TBS「直撃ライブ ビビット」のBPO審議入りを決めたきっかけを作ったのは、ある女子大生のこんな一言だった。
「テレビがこんな姿勢で放送していいんですかね? 相手は同じ人間なのに…」
そんな言葉で私に食ってかかったのは、ジャーナリズムについて学んでいる教え子の女子大生Nさん(21歳)だった。
彼女はテレビの報道に対して、明らかに怒っていた。
「なんでテレビはこういう人をよってたかっていじめるような報道をするの?」
「他にもっとやるべきことはあるんじゃないですか?」
彼女は1年前、私が教えるゼミの課題で多摩川の河川敷で暮らすホームレス男性Sさんのドキュメンタリーを制作していた。70歳でホームレスをしているSさんは犬や猫合わせて約20匹とテントで暮らしている。
かつてその近くの高校に通ったことがあるNさんは偶然Sさんを見つけて、「ドキュメンタリーで撮りたい」と考えて足繁く通うようになった。気難しい面があるSさんの取材にはけっこう苦労したという。
突然、「もう撮影は止めてほしい」と言われたこともあったが、彼女は粘り強く通い続け、Sさんの信頼を勝ち得るようになった。
本人の許可を得た末の取材の成果を15分程度の映像作品に仕上げた。人に捨てられた犬猫を見ると放っておけない社会の底辺で生きる初老のホームレスとペットブームの陰で傷つく動物との奇妙な共存生活を描いた心優しい物語。
どこかユーモラスで人間の弱さや動物への共感、人が持つこだわりへの柔らかい眼差しを感じさせるその作品は、ドキュメンタリー映画のコンクールでも高く評価されて入賞していた。
ところがこのSさんがその後、匿名とはいえ、テレビのニュースなどでバッシングの対象になり始めた。そのことでNさんは心を痛めていたのだ。
Sさんが放し飼いする小型犬が近くを歩いていた住民を噛んで苦情が上がり、「狂犬病の予防接種をしていない」「近所迷惑だ」などの報道が昨年後半から相次いでいた。
そのたびテレビで登場するSさんは、顔にモザイク・ボカシを入れられたりで顔や姓名まではわからないものの、かえってそれゆえに「普通の人とは違う変わり者」「ルールを守らない困った人間」として描かれた。
事実、それらの番組はSさんについて「法令違反」「不法占拠」などを指摘していた。そもそもホームレスは厳密に言えば道路や公園などをいわば「不法占拠」する人たちである。しかし、家を持たずにそうせざるを得ない社会的経済的な背景や事情等があるために配慮が必要な存在として様々な支援団体や行政などが対策・支援をしている。
また、ホームレス生活をする人たちのかなりの割合で精神障害や知的障害などが見られることもホームレス問題に取り組む人たちの間では周知の事実になっている。
「テレビの伝え方は一方的じゃないですか!」
「人間に対して『化け物』などという表現をしていいものですか?」
1月末、 Nさんのテレビ不信がピークに達するような報道があった。
TBSテレビ「直撃ライブ ビビット」もSさんをめぐる騒動を取り上げた時だった。その際、Sさんが周辺の野宿者から
「犬男爵」「人間の皮を被った化け物」
と呼ばれているという噂話を想像イラストまで描いて放送。国有地である河川敷を不法占拠するなど法令違反を重ね、行政の命令に従わない要注意人物として描いた。
この番組は多摩川の河川敷で暮らすホームレスを自堕落でお気楽な人たちとして描き、「多摩川リバーサイドヒルズ族」と命名してシリーズ放送されていて、野宿者への偏見に溢れた眼差しを向けていた。この時は「第7弾」として放送された。
こんな放送がマトモなチェックもなく放送されていたことに、テレビの世界に長くいた人間として正直、大きな衝撃を受けた。これを放送したら、とんでもないことになるのでは、と誰も思わなかったとは一体どうなっていたのだろうと。
2月上旬、私は「ヤフーニュース・個人」の記事を発信し、番組は「ヘイト放送」と言えるもので、本人がもしBPOの「放送人権委員会」に人権侵害を申し立てると放送倫理違反とされる可能性が高いと問題提起した。前述したようにホームレスには知的障害や精神障害を持つ人たちも少なくないが、取材や放送でそうした実態に配慮するのが報道の原則だ。ホームレスを標的にした襲撃など無理解や偏見による暴力事件も後を絶たない。それを誘発しかねない報道ではないかと。
するとホームレス支援の活動をしている団体やこうした現場を撮影する映画監督、小説家などから賛同の声が寄せられた。
2月末、私はNさんに同行してもらって共にSさん本人に会いに行った。TBSが取材した時の経緯を聞くためだったが、Sさんが口にしたのは取材班に「やらせ」を頼まれていたという話だった。「ビビット」の放送ではSさんの不在時にディレクターが犬小屋などを訪れて撮影していると、Sさんが戻ってきて「何やっているんだ。勝手に入りやがって!」と怒鳴りながら登場する場面が出てくる。実はこの場面はTBSから依頼されて演じた芝居だったとSさんは言うのだ。本当だとしたらテレビ局によるさらなる重大な倫理違反といえる。
私は再び「ヤフーニュース・個人」で「ヤラセ疑惑」として記事を発信した。Sさん本人はこう言っているが、TBSは取材映像を検証するなどでやらせ行為がなかったかを検証してほしい、という内容だった。
Sさんが持っていた取材ディレクターの名刺にあった携帯番号に私が電話しても「そんなことするわけがないでしょ?」と事実を否定していたから、取材映像をすべて持つTBSが本気で調べる以外に事実の確認のしようがなかった。
