私はこれまでトルコ、ヨルダンでシリア難民を、パレスチナでパレスチナ難民の方々のお話を聞き、時に共に生活した経験がある。
その際、私が日本から来たと伝えると、多くの方は好意的な反応をしてくれる。
「日本は良い国だ」や「日本の事が大好きだ」など。自分の祖国が褒められるのは誇らしくうれしい。
そして、多くの人は続けてこう言う「チャンスがあれば日本で暮らしたい、日本は私を受け入れてくれるか?」と。
この質問をされた時、私はいつも言葉を失う。なぜなら私の祖国は難民受け入れにとても消極的だからだ。
現在の日本で、より多くの難民を受け入れるべきだという論調をほとんど目にしない。
自らをリベラルと名乗る人でさえ、難民の受け入れについて声を大にして叫んでいない。
トランプ大統領が難民・移民に関する大統領令に署名した際、多くの日本人やメディアは一斉にトランプ大統領を批判した。
「排外主義だ」や「困っている難民を受け入れないのはおかしい」など。
しかし彼らは、トランプ大統領に向けていた鋭い眼差しを、自国に向けることはなかった。
自国の難民受け入れ数の少なさに関し、彼らは批判も議論もしなかった。
これは、明らかなダブルスタンダードだ。
また、アメリカの入国制限を受け、カナダのトルドー首相が難民の受け入れを表明した際、多くの人はこの行いを絶賛した。
しかし、カナダに日本は続けという論調は一切耳にしなかった。
頭ではそれが素晴らしい行為だと理解しているが、その一方で、自分達の社会には持ち込んで欲しくないと、多くの人が考えたからだと私は思う。
日本人の多くの人々は、難民の受け入れについて興味を持っていない。
難民に関するニュースを見ても、「可哀想だと思うが、だからといって日本に難民を受け入れるべきだとは思わない」という方がほとんどだろう。
現在の日本で、難民受け入れについて議論することは一種のタブーであるように私は感じる。
私自身、難民に関する記事を書いているにも関わらず、これまで日本に難民を受け入れるべきであるという主張をしていなかった。
これはとても欺瞞に満ちた行いであったと、反省している。
私は心の底から日本は難民を受け入れるべきだと考えている。
そして私はこの場を借り、日本はより多くの難民を受け入れるべきだと主張する。
そもそも難民とは?
1951年の「難民の地位に関する条約」で、難民とは《人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた 》人々と定義されている。
パレスチナの難民キャンプで
この条約では、難民となるために三つの条件を課している。
- 一つ目は、自国において迫害のおそれがあること。
- 二つ目は、国外に逃れていること。
- 三つ目は、国外に逃れたことが自分の意志であること。
これらの条件を満たした場合、国際法上の難民として扱われる。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、2016年末時点で家を追われた人の数は6560万人。
6560万人の内訳は、難民2250万人、国内避難民4030万人、庇護申請者280万人の3つから成り立っている。
(難民とは上記のとおり。国内避難民とは、国境を越えていないことから、国際条約で難民として保護されない人々。庇護申請者とは、自身の故郷から逃れて、他の国の避難所にたどり着き、庇護申請をおこなう人々。)
難民に認定されるとどのような権利を得ることができるのか?
難民条約によって、難民の認定を受けた外国人は、原則として締約国の国民あるいは一般外国人と同じように待遇されると規定されている。日本では国民年金,児童扶養手当,福祉手当などの受給資格が得られることとなっており,日本国民と同じ待遇を受けることができる。
法務省の平成28年における難民認定者数等についてによると、平成28年に日本において難民認定申請を行った者は10,901人であり、そのうち難民として認定した者は28人。難民認定率は約0.3%だ。
この数字は他国に比べ、極端に低い。
例えば、アメリカの難民認定率は約62%、ドイツの難民認定率は約41%だ。
しかし、日本はUNHCRに多額のお金を拠出しているという主張がある。
確かに2016年の日本の拠出額は世界5位だ。これは純粋に素晴らしいことだ。
トップはアメリカで、EU、ドイツ、イギリスと続いていく。
アメリカ、ドイツ、イギリスの難民認定率は日本より大幅に高く、また拠出金も日本より多いことが分かる。
日本より多くの拠出金を払っている国が、日本と比べものにならないほどの難民を受け入れているので、金さえ払えば難民を受け入れなくても良いという考え方は否定される。
ではなぜ日本の難民認定率はこれほど低いのか?
その理由は二つある。
- 一つ目は、就労目的の「偽装申請」が横行していることだ。
短期滞在のビザ保有者や留学生・技能実習生が滞在中に難民申請を行った場合、申請6カ月後から日本での就労が一律に許可される。そして難民申請が却下されるまで働くことができる。
この制度を利用した不正が横行しており、難民条約上の難民に該当しないため申請が却下され、認定率が低下している。
偽装申請は許すべきではないし、偽装申請がこのまま横行すれば、ただでさえ厳格な日本の難民認定基準が更に厳格化される恐れがあり、本当に支援が必要な人の機会を奪ってしまう可能性がある。
- 二つ目は日本の難民認定基準が他国に比べ厳格すぎることだ。
意外なことに、日本では戦争や内戦から逃れてきた人々を難民として、認定していない。
難民認定制度の見直しの方向性に関する検討結果という国の資料に、「保護を必要としている避難民であっても,その原因が,例えば,戦争,天災,貧困,飢饉等にあり,それらから逃れて来る人々については,通常は,難民条約又は議定書にいう難民に該当するとはいえず,「難民」の範疇には入らないことと解釈されている」と記載されている。
日本では、内戦から逃れて来たシリア人やスーダン人は、難民として認定されないのだ。
その代わり、「紛争待避機会」という名称で保護の対象に位置づけることにした。
在留許可は一年ごとで、難民として認められた場合に与えられる公的な支援は受けられない。
UNCHRの公式サイトでは、「今日、難民とは、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっている。」と記載されている。また世界各国も武力紛争から逃れて来た人を難民として認定している。
未だに1951年以前の状況をもとに作られた、難民条約の難民の定義を採用するのは時代遅れだ。
世界中に故郷を失い苦しんでいる人がおり、その人達を救うために世界中が努力している状況下で、日本だけ時代に逆行する行いをしている。
この状況をみて、「日本政府は賢い」と言う人がいるが私はそう思わない。
先人たちが積み上げてきた国際社会からの信頼を損なう行為だと思う。
平和主義を掲げ、日本の外で活発に国際貢献活動をしている一方で、戦争から逃れ日本に平和を求めてきた人々を