「◯◯さんが、期待通りの仕事をしてくれない…」そんな悩みを解消した同僚の一言

相手の心を折らずに、思いを伝える方法とは。
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RunPhoto via Getty Images

ちょうど3年前の話だ。 私はメンターの前で大量の愚痴をこぼしていた。

「◯◯さんが、期待通りの仕事をしてくれない...」

「家族が、家のことに協力してくれない...」

「子供が、ちっとも勉強しない...」

「こないだ買った本が、クソつまらなかった...」

ハフポスト日本版の副編集長になって半月ほど経った頃だったと思う。仕事や家族の悩みから趣味の話に至るまで、思いつく限りのイライラをぶちまけていた。

メンターは、かつての職場の上司だった近藤さん。肴をつまみながら黙って聞いていたが、1時間も経った頃に、しょうがないなあという顔をして、こう言った。

「それはきっと、他人に期待しすぎてるんだよ」

何を言っているのか、さっぱりわからなかった。誰かに対する不満なら、いくらでも湧いてくる。なのに、期待なんかできるわけがないじゃないか。

「いいや。それは、相手に『何かをしてほしい』って、期待しているんだよ。 その期待が裏切られているから、イライラするんだよ」

そうは言っても、「誰かに何かをしてほしい」という感情って、普通じゃん? "期待"しないでいるなんて、できないよ!

だから聞いた。

「近藤さんは、他人に期待することは、ないんですか?」

すると、何を言っても今はどうせ聞かないんだろうという顔で、こう返してきた。

「そりゃ、期待したこともあったよ。

和田さん(私のことだ)に期待して、がっかりしたこともあったしね(笑)。

でも、最近は、勝手な期待はしないようになった。

『◯◯をしてほしい』って、きちんと相手に言わないんだったら、こっちが勝手に期待しているだけなんだよ。

相手は僕の考えていることなんて聞いてないから、どう振る舞おうと勝手だし、結果が僕の期待どおりにならなくたって、『知らんがな』って感じなんだよね。

それって、こっちが勝手に相手のことをあれこれ考えて、時間を消費しているだけなんだよ

...理論はわかる。恐らく正しいということもわかる。

だけど、私は納得できなかった。

(状況が良くならないのは、◯◯さんのせいだ)

(◯◯さん、こうしてくれるといいのに...)

冷静さではなく、誰かへの怒りと不満が、私を支配していた。

そう、メンターが期待していなかった通り、私はキクミミを持てなかった。

結果、どうなったかと言うと...

それから数カ月たっても、腹立たしさはそのまま...状況は全く良くならないどころか、むしろ悪化した。

それも、一番影響を被ったのは、私自身だった。仕事のパフォーマンスに現れたのだ。

記事もいまいち。ミスを連発。今思うと、ちっとも頭が回っていない状態だったと思う。

原因は、睡眠不足だった。

当時、私は布団に入ってからも、イライラの正体についてあれこれ"考え"、気がつけば1〜2時間経っていることもよくあった。

だからといって、心がスッキリするわけでもない。

むしろ、眠ることで体力が回復できるはずだったのに、その時間が別のことに使われ、疲れが抜けないまま出社。苛立つことで睡眠時間が削られ、昼間の集中力が低下していた。

解決策は2つあった。

うすうす気がついてはいたが、当時の私は、明らかに解決策から逃げていた。

1つは、悩まず、とにかく寝て忘れるという方法。

私には無理だった。私がこんなに苛立っているのに、忘れてなるものか!という感じだろうか。

私の思いを当人が知るまで、私は怒り続けると決めてしまったかのように、憤りは胸の奥に食い込んで、出て行く気配はなかった。

もう1つは、イライラの相手に、自分の気持ちを伝えるという方法だ。

これも、私はできなかった。

「私が怒っていることは、相手だって気がついているはずだ」という理想論と、「こんなことまで、相手に話さなくてはいけないのか」という残念感。

「あの人は、もうこういう立場/年齢なのだから、分かって当然。出来てしかるべき。なのにやらないなんて...」なんて思っていた。

うまくいかないことは、全て誰かのせい。それは、私ではなく本人が解決しなくちゃ... そんな思いでいっぱいだった。そもそも、不満のある相手と話すこと自体も、嫌だった。

不満タラタラにも関わらず、自分のパフォーマンスすらあげられない...

