今回のフランス大統領選挙ではEU懐疑派のル・ペン候補の動向が大きな注目を浴びた。移民というマイノリティーの問題が一つの争点だった。トランプ大統領がすすめる「アメリカ第一」という保護主義においても、外国人入国制限でアメリカ中が揺れ、メキシコとの国境管理も話題になっている。これらは、昨今の大量移民・難民流入に関連して、ヨーロッパやアメリカのみならず、世界全体に関わる深い問題だ。
また、イスラム教徒など他宗教の移民・難民が多いことから、宗教の寛容にも関わる。日本では、人口減の対処策として移民を受け入れる一方、彼らの権利問題も浮き彫りになってきた。観光政策においても、これまで整備されてこなかった異文化や多宗教の受け入れ体制が進められている。このような状況において、他者に対する「寛容」はまさに国際議論の大きなテーマになってきているのではないか。
さて、先日興味深い話がハフポストに掲載された。
これはオランダ人ジャーナリストのマルク・シャバン氏のインタビュー記事である。3月中旬に行われたオランダ総選挙に触れながら、オランダの移民政策やオランダ人の寛容について語ったものだ。日本人には馴染みが薄いかもしれないが、国際的には「寛容な(tolerant)」というのはオランダ人の代名詞とされている。そこで本稿では、オランダと日本における寛容のあり方について、移民問題に焦点をあてて、今一度考えてみたいと思う。筆者はオランダに7年在住したので、その経験と知見が役に立つのではないかと思う。
地理・歴史
紹介した記事の題名にもある通り、寛容はオランダ人の代名詞だ。しかし、果たして本当にそうなのか?
結論からすれば、寛容にならざるを得なかったというのが私の持論である。そして、その原因は二つあると考える。一つは受動的・国内要因であり、もう一つは能動的・国外要因である。前者は主に、オランダという地理的性格に求められる。ヨーロッパの北部にあるが、ほぼ中心線上に位置している。北はイギリス、東にドイツ、西にはEU本部のあるベルギーをはさんでフランス。EUの設立国や主要国に囲まれているのがよくわかる。
その立地を武器にライン川の河口にヨーロッパ最大の港を持ち、スキポール国際空港はハブ空港の役割を果たしている。首都アムステルダムに行けば、ブリュッセル・パリさらには、ロンドンという主要都市を結ぶ高速鉄道網の一部である関係上、構内アナウンスも4カ国語で行われる状態だ。つまりここは交通の要衝であり、人が集まり、通過する場所である。
一方、イギリスと異なり、海に囲まれていない。また、ルクセンブルク・スイス・オーストリアなどの山がちな国とも違い、永延と平坦な国だ。すなわち、人の流れを止める方法がない。これが国内において、受動的に寛容にならざるをえなかった点であるが、その様子は歴史の中にも見て取れる。
スキポール空港駅
地政学的にみて、平坦な土地が歴史に与えた影響も大きい。国土の四分の一が海面下にあるというだけあって、オランダの歴史は海との闘いであり、治水・干拓の歴史でもあった。シャバン氏の指摘する「ポルダー・モデル」は、干拓における他者との協力と合意形成の過程で作られてきたもので、合理主義からきている。
また、オランダは、長い間挟まれた大国の侵入を受け、その傘下にあった。ローマ帝国・フランク王国の後は、神聖ローマ帝国の一部だった。15世紀からオーストリアのハプスブルク領となったが、帝国分裂後は、カトリックのスペイン・ハプスブルク領に属した。宗教改革後、プロテスタントが主流のネーデルラント17州は反乱を起こして、オランダ独立戦争(1568年)に突入。1648年のウェストファリア条約で北部7州がようやく独立を果たした。
この時期、二番目の能動的・国外要因が登場する。オランダは17世紀に世界中に商船を派遣し、貿易国として発展し、自由・繁栄を謳歌した。この点、植民地政策は、布教を目的としたポルトガルや軍事力を背景にしたイギリスの植民地政策と一線を画す。
要するに、お金を儲けるのに相手の宗教や文化は関係なく、商売には寛容が必要となるのだ。貿易を成功させるという現実主義ために、国外では能動的に寛容に振る舞ったのだと推測できる。その後フランス革命とナポレオンによって占領された。ウィーン会議でネーデルラント王国が成立したものの、1830年にベルギーが独立した。第一次大戦では中立だったが、第二次大戦ではドイツに占領された。
オランダの寛容さはこうした背景があってのことだと思われるが、寛容に関してよく議論される点は、麻薬、売春、LGBT、移民、宗教、安楽死などがあり、そのリベラルな思想がはっきりとわかる。今回は移民に絞ってみてゆくが、興味深い他の事項はまたの機会に触れることにしよう。以下、学術論文だが、オランダの寛容政策や合意モデルに詳しい田中(斎藤)理恵子さんの「オランダモデル」の文化的背景 -合意と共存のコミュニティ形成- 」の記述を参考にしながら、筆者の経験を重ねてみてみることにしよう。
柱状化社会と移民教育
19世紀以降1970年代頃まで、オランダは柱状化と呼ばれる社会を形成してきた。大きく分けて、カトリック、プロテスタント、社会主義、リベラル派という4つの社会集団(=柱)がそれぞれ、学校、スポーツや文化団体、労働組合、社会保険、新聞や放送局などを組織し、平等だが並列した社会が成立していた。現在ではこの体制は廃れたが、様々な状況でその文化は残っているという。
一方、戦後受け入れてきた移民に対しては教育機会平等を目指す政策が採られた。例えば、キリスト教各派に限らず、イスラム教、ヒンズー教なども規定の条件を満たせば、全額国庫補助で学校の運営が可能となっている。また、正規のカリキュラムで、週2.5時間までの母語や文化維持教育が認められている。イスラム系移民など文化的差異の大きな移民にとっては意義深い。
さらに、移民・非移民の双方向の社会参加を促すために、全てのオランダの学校では異文化教育が実践されている。余談だが、私もオランダの小・中学校で日本紹介の授業を受け持ったことがある。
これらの移民制度は非常に寛容に思える政策だが、柱状化社会の伝統と照らし合わせると、表面的な分離政策ともとれる。つまり、オランダ人が様々な宗教や人種、国籍を容認する一方、移民はその教育基盤をもとに、自由な社会を形成する可能性を持つことになる。彼らが「閉じられた社会集団」になる可能性もあるわけである。
事実、寺本の研究によると、こうしたイスラム移民の柱状化に含まれたのは多数派であるトルコ人やモロッコ人だとし、そのなかに少数派のクルド人が含まれなかったと報告している。シャバン氏によると、50・60年代、オランダ人が短期労働者(ゲストワーカー)として移住を勧めてきたイスラム系移民は、永住権を得て家族を呼び寄せたという。ドイツでもこうした状況がみられ、ドイツ社会への統合が議論されている。
こうして、彼らも新しい柱を形成してきたのだ。しかし、この「寛容的な政策」の結果として、それぞれの社会集団が本当にわかり合うようになったかは疑問である。シャバン氏も、この点を指摘している。
世界の宗教シンボル
寛容の意味と分離社会
ここでtolerantという英語をひいてみよう。ケンブリッジ辞書によると、「自身とは違う意見や信念を受け入れようとすること。ただし、それを同意したり認めたりするとは限らない」。これまで細かい定義を知らなかったのだが、この後半部分が肝心だ。外国人に関して言えば、私は、どちらかといえば、オランダ人は「生粋の」オランダ人を侵害しないという条件において寛容なのだと思う。この点でもシャバン氏と意見が一致する。
各種宗教や人種、国籍、移民のもつ異なる文化や価値観、ライフスタイル。これらを受け入れる気持ちや体制はある。地勢的観点からも現実的な判断だ。しかし、本音の部分では、それらに同意したり、認めたわけではないのかもしれない。もちろん自身と異なるものを認知し、許容することは容易ではないから、これはこれで非常にポジティブに評価すべき点であろう。
しかし同時に、異なる社会集団の許容と形成、その「レッテル貼り」自体が生粋のオランダ人(あるいはオランダに既存の社会集団)と移民とを隔てることに一躍買ってもいるとも言えるわけである。10年も前の話になるが、オランダの寛容・多民族政策の失敗というBBCの記事も参考になる。
また、内藤正典さんの「ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か」では、ドイツ、イギリス、フランス、オランダのイスラム移民の事例が報告されていて興味深い。各国の文化や移民政策の違いと共に、移民の社会統合の状況(難しさ)が描かれている。
オランダではナチス・ドイツの苦い経験を目の当たりにしているからこそ、公然と人種差別は行えない。あの「アンネの日記」がアムステルダムで起こった出来事だということを思い出していただきたい。しかし、個人的には、柱状化社会の知識を得る以前から、外国人の人種「分離」の傾向を感じとっていた。
オランダの大都市にはトルコ、モロッコ、スリナム、インドネシアやインド、パキスタン、そしてポーランドや旧ユーゴスラビアなどの東欧諸国移民が住む密集地区がある。そして、2015年に大問題となった移民・難民のヨーロッパ大量流入の以前から、こうした移民を中心とした不法入国・滞在・労働などが話題となっている状態だった。
今回のオランダ総選挙で第二党となった極右政党を率いるウィルダース議員の反イスラム的、差別的発言もこのような背景があってのことだ。また、オランダではこれ以前にもインパクトのある二つの殺人事件が起こっている。2002年に政治家ピム・フォルトゥインが殺害され、2004年には画家ゴッホの弟の曾孫にあたるテオ・ファン・ゴッホ映画監督が暗殺されている。詳細は小林恭子さんの記事に譲るが、両氏ともイスラムや移民関係の過激発言で知られており、関連性は否めない。
