昨年末、夫が赴任先の新潟から送ってくれた村上の塩引き鮭を輪切りにして冷凍しておいたのを、この正月に一人暮らしの母のところにも持っていった。だいぶ経ってから母と電話で喋っている時、その鮭をどうやって食べたかという話になった。
「最後の一切れは鮭御飯にしたの。出汁昆布入れてちょっとだけお酒振ってお米炊いてね、炊きたてのところに焼いた鮭の身をほぐしたのをフワーッと混ぜて、お茶碗によそって針生姜をちょんと乗せて揉み海苔をパラパラッとかけて食べた。まあおいしかったこと! 高級料亭に負けない味だったわねー」。
そりゃ良かった。母の喋るのを聞いていたら、なんだかお腹がすいてきた。
「あのさ、こないだ持っていった、貰い物のフリーズドライの鯛のお吸い物、どうだった? やっぱりいまいち?」
「そのままお吸い物で頂くのはあんまり気が進まなかったもんでねえ、おじやにしてみたの。お湯に溶かしたところに冷や御飯入れてコトコト煮て、卵を落として半熟になったら仕上げにほんのちょっとお醤油垂らして。おいしかったわよー。お吸い物のお出汁と塩気が丁度いい加減で」
ああそういう食べ方もあるか。今度やってみよう。
「それからあなたがこの間、賞味期限切れそうだから使ってって持って来た天ぷら粉。私も一人で天ぷらなんかしないから、すいとんにしてみたの。粉をお水で固めに練ってお湯の中にスプーンで落としていって、茹だったのを掬ってお味噌汁に入れて。懐かしい味だったわね。天ぷら粉だからフワッとしててそんなに重くないの。でも炭水化物だからお腹膨れるし御飯が少しで済むでしょ。お父さんにも「ほら、すいとん汁作ったのよ。懐かしいでしょう」ってお椀に一杯お供えしたの」
母は次々と、最近作ったメニューについて喋った。調理の手順と味について楽しそうに語る声は、明るく弾んでいた。こういうのは本当に久しぶりだ。
「落ち込んだらとりあえず、おいしいものを食べよう」という話をどこかで聞いた。「おいしいものを食べる」ということが、当面の悲しみを多少は癒したり、殺伐とした気持ちを落ち着かせるのに役立つとは、よく言われることだ。
そこから一歩進んで、自分で積極的においしいものを作って食べ、その歓びを人に伝えたいというところまで来たら、その人は生きることを楽しんでいる、日々の生活にかなり前向きになってきているということだろう。
「なんか私もやっと、立ち直ってきたのかねえって思って」と、母は自分で言った。
来月、父の一周忌が巡ってくる。
(2015年1月27日「Ohnoblog 2」より転載)