サイボウズ式編集部より:著名ブロガーをサイボウズ外部から招いて、チームワークに関するコラムを執筆いただく「ブロガーズ・コラム」。はせおやさいさんが考える「チーム運営で意見を1つの視点ととらえることの大切さ」。
こんにちは。はせおやさいです。
チームで一緒に働く仲間とはいえど、それぞれの正義やそれぞれの理念があります。アウトプットの表現方法は、必ずしも自分と同じとは限りません。今回はそういう「みんな違ってあたりまえ」に気付けず、失敗しそうになったときの話を書きたいと思います。
チームメンバーと大喧嘩したときの話
そのときのわたしは20代後半。いくつかプロジェクトをこなし実績もできたので、ある大きな案件の担当として奮起していました。誰もが知っている会社と大規模なサービスを企画・提供しましょう、という契約が固まりかけていたからです。自分でも初めてに近い規模の大きな案件で、苦労は多いものの、さまざまな関係部署への調整に走る日々を楽しんでいました。
契約の骨子がほぼ固まり、次はサービスの詳細な仕様を固めて、最終的な契約金額に落とし込めたらいざスタート、という段階まで話が進みました。わたしは社内に戻り、自分のチームのエンジニアに案件について概要を説明し「技術的な見積りを立てる必要があるから、相談に乗ってほしい」と依頼しました。
もちろん、事前にチーム内で案件が動いていることは共有していたので、当たり前のように協力してくれるものと思っていたところ、まさかの全否定......。
「規模が大きすぎて技術的な負荷が高い」「いくらもらっても、うちでは対応しきれるわけがない」、さらには「そのサービス、うちでやる必要あるの?」とまで言われました。
こんなに大きな案件を受注できたら、売り上げも実績もダントツでつくし、みんな喜んでくれるはず! そう思っていたわたしのプライドは思いっきりへし折られ、大口論となりました。「予算が足りないなら取ってくる」「スケジュールが短いなら交渉してくる」といってもダメ。あまりのくやしさに業務用エレベーターに隠れて泣いたことをよく覚えています。
メソメソ泣いていても仕事は進むわけで、資料の締切も迫ってきます。どうしようと途方に暮れてしまいました。
「なぜ、彼はそんなことを言ったんだろう?」
泣いても提出期限は待ってくれるわけがなく、仕方がないので分からないなりに技術資料を作らねばなりません。ひとまず、自分がよくわかっていない部分の基礎知識を勉強し、なんとかエンジニアの彼と話しができる糸口を見つけよう、と思いました。
根っからの文系なので技術的なことはサッパリでしたが、幸か不幸か、ほかのチームのエンジニアが書籍や資料を貸してくれたり、質問にも応じてくれたりしました。数日かけて、ひとまず相手の話になんとかついていける状態まで知識をつけたとき、ハッと気付きました。
今までの自分は、あまりにも相手の仕事を知らなさすぎて、こちらの要望を伝えれば、彼の知識の範囲で「うまいこと」やってくれるだろうと、どこかに甘えがあったこと。
「技術的なことなんて、分かるはずがない」と思って逃げていたけれど、自分がこういうサービスを作りたい、そのためにはどうしたらいいのか知る必要があるという目的があれば、分からないなりにも、なんとか話についていけるまでにはなるのだということ。
分からないことは、素直に分からないといって聞けば良いのだ、ということです。
同時に、いっしょのチームで働いている彼の仕事を、わたしがまったく理解できていなかったように、彼もわたしの仕事を理解できていないのではないだろうか、ということにも思い至りました。
分かり合えているはずなんてない、から始めた
ひとまず周りの助けを得て資料の体裁を整え、自分でも技術面の説明ができる程度には知識をつけた状態で、取引先に提出する前に一度、同じチームのエンジニアである彼のところに行きました。今度は丸投げではなく、作った資料のレビューをしてほしい、という前提で。
資料のレビューをしてもらう前に「なぜ、この案件をわたしがやりたいと思っているのか」を説明しました。確かに今のチームにとっては分不相応なレベルの案件かもしれないが、この企画にはこういう目的があり、こういう使命を感じている。だからやるべきだと思っているし、できないことは解決していきたい。その実現をこういう形で考えてきたので、ダメ出しも含めプロとして力を貸してほしい、ということを伝えました。
