タトゥー(刺青)を彫っていいのは医師だけ。この法解釈に疑問を投げかける刑事裁判が大阪地裁で進行している。発端は大阪府警による彫り師の摘発だった。医師法違反罪で2015年8月に略式起訴された彫り師の一人、大阪府吹田市の増田太輝さんは、「タトゥーは自分にとってアート。アーティストとして自分が生きる場所を守りたい」と、無罪を訴え法廷で争っている。
増田さんの元に大阪府警の捜査員がやってきたのは、2015年4月。タトゥー器具用の消毒液を購入した薬品業者の薬事法違反の関係先として、増田さんのタトゥースタジオが家宅捜索された。「何のことか全くわからなくて、ドラマみたいで」。その後、増田さんに対し、客の女性3人に対してタトゥーを入れたという医師法違反の容疑で捜査が始まった。
同時期に、大阪では老舗タトゥースタジオ「チョップスティック」でも彫り師5人が逮捕されている。
取り調べで『君、医師免許持ってないでしょ?』と言われて、全く何のことかわからなかった。他の彫り師仲間で、医者だなんて人はいませんし、何十年も取り締まりなんてなかったのに、急になんで?って。
彫り師の増田太輝さん
「イレズミと日本人」(山本芳美著・平凡社新書)によると、「一説には日本で5000人の彫師がいる」。日本の彫り師の技術は世界的に高い評価を得ており、海外からやってくる客も多いという。
■タトゥー規制の根拠は
京大大学院法学研究科の高山佳奈子教授(刑事法)によると、実はタトゥーに関して「医業」であり、医師以外は彫ってはならないと明記された法律はない。
厚生労働省は2001年に脱毛やアートメイクについて、「医師が行うのでなければ保健衛生上危害の生ずるおそれ」があるとして、「『針先に色素を付けながら皮膚の表面に色素を入れる行為』は医師しかできない」との通達を出している。
大阪府警はこれがタトゥーにも当てはまるとの判断で、増田さんの逮捕に踏み切ったとみられるという。
過去にも別の県警などで彫り師が逮捕された事例はあるが、高山教授は「あくまで通達に過ぎない。厚労省の勝手な解釈で処罰対象となれば表現・職業選択の自由が狭められ、許してはならないことです」と話す。
以前は金属が含まれていることが多かったタトゥーのインクについても、実際に現在使われているものではほとんど使用されておらず、成分表も開示されている。また、感染症の原因となる、針やインク皿なども、現在では一般的に使い捨て方式になっているという。
「万一、健康被害が出たというならば、業務上過失傷害罪で対応すべきですが、今回の場合、実害も出ていない。憲法上の権利を制限する規制です」と高山教授は話す。
■なぜ闘うのか
増田さんは略式命令を拒み、正式裁判を申し立てた。現在は公判前整理手続きが進行しており、2017年初にも初公判が開かれる見通しだという。増田さんはなぜ闘うことを選んだのか。
一旦は略式命令を受け入れようと思いました。罰金30万円を支払えばそれで済むし、他の彫り師はそうしたようです。でも、払ってしまえば、自分が好きで続けてきた仕事は違法行為だと認めてしまうことになる。それでいいのか?と思いました。
そこで相談したのが、同じようにクラブ営業の裁判で闘っていた老舗クラブ、NOONの元経営者である金光正年さんと主任弁護人の亀石倫子弁護士だった。
12月18日のイベントで登壇し、裁判の意義について語る亀石弁護士(右)と高山教授(中央)
■クラブ裁判の関係者が応援
金光さんは、経営していたクラブの客に無許可でダンスをさせたという風俗営業法違反の罪に問われたが、2016年に最高裁で無罪判決が確定した。
この裁判で争われたのは「ダンス」の定義だった。当時の風営法(2016年改正法施行)で「客にダンスと飲食をさせる営業」は届け出る必要があるとされていたが、「クラブはいかがわしい店ではない」と届け出ていなかった金光さんは罪に問われた。しかし、ダンスの定義を巡っての争いで、大阪高裁は「男女が組となり、かつ身体を接触させることが通常であるようなダンス」が風営法で規制されるべきダンスと定義し、クラブで踊られるようなダンスは風営法の対象外であることとされた。金光さんは無罪を勝ち取ったが、経営していた老舗店を失った。
「警察が勝手に文面を見て解釈で運用していく。その時なぜ、私たちのような者がターゲットにされるのか。それは社会的に良い印象がないから。クラブのような夜の商売は文句の言えない弱者。それが無罪になったし法改正もされたから、次はタトゥー。『あいつらどうせ悪いことしてんやろ』と社会に思われているから、安心して検挙できる。でも太輝君には『めっちゃ大変やで。ほんまにできんのか?』と言いましたよ。それでも『信じてきたことに背は向けられない』と言うから、よっしゃ応援しようと」。
NOONの元経営者、金光正年さん
亀石弁護士は、今回の増田さんの事件でも主任弁護人を務めている。また、彫り師らの仲間たちが団体「save tattooing」を結成し、この問題を考えるシンポジウムや資金集めのチャリティーイベントを開催するなど支援を続けている。