職場のトラブルも解決できない...

同僚が辞めていく...

ストレスで髪の毛も抜けはじめ、私は通販でかつらを買った。

近藤さんに相談してから、半年が経っていた。

状況が一変したのは、同僚の一言だった。

そんなある日、突然私は同僚に廊下で呼び止められ、こうなじられた。

「あのさあ和田さん、チクるような真似しないで、直接言ってよ」

後で知ったのだが、私の愚痴を聞いた当時の経営陣のひとりが、私の思いの一部を、それとはなしに、同僚に伝えてくださっていた。

「こっちも子供じゃないんだから。言ってくれたら、聞くってば」

声を荒げてとがめられ、私は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

なんて、中学生みたいなことをしてしまったんだろう。なぜ、本人に直接、言えなかったんだろう。

私、サイテーだ...。

しかし、幸いにして、私の心は、ポッキリとは折れずにすんだ。というのも、その時同時に、とても救われていたからだ。

なんといっても、問題に対して話すとっかかりができた。

それに、同僚は私の人格ではなく、あくまでも私の具体的な行動に対して「これは嫌だ」と指摘してくれた。 「話をしてもいいよ」と、いってくれたように感じた。

私は、相手に何も伝えられていなかったことを謝罪した。相手の話を素直に聞けるようになった私がいた。

実際に話を聞いてみると、私をイラつかせていた同僚の行動のなかには、私が考えていたこととは全く別の視点からの行動もあった。その視点が、私には不足していただけだった。

この同僚のおかげで、自分のイライラは、大体は自分勝手な思いから生じているのだと気がついた。

冒頭にメンターが言った、「相手に勝手に期待する」ということにも、ようやく納得できた。

「ああ、私は呪文を唱えていたんだな」

呪文は呪文だ。私は安倍晴明でも、ハーマイオニー・グレンジャーでもない。だから、心のなかで呪文なんか唱えても、十中八九、相手に伝わりゃしない。

効きもしない呪文のために、自分の時間を激しく無駄にしていたっていうわけだ。呪文は自分の中でこだまし、自分自身を呪っていただけだった。

実にアホらしい!

私のバーカ!

その後もまた、「あの人は...」と勝手に期待することが、ないわけではない。

そういう自分に気づいた時には、「あっ、私、呪文を唱えている...」といましめるのだが、毎回すぐに呪文を唱えている自分に気がつけるわけでもなく、3回ぐらい「う~ん、あの人は」と思ったころに、「あっ、私は呪文を...」とハッとするときだってある。

ただし、気づいたら、早めに相手と話をするようにしている。

「なぜ、◯◯さんはこう言ったの?」

「◯◯さんのこの行動に、私はこう感じたんだけど...」

ゆっくりと、ただし、普通の話をするかのような口調で聞く。

そして、改まってって聞くというよりも、こじれている案件こそ、ちょっとのスキマ時間を利用して聞くのが、意外と良い感じがする。会議室への移動中だとか、コーヒーを買いに行く時に、とか。 帰り道に電車で、ちょっとだけ話をすることもある。 短時間にすることで、話が長くなることもなくなるし、そのちょっとの繰り返しで、相手と話すのが嫌だという感情も、薄れていった。

おかげで、夜もとっとと寝られるようになった。モヤモヤすることも少なくなり、呪文を唱えている時間を、コーヒーを選んだり、勉強したり、アタラシイことに挑戦する時間に変えられている。

今年の年始に、久しぶりに近藤さんと再会した。

相変わらず愚痴大会でもあったが、私がちょっと楽になったことに、近藤さんも気がついたようだった。

お開きの直前、近藤さんに言われた。

「和田さん、自分を生きているね」

その一言が、結構、嬉しかった。

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時間を見直せば、アタラシイ時間が生まれる。自分が自分の時間を奪っていると認めるには、勇気が要りますが、認めたところで周りにはバレません。あなたの足を引っ張っているあなたは、いませんか?

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