ちょうどそのとき読んでいた本に「WHYからはじめよ」という1冊がありました。簡単に説明すると、その内容は人を動かすためには、「WHY」→「HOW」→「WHAT」の順番が大切であり、まず「WHY」、なぜそれをやるべきなのかから伝えるべきだというものでした。
それまでのわたしは「同じチームなんだから、目的は共有できているだろう」「わたしがなぜこんなにも必死で案件をまとめようとしているか、いちいち説明せずとも、きっと理解してくれているだろう」と思い込んでいて、「WHY」の説明をサボっていたんですね。
チームの仲間なんだから当然でしょという子供じみた甘えがあったんです。「WHY」の部分の説明を飛ばし、「HOW」や「WHAT」の部分だけを彼に説明して、力を貸してくれと無理強いしても、案件の規模が大きかった分、ネガティブな反応になっても仕方がありませんでした。
そこで、自分でも想定されるリスクを理解したうえで、それでも「なぜ」やるべきだと思っているのか。そのことについて言葉を尽くして説明し、理解してもらうことに時間を割いてみようと思ったのでした。
あと一歩だけ、踏み込んでみる
結果、相手も歩み寄りを見せてくれ(根負け、とも言うかもしれませんが)、実際の最終提案までこぎつけることができました。まず「WHY」から説明することを意識したからなのか、わたしの「WHY」を彼が理解してくれたからなのか、企画を相談すると逆に技術的な視点から「もっとこういうこともできるけど」と新たな提案をしてくれたり、事前に想定されるリスクを洗い出してくれるようになりました。
つまり、彼自身も「頼まれたからやる」ではなく、「チームメイトとして一緒に取り組む」という姿勢をとるようになってくれたのです。それは「何をやるか」ではなく「なぜやるか」を理解してもらえたからだ、と感じています。
目的に至るためであれば、手段を変更して構わないケースが多々あります。自分が考えて選んだ手段が、必ずしもベストではない可能性もあります。そのためにチームがあり、様々な視点をもつことのメリットがあるのだ、ということ実感できました。
この経験を通じてわたし自身、相手の領域について「分からないから、知らないから」と言って逃げずに、分からないなりに知りたい、理解したい、という姿勢を示していくことが大切だと学びました。
同時に、わたしが相手のことを理解していないのと同じくらい、相手もわたしがやりたいことや考えていることを理解できていない、という前提を身につけることができました。この習慣は、いつどこでどんな人が見ても、自分の企画の意義と目的を伝えられるようにする良い訓練になりました。
「WHY」を常に考えよう
ふり返ってみると、わたしが「WHY」の説明をサボっていたのは、自分自身でもそこまで突き詰めて考えていなかったからかもしれない、と感じます。
突き詰めて考えるのはめんどうだし、説明を省いて済むなら、正直そのほうが楽です。なのですが、楽さに流れ、取り返しのない失敗をしてしまうこともある。そのために、「WHY」をいつどこで誰にでも説明できるよう、筋トレのようなものだと思って常に考える習慣をつけました。
そうすると、議論の反射神経が鍛えられたように、いつどんなふうに質問されても、即座にYES/NOの意思決定ができるようになったのです。根本の「WHY」さえ自分の中ではっきり決まっていれば、あとはそれをどうやって実現するかだけ。
選択肢がどれだけ増えても、「何のためにやるのか」が明確であれば、短時間でベストを探し判断しやすくなったのです。これは公私ともにも使える反射神経になり、わたしのその後を支える頼もしいスキルとなりました。
もし、相手に自分のやりたいことがなかなか伝わらない、チームの仲間やパートナーがどうしても思うように動いてくれない、と悩んだとき、まず「相手と自分は別の人間で、分かり合えているはずがない」からスタートし、自分が相手に「WHY」をしっかり伝えられているか? をふり返ってみるといいかもしれません。
今日はそんな感じです。
チャオ!
イラスト:マツナガエイコ
(*)コラムのイラストは、サイモン・シネック氏の「ゴールデン・サークル」をもとに作成しました。
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本記事は、2015年11月12日のサイボウズ式掲載記事「言わなくても分かっているだろう」という甘えより転載しました。