■タトゥーの「イメージの悪さ」
増田さんは彫り師として仕事を始めた時から、お客さん全員に必ず誓約書を書いてもらうことにしていた。成人しているか、肝炎や感染症などは持っていないかに加えて、「暴力団関係者ではない」との文言も含まれている。
自分がこの仕事を始めたきっかけは、洋楽のアーティストへの憧れ。遠い存在に近づくための手段であり、自己表現でアートと同じような感覚。
しかし、その世界に足を踏み入れてみると、思った以上に世間の目は厳しかった。
腕にタトゥーがある知り合いの方が、外国人の奥さんと一緒にとあるフレンチレストランに行った時に、最初は特には何も言われなかったそうです。でも店内で、日本語で話した途端に「日本人の方ですか?入れ墨の方はご遠慮ください」と言われたんです。「外国人ならいいの?」と食い下がったらお店の人が「そうです」って。外国人ならいいっていうのは変な話。差別としか言いようがない扱いだと思うんですが、残念ながらそういう社会の目は自分たちも受け止めないといけないと思いました。
そこで、増田さんは、衣服で隠れない箇所にタトゥーを入れたいと望んだり、「彼氏や彼女の名前を彫りたい」などと希望する客に対しては、必ず、一度考え直してもらうようにしていたという。
会社勤めの人なら辞めさせられるかもしれない、転職の自由も失う。温泉にも入れなくなる。そういう覚悟を持って、それでも入れたい?それが本当にしたい自己表現なの?と聞いて、帰ってもらったことも何度もありました。中途半端な人には入れたくなかった。
同じ信号無視をした人でも、その人にタトゥーが入ってたら「やっぱりね」と思われる。僕はタトゥーが好きだからこの仕事をしている。お客さんにもそのタトゥーを好きになってもらいたい。タトゥーを入れたことで何らか、プラスになってほしい。
バナナでタトゥーの彫り方を実演してみせる増田さん
■きちんとしたタトゥーの制度を
増田さんは、自身の無罪を主張すると同時に、タトゥーの彫り師に関して、医師ではない免許や登録制などきちんとした制度を作ってほしいとも訴えている。
増田さんがタトゥーの技術を学んだのは独学だった。消毒の仕方や器具の使い方、衛生管理などは先輩格の彫り師から教わった。自身は安全にタトゥーを入れてきた自負はある。
でも、体に針を入れる仕事である以上、ちゃんとしなきゃいけないと思う。そして、彫り師仲間もみんな「次は俺が逮捕される?」ってビクビクしてます。野放しにされて、その結果、ある日急に規制をかけられるんじゃなくて、ちゃんとした法律を作りたい。だから自分たちが立ち上がって、生きる場所を守っていかないといけない。
関東弁護士連合会の調査(2014年)によると、海外では、アメリカが多くの州で免許制、英国などは登録制となっているが、医師免許を必要とはしていない。また、タトゥーと同じように身体に針を入れる鍼灸師は医業ではなく「医業類似行為」とされ、別の国家資格制度となっている。
その受け皿となれる業界団体として、約3年前に設立されたNPO法人「刺青衛生協会」が活動を活発化させている。会長の山田正章さんは、約10年前から、安全なタトゥーに関する知識を普及させるためのテキストを作成していた。一連の騒動を受けて、衛生管理の講習会を実施する予定という。「最新の知識を皆で学んで、世界レベルの安全なタトゥーの知識を普及させたい」と話す。
増田さんの裁判を支援するために、12月18日には大阪・ミナミのライブハウスで、save tattooing主催のチャリティーイベントが開かれた。彫り師らだけでなく、タレントのLiLiCoさんやロックバンドRIZEのヴォーカリスト・ギタリストのJESSEさんも参加し、500人以上が集まる熱気に包まれた。
「日本の規制は意味がわからない、逮捕には驚いた」と語るLiLiCoさんはスウェーデン国籍。自身も背中全面などにタトゥーを入れているが、テレビCMへの出演などでも、現在はほとんど支障がないと話す。(右から2人目)
業界でカリスマ的な人気を誇り「伝説の彫り師」と呼ばれる、渋谷彫雅さんは壇上で裁判への支援と業界の団結を訴えた。
「昔はタトゥーにアウトローのイメージもあったかもしれない。『一門』以外と連絡を取るのを禁止しているような時代もあった。でもその垣根を取っ払おう。もっとオープンで、クリーンな業界になろう。彫り師が孤立化している業界の弱点がいま首を絞めている。俺たちが半生かけてやってきたことを否定されるのはおかしいじゃないか」
仲間たちに熱く訴える渋谷彫雅さん
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■タトゥー問題で、山本兵衛監督によるドキュメンタリー映像作品が制作進行中
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