TBSが警察官の活動に密着して撮影した映像。
そこにはある男性が警察官によって死に至らしめられた状況が記録されていた。
その映像が警察によって押収されていた。
TBSはその事実を世間に明らかにせずに4年以上も伏せていた。
その結果、警察官によって死亡させられた男性の遺族は映像の存在を知ることができなかった。
警察官による行為について、損害賠償を訴える裁判でも、遺族は映像を証拠として求めることができなかった。
毎日新聞がスクープした報道の内容を簡単に説明すると以上の内容になる。
鹿児島・警官取り押さえ男性死亡
警察官による制圧死 撮影したTBS、映像を放送せず
出典:毎日新聞 ウェブ版
これはメディアの世界においては大変なスクープだといえる。
日頃、政治権力への官僚たちの忖度を批判してやまないTBS。しかし実は自分たち自身が警察権力に忖度していたことがわかったのだ。
この撮影が行われたのは2013年11月。4年半前だ。番組の撮影で放送前の映像素材が押収されていたのにTBSはその事実をこれまで公表していなかった。
TBSといえば、時に反権力の姿勢を明確にし、「権力機関の監視」に徹するというジャーナリズムの基本理念をことあるごとに主張いてきた放送局である。番組取材で撮影した映像の押収に対しては、これまで「取材の自由」「報道の自由」への侵害であるとして、抗議の意思を示してきた同局。それがなぜ、押収の事実を公表せず、警察への抗議もまったく行わなかったのか。
そこには、警察権力に対する過剰な忖度と警察との癒着があると思われる。
警察24時という、全国の警察が全面協力するなかで番組制作が可能になるジャンルの取材協力者である警察権力への気兼ね、遠慮、忖度・・・。 TBSが「取材の自由」「報道の自由」よりも、警察権力への遠慮を優先させたのであれば、一般の人たちからすればわかりにくい小さな出来事のようにみえても、報道機関としては致命的なスキャンダルだといえる。
TBSと映像(ビデオテープ)といえば、1989年にオウム真理教の幹部に、同教団に批判的な姿勢を示していた坂本堤弁護士の取材テープを見せていた事実(そのビデオテープを見せたことが同教団による坂本弁護士一家殺害事件につながったとされる)が発覚した時、TBSの「ニュース23」の放送でキャスターの故・筑紫哲也氏が「TBSは死んだ」と発言したことがあまりにも有名だ。
今回のスクープが事実ならば、筑紫の言葉にならうならTBSは今も「死んだまま」ということになる。
問題の番組は、「最前線!密着警察24時」という番組だ。「水トク!」という枠で4ヶ月に一度くらいの頻度で放送されている。
番組ホームページによると、見どころは以下のように書かれている。
全国の警察官の24時間に密着!
事件事故、犯罪の実態とは?
正義感あふれる警察官の活躍をリポート。
犯罪は今の時代を映し出す... 日本全国で日々発生する様々な事案を激撮!リアルな警察活動の最前線に完全密着する!
執拗に若い女性につきまとうストーカー、若者の身近に迫る覚せい剤、大麻、麻薬などの薬物汚染の恐怖、軽い気持ちが悲惨な事故を起こす飲酒運転などの悪質な交通犯罪...
時代と共に治安が不安になり、身近に犯罪や事故が発生する今日。人々が犯罪や事故に巻き込まれない安全な社会の形成と、治安維持が求められている。
そして一般市民はこれらの事案に対峙する警察官の活動に注目をしている。
この番組では、実際に全国で発生した事件事故、犯罪の現場に駆けつけて人々を守る、警察官の活躍をリポート。正義感あふれる全国の熱血警察官の活動を紹介する。
「事件事故の生の現場」「検挙、逮捕の瞬間」。それらの知られざる実態に迫る。
さて、毎日新聞の取材によると、事実の経過はこうだ。
2013年11月、鹿児島県警の警官が酔っ払った男性を制圧。
男性は胸部圧迫で死亡
<刑事手続>
・遺族が特別公務員暴行陵虐致死で刑事告訴
・鹿児島地検が警官2人を業務上過失致死罪で起訴
・鹿児島地裁が警官2人に同罪で有罪判決
<民事手続>
・遺族が県を相手に損害賠償請求訴訟を起こす
(合わせて文書(ビデオテープ)提出の申し立て)
・鹿児島地裁が地検に文書提出命令
・福岡高裁宮崎支部が1審の決定を破棄し、原告の申し立て棄却
(確定)
男性を制圧して死亡させた警察官2人は、遺族は刑事告訴した特別公務員暴行陵虐罪ではなく、業務上過失致死罪として裁かれた。特別公務員暴行陵虐罪の刑罰が「7年以下の懲役もしくは禁固」であるのに対して業務上過失致死罪はもっと軽い「5年以下」になっている。
次元の一部始終が記録されているビデオテープが警察に押収されてしまったことで、TBSがもしビデオテープのコピーを持っていれば(通常は危機管理上、コピーをつくることはテレビ界の常識である)、報道機関としてこの裁判が適切に行われたかどうかを検証することもできたはずだが、TBSはそうした事実を伏せていた。遺族は、そうしたビデオテープが存在することを刑事裁判の手続きの中で知ることになるが、どこの放送局のものなのかがわからない以上、どにも働きかけることができず、民事裁判も思うかたちでできなかったことは想像に難くない。
TBSと映像(ビデオテープ)の押収とは浅からぬ因縁がある。
「TBSビデオテープ押収事件」と呼ばれる有名な事件がそれだ。