3月頭、TBSは「ビビット」の中で「不適切な点があった」として非を認めて謝罪した。謝罪内容を番組ホームページにも掲載した。そこではSさんに演じてもらうよう依頼していたことも認めた。その後、TBSは社長の定例会見でも同様に事実を認めて謝罪した。
そのうえで今回、BPOは本人の申し立てが必要な「放送人権委員会」ではなく、「放送倫理検証委員会」で審議するということに決めた。女子大生Nさんの素朴な疑問から発した問題提起がオフィシャルな形で決着を見ることになった。BPOの場合、審議入りするかどうかの段階がハードルが高く、いったん審議入りが決まれば委員会としてなんらかのが結論を出す方向が確かという場合が多い。すでにTBS自身が非を認めているのので事実上結論は見えている。
BPOは近いうちにTBS「ビビット」に「重大な放送倫理違反があった」とする”委員会決定”を公表するはずだ。
同時にBPO は再発防止策も求めていくはずだが、その方向性もすでに見えている。TBSは今後、ホームレス支援団体の関係者を招いて記者やディレクターなど社員や協力スタッフの勉強会を実施することを決めたと責任者が説明している。今後はホームレス問題の基本的なところを理解した上でより良い報道を行っていくことを期待したいと思う。
ただ懸念はある。女子大生Nさんが行った問題提起は、TBS「ビビット」だけが対象ではなかった、ということだ。「よってたかってテレビがSさんをいじめる構図」をNさんは問題にしていたし、筆者が見る限り、「ビビット」以外にも放送倫理上の問題がある番組が存在していた。
2月中旬、私とNさん、さらにホームレス支援団体の代表や今回の問題で賛意を寄せてくれた関係者などが一緒に厚労省記者クラブで記者会見を行った。Sさんをめぐる報道で偏見に満ちたものや行き過ぎがあると思われる「ビビット」の他の番組にも注意喚起を促すのが目的だった。
同じTBSの「Nスタ」「あさチャン」はSさんの生活圏内に監視カメラを設置して、隠し撮りで撮った映像を放送した。明らかなプライバシーの侵害と思われる行為だ。
他にもフジテレビの「とくダネ!」。テレビ朝日「スーパーJチャンネル」。ともにSさんについて問題を起こす迷惑な人物だとしてかなり一方的なスタンスで強引に撮影して放送した。
私たちは記者会見で「好きでホームレス生活を選ぶ人などいない。ホームレスについて報道する際は支援団体の関係者に相談するなど事前勉強をしっかりしてほしい」と訴えた。BPOはぜひ「ビビット」以外の番組も検証してほしい。TBSでも「ビビット」の「Nスタ」や「あさチャン」による監視カメラ設置についてはTBS社内でも検証を行う動きはまだないらしい。BPOの検証がそちらにも波及しないとすればやはり不十分というものだろう。
ホームレスという存在に対して、テレビはどんな眼差しを向けていくべきなのか、という報道の原則や倫理に深く関わっているからだ。
無理解や偏見に満ちた一方的な報道になりはしないか。こうした確認作業を行っていくことはテレビ報道ではとても必要な営みだと筆者は感じている。報道する側の眼差しが揺らいで公正なものとは言えない報道がテレビに紛れ込む機会が多くなった印象があるからだ。
ネットとの境目が曖昧になっている報道現場でスタッフの若年化や流動化などが加速し、報道する人間たちが基本的なルールや倫理を理解しないままの放送は知らず知らず増えている。
沖縄の基地反対派の人たちを「連中」と呼んで「過激派」「犯罪集団」とレッテルづけた東京MX「ニュース女子」と、ホームレスの人たちを「リバーサイドヒルズ族」と揶揄し、「化け物」と表現して違和感を持たないTBS「ビビット」は、ジャーナリズムのあり方として同根に映る。最初から一定のバイアスがかかった眼差し=報道スタンスなのだ。
「ニュース女子」もBPOの放送倫理検証委員会が審議入りを決め、「ビビット」も同じ様に審議が始まるが、2番組ともテレビ報道としての眼差しが従来の原則や倫理に違反し、結果として必要な手順を踏まないままに放送してしまった、という点で共通している。
報道において、どんな眼差しを向けているのか。それを自己点検していくことはすごく大切なことだと思う。
今回の「ビビット」事件について、あるTBSの若手記者はこう言った。
「『ビビット』みたいな放送を一度やってしまうと、他の番組がいくら報道としてやるべきことをしっかりやっても視聴者から信頼されなくなる。何をやっているんだ、という思いです」。
また、最初の問題提起をした教え子のNさんはもともとメディア志望だったが、就職先について今はこう言っている。
「テレビという職場はすごく魅力的に感じていましたが、今回の事件を経てさほど魅力を感じなくなってしまいました」。
筆者のようにジャーナリズムを教えている人間からすると、若者たちのテレビへの失望はとても残念なことである。
ヘイト報道、フェイクニュースなどネットの影響で、報道にもあまり胸張って信頼できる内容だとはいえない放送が次第に紛れ込んでしまうようになっている。そうしたニュースの汚染を避けるためには日頃から自分たちがどんな「眼差し」で取材すべきなのかを確認する自己点検の作業が不可欠だと思う。
「ホームレスの人だって人権はあるはず…」。
最初に問題提起した女子大生Nさんの疑問は、素朴なものだった。
しかし今のテレビは学生でもわかるようなそうした簡単なことさえ、時に誰も気がつかない状況になってしまっている。
どうかテレビの現場で自分たちの眼差しを点検する作業を、地道に続けてほしい。
(2017年4月15日「Yahoo!ニュース個人(水島宏明)」より転載)