンロード等)の売上金額が音楽ソフトの生産額を抜いているという事実である。
音楽配信の導入当初は、たとえばiTunesでダウンロードした曲は他のデバイスでは聴くことができないというような、ユーザーにとって使い勝手が悪い状況であったが、その後、だんだん縛りがとれてきて、アップル等の音楽配信事業者がDRM(デジタル著作権管理)を外すなどオープン化が進んできている。
その結果、音楽ビジネスはインターネットを通じてデジタルデータで音楽を提供するというかたちに大きく舵を切ったのである。
これに別のデータを重ねるとさらに興味深い事実が浮かび上がってくる。
米国の興業業界情報サービス大手のPollstarのデータベースによると、2016年度の北米(米国およびカナダ)におけるコンサートの売り上げは合計90億ドル(1$=110円で換算すると9,900億円)に達している (1)。
この市場規模は、音楽ソフトとの比較ではもちろんのこと、急伸している音楽配信の売り上げよりもはるかに大きいのである。
Pollstarによると、20年前のチケット売り上げはわずか10億ドルであったとのことであり、この20年間で約9倍に急拡大していることとなる。
このようなコンサートの売り上げ拡大に、有名アーティストも同調した行動をとっている。
ワシントンポスト誌によると、「ポップスの女王」とも呼ばれるマドンナが、2007年10月にワーナーミュージックから移籍して、ライブ・ネイションと10年間で1億2000万ドルの包括的契約を締結した (2)。
このライブ・ネイション社(Live Nation Inc.)とは2005年に設立された新興企業であるが、新興でありながらも、現在では米国最大手のイベント興行会社となっている。
同誌によると、マドンナは「音楽ビジネスのパラダイムは変化してきており、アーティストとして、またビジネス・ウーマンとして、私はその変化に対処しなければならい」とコメントしている。
このマドンナの移籍が一つの象徴であるが、音楽業界のビジネス構造が抜本的に変化しており、もはやCD販売ではなく、今やライブが主な収入源となってきているのである。
一方で、米国と同様に、日本のコンサート・ビジネスの市場規模も拡大している。
下図の通り、一般社団法人コンサートプロモーターズ協会のデータによると、概ね2010年以降、日本のコンサート・ビジネスの売上額は急増しており、既に音楽ソフトの生産額を上回っているのである。
ちなみに、このデータは、同協会の正会員社のみが調査対象であり、また、グッズなどの売上は計上しておらず、チケット売り上げのみが対象である。
すなわち、日本全体のライブ市場の規模は、さらに巨大なものであると理解できる。
図 2 日本における音楽ビジネスの売上額の推移(単位:億円)
(資料)「音楽ソフト」および「音楽配信」のデータは一般社団法人日本レコード協会(『日本のレコード産業』等)による (3)。「コンサート」のデータは、一般社団法人コンサートプロモーターズ協会による(会員社 62社を対象とするデータ)。
ただし、こうした音楽ソフトからコンサート・ビジネスへの移行には、実は大きな問題が潜んでいる。
マドンナに代表されるように、従来型のビジネスモデルであるCDの販売等でビッグネームとなったアーティストは、現状の構造変革に対して、「ライブで稼ぐ」というビジネスモデルに転換すればよいかもしれないが、これからデビューをして売り出していくアーティストにとっては、実は確たるビジネスモデルが存在していないのである。
すなわち、CDの販売が順調であった時代には、レコード会社が一方ではビッグ・アーティストを擁して、その一方で新人アーティストを発掘・育成するという、社内留保を活用した広義の金融機能を担っていたが、ビジネスパラダイムが変換していく中で、時勢に対応した新たなエコ・システムはまだ確立されていない。
換言すると、次代を担う新しいアーティストを育成する仕組みの担保が、現在の音楽業界には欠けているのである。
このことが、昨今のパッケージからコンサート・ビジネスへの移行、ひいては「チケット転売問題」の背後に隠された、音楽業界の極めて大きな問題なのである。
1 Pollstar Website<https://www.pollstarpro.com/NewsContent.aspx?cat=&com=1&ArticleID=828813>
2 Washingtonpost(2007年10月16日)<http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/10/16/AR2007101600917.html>
3 一般社団法人コンサートプロモーターズ協会
<http://www.acpc.or.jp/marketing/transition/>