1990年3月20日、TBSのバラエティー番組『ギミア・ぶれいく』が「潜入ヤクザ24時―巨大組織の舞台裏」というタイトルで暴力団に密着したドキュメンタリーを放送した。その中で暴力団組長による債権取立ての映像が問題になり、警視庁は当該組長を逮捕。同年5月16日に関連ビデオテープ29巻をTBS本社内で差し押さえた。
TBSはこれに対して、「取材の自由」の侵害だとして差し押さえ処分の取り消しを求めているが最終的には最高裁で退けられている。
判決文によると、TBSは
「ビテオテープの差押は憲法21条に違反する」
と主張していたことがわかる。
放送局が撮影したビデオテープが押収されたり、裁判に使われたりすると、なぜ「取材の自由」の侵害になる、として放送局が反対するのか。
それは、そういう前例が広く行われてしまうと、放送局が何らかの撮影行為をする際に、「この映像は裁判に使われてしまうかもしれない」として、取材や撮影を拒否する人が出てしまうというのが放送局が長年主張してきた理屈だ。報道機関としての放送局と取材される一般の人々との信頼関係が失われてしまいかねない、というのである。
取材で撮影された映像は、番組制作の他の目的には使用されてはいけない、というのはテレビ報道の大原則だ。警察や裁判所による利用も例外ではない、というのが、長い間に培われたジャーナリズムの原則でもある。
だからこそ、TBSもこの「潜入ヤクザ24時」の時には、警察による押収に反対し、異を唱えた。ヤクザといえども、取材対象との信頼関係があってこそ撮影できるものがある。それは警察であっても押収すべきではない、という主張だった。
ビデオテープの押収をめぐって、「取材の自由」の侵害だと最高裁まで争ったTBS。
ところが、「警察24時」になると、一転して警察による押収があったことさえ明かすことなく、反対もしていない。
ビデオテープの押収は「取材の自由」にかかわる大問題であるのに、その事実を隠していたのだ。
TBSという会社の一貫性のなさ。いったいどうしたことか。
取材した映像が事前に権力機関によって押収されたりすればテレビ報道をめぐる大問題になることはテレビ報道人の常識である。そうであることを知りながら、放送もされず事実さえも明らかにしなかった姿勢には違和感を禁じ得ない。いったい誰の側に立って仕事をしているのか。
今回のケースでいえば、TBSが事実を明らかにしなかったことは、警察という組織を利しただけで、遺族の側にとっては不利な形に働いたと思われる。TBSは警察官による過剰な行為を告発することもせず、命を落とした男性の遺族が真実を究明しようとする機会を奪ったことになる。
スクープした毎日新聞によると、遺族はTBSの姿勢に怒りをあらわにしているという。
遺族側が問題視しているのは、この映像が放送されなかったことだ。男性の父親(80)は取材にこう訴える。「息子が命を奪われた現場に、テレビのスタッフがいたと知って驚いた。警察官が人を死なせてしまったのに、なぜその映像を報道しないのか。報道で真相を明らかにしてほしかった」
遺族の代理人弁護士は「警官の制圧と死亡の因果関係や、結果を回避できたかどうかを判断する上で、映像は大きな支えになる」と言う。
出典:毎日新聞 ウェブ版
命を落とした民間人の遺族よりも警察に配慮したとしか思えないTBSのふるまい。TBSには本当に報道機関としての使命感はどこまであるのだろうか。そのことを問わずにはいられない。
「警察24時」という番組ジャンルは、TBSに限らず、民放ならば各キー局に存在しているが、もしも警察にとって「不都合な真実」を撮影してしまった時にはどうするのか。警察への遠慮や忖度は、視聴者の目からみれば警察との癒着として映ることになるだろう。そうした事態をきちんとシミュレーションしておかないと、今回のTBSのような失態がまた起きてしまう。日頃、どんなにご立派なことを主張していても、こうした出来事で「局の姿勢」が見透かされてしまう時代に入っている。
視聴者の信頼を失うことに時間はかからない。
TBSはいつまで「死んだ」ままになっているのだろうか。
今回の新聞スクープは、TBSに報道機関としての自覚がないことを物語っている。
ただひとつ救いがあるとすれば、このスクープが同じメディアグループの毎日新聞によってもたらされたということだ。
毎日新聞は自社家列のTBSの不祥事であっても、遠慮せずに堂々と記事を載せた。
毎日新聞の姿勢には拍手を送りたい、
そのことは日本のジャーナリズムがまだ捨てたものではないことをほんのわずかだが示している。
今回、私も何人かのTBSの報道局の中堅幹部にこうした問題が伏せられたままだったらどう思うか聞いてみた。
「それが事実であるならTBSは徹底的に叩かれるべきだ」
みな苦々しい表情を浮かべながら、口を揃えた。
もちろん、彼らの頭には以前のオウム事件の際のビデオテープ問題の苦い思い出もある。同局にとって「ビデオテープ」はノドに刺さった魚の小骨のようなものなのだ。
新たに出てきたTBSの「ビデオテープ問題」。
TBSはどう検証するのだろうか。
TBSは社長が新しくなったばかりだが、毎日新聞の記者の取材に対して今もマトモな回答をしていない。
TBSにとって「ビデオテープ」の問題は過去のいきさつもあることから、コンプライアンスの担当者や経営陣も含めて検討した上で「公表しない」という決定をしたものと思われる。だとすれば、その責任は問われなければならない。
「TBSは死んだ」
かつて筑紫哲也が口にした言葉が甦ってくる。
その重みを、関係者はよくよくかみしめてほしい。
(2018年7月5日Yahoo個人より転載)