「教える」は自己満足か?

やたらと教えたがる人がいます。別の言い方をすれば世話好きな人というやつです。
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誰しも一度は「人に何かを教える」という経験があるはず。フォーム、練習方法、ルールを教えるのはスポーツで必須です。また仕事でもノウハウや暗黙の了解を教えなければ新人は戦力になりません。

しかし中にはやたらと教えたがる人がいます。別の言い方をすれば世話好きな人というやつです。

あなたも後輩や新人に何か教えるとき、つい先回りして相手の問題点を指摘していませんか? 実はこの問題はすごく根深いと思うのです。

教えるのは快感である

少し前、世界一受けたい授業という番組で「叱っている時にもドーパミンが出る」という話をしていました。ドーパミンとは脳内麻薬と呼ばれるホルモンの一種で、放出されると快感を伴います。

また最新の研究では目標を達成する前にはドーパミンが放出されることが分かり、物事を達成したり行動を促進する効果があると言われています。

これ「教える」という行為にも言えると思うんです。

人の役に立って感謝されるのは嬉しいですよね。感謝の言葉を貰ったら胸の内で噛み締めたい。次も役に立てるように頑張ろう!と心に誓う人も多いはず。

ドーパミンには放出直前の行動を「上達したい」「効率化したい」という仕組みがあります。これを強化学習と呼びます。教える行為にもこの強化学習が行われているのではないでしょうか。

ドーパミンは脳内麻薬とも呼ばれます。相手の気持ちは二の次で「教えたがる人」が居るのは不思議じゃありません。

教えたい相手が「教わりたい」と思ってるとは限らない

しかし教えたい時と教えて欲しい時が一致するとは限りません。以前書いた逆上がりの記事も同じ状況ですね。

この女の子は本当に逆上がりが習得したかったのでしょうか。実は先生の行為は「ドーパミンの強化学習」に影響を受けた余計なお世話だったのかもしれません。

ところが「教える側」が上記のように快感を強化させているため、多少強引にでも教えたくなる。ここに教わる側との「溝」が生まれるのです。

「教える」は自己満足なのか?

縄跳びの技のコツや練習方法は教えることが出来ます。でも、実際に練習するのは本人です。本人がやらなければ永久に技は習得できません。それは勉強でも仕事でも同じこと。周囲が何を言おうと、本人が自分の頭と身体を使って動かなければ何も生まれません。

つまり最後まで手助けしか出来ないんです。替りに練習も勉強も出来ないんです。

自分は相手から求められた時、教える行為が成り立つと考えています。しかし口で「教えて下さい」と言えずに教えて欲しいケースもあるので事情は簡単に割り切れない。反対に社交辞令を真に受け、本当は教わりたくない相手に「教える」を押付けてしまう場合もあるでしょう。

ここは潔く「教える」は自己満足だ!!と受け入れてみてはどうでしょうか。相手のためでなく、あなた自身のために教えていると腹を括るのです。

本来、教えるのは人助けのはず。でも同時に、教える快感を暴走させないよう気をつけたいですね。

(2015年5月13日「なわとび1本で何でもできるのだ」より転載)