また、公共機関のブルー・カラー従業員(たとえば掃除員)はインドネシア・インド・スリナムなどの有色人種がほとんどであった。これは旧植民地から雇った家事・手伝いという趣で、まるで19世紀を思わせる風景があちらこちらに散見される。無論こうした移民の社会浸透の傾向はヨーロッパのみならず先進国に共通しているともいえるのだが、移民の影響とヨーロッパの階級社会を見るような複雑な気分になったものだ。
ビジネスと中期滞在移民
ここで少し角度を変えてみよう。オランダのビジネス移民についてである。オランダは概してビジネス上手な国だが、その裏側にも寛容さがみられるのだ。
オランダはなぜヨーロッパでも経済的に上手くいっている方なのか。その一つの解答はその競争力にあるだろう。競争力を高めるためにはいい人材を確保する必要がある。そして、それはオランダ国外からももたらされる。
先述したようにオランダ人は、彼らがやりたがらない単純労働を低賃金移民でまかなう一方、知的労働者を確保するための寛容策も打ってある。まず、ある一定の所得を満たせば、ビザの発給手続きが大幅に簡略化される。さらに、中間管理職レベルになると、30%もの所得税が免除される。また、国際企業や組織にとっても魅力的な場を提供する。他のヨーロッパ諸国に比べビジネスを展開するハードルが低く、オランダ側も積極的に誘致している。
私はこれまで国際組織がオランダに集中する様子をみてきたし、「高所得者移民」が集まる環境が整っているように感じた。このように、外国人の上下両階級のバランスをとりながら、移民受け入れをするしたたかさをもっているとは言えないだろうか?
そんな外国人に入りやすい環境がある一方で、中期滞在者も多いようだ。あえて短期や長期と書かないのは、一年以上数年未満という意味を込めている。オランダ人と結婚でもしなければ、この国は永住するよりも、出入りがすることが多い。入り口も広いが出口も広いのである。次の話題と関わるが、何年もオランダに住んでもオランダ語をほとんど話せない外国人は非常に多い。
ここでは、質の高い教育を受けてこなかったブルーカラーの移民の話だけをしているわけではない。経験上、外国人全般に当てはまるのだ。オランダ語の難しさを考慮しても、その原因は異動が多いことにもあるように思われる。留学、国際企業での赴任、国際機関での勤務など、彼らは数年は滞在するものの、オランダに定住するわけではないと、割り切っている部分もある。その分、「出入り自由」という寛容さは心地よい。
言語
ヨーロッパの移民統合政策でよく問題になるのが言葉の習得だ。筆者が現在住むオーストリアでは、移民(日本人を含む「外国人」)にドイツ語教室の割引クーポンが提供されている。このことからもヨーロッパ各国では移民とのスムーズなコミュニケーションすなわち、言語の習得を重要視していることがわかるだろう(私の知る限り、2014年時点オランダにこうしたクーポン制度はなかった)。
話がそれるが、EU統合が人種のるつぼアメリカの連邦制と異なる点に、文化や民主主義の基盤として多言語を尊重していることが挙げられる。
ところが、移民に寛容なオランダ人が寛容でないものの一つに挙げられるのが言語なのである。実はオランダ人にオランダ語を話させるのには相当な努力を必要とする。
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まず、オランダに移住してくる非オランダ語圏外国人でオランダ語がいきなり喋れる人はまずいない。そこで必然的に英語を使う可能性が高くなる。なぜならほとんどのオランダ人は英語が流暢だからだ。対して、スペイン、イタリア、フランス、ドイツなど英語が話せない人口も多い大国では、外国人は無理にでもその国の言語を勉強せざるを得ない。ところが、オランダでは英語で済んでしまうのである。
また、オランダ人は効率を好むことも指摘しておきたい。すなわち、オランダ語が話せても、ある程度流暢に話せなければ、付き合ってくれないのである。「英語の方が効率がいい!」というわけである。これはオランダ語を習得したいと努力し、オランダ社会に融合したい外国人には時に失礼な態度に映る(筆者が採った対策はいつか話したい)。ほとんどの場面において英語で事足りるという面では寛容であり、前出の高所得者移民にとっても言葉のストレスを感じさせない環境があることは認めよう。
しかし、残念ながらオランダ語に関しては寛容であるとは言いがたい。これは移民をゲストとして扱う傾向を示すものであり、移民の真の社会統合を妨げる一因になっているとも言えるだろう。
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