【タイのクーデター】陸軍総司令官はなぜ決断したのか

タイのプラユット陸軍総司令官は22日、対立する政府派・反政府派の指導者らをバンコク市内の陸軍施設に集め、半年にわたって続いている政治混乱の収束を目指した。 しかし、会議開始から約1時間後、プラユット氏の我慢は限界に達した。 会議に立ち会った関係者によると、プラユット氏は出席者に向かって「この国に平和をもたらす方法が見つからず、誰も引き下がろうとしない。
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Reuters

[バンコク 22日 ロイター] - タイのプラユット陸軍総司令官は22日、対立する政府派・反政府派の指導者らをバンコク市内の陸軍施設に集め、半年にわたって続いている政治混乱の収束を目指した。

しかし、会議開始から約1時間後、プラユット氏の我慢は限界に達した。

会議に立ち会った関係者によると、プラユット氏は出席者に向かって「この国に平和をもたらす方法が見つからず、誰も引き下がろうとしない。それなら、私が権力を握ることを宣言したい」と、落ち着いた様子で話したという。

「全員、静かに座っているように」。これがプラユット氏が発した言葉だった。

タイのクーデターが成功するのは1932年に立憲君主制に移行して以来、12度目。プラユット氏がクーデターを決断した背景には、対立する双方が態度を変える兆候がなかったことにある。

会議に出席した関係者2人は、インラック政権の幹部らが辞任しない意向を示したと説明。インラック前首相は2週間前に憲法裁判所の判決で失職したが、閣僚らは暫定政府として政権運営を担っていた。

関係者は「つまり、誰もが何にも同意しなかった」と会議が不調に終わったと語る。

事態が急変したのは、反政府派指導者のステープ元副首相がプラユット氏と話をさせてほしいと申し出、そこに政府派の指導者Jatuporn Prompan氏を招いた時だった。会議参加者らはその場の会話の内容については分からないとしているが、プラユット氏にとってはそこが我慢の限界になったようだ。

「その後、事態は急展開した」。会議に出席した政府派の指導者の1人は、こう振り返る。プラユット氏が会場を後にすると、兵士が会議場に入ってきたという。

その後、プラユット氏がテレビでクーデターを宣言したが、会議場の陸軍施設では兵士らがステープ氏を取り囲み、同氏を車で連れ出した。施設の外にいたメディアは、この様子で何か異変が起きたことを初めて知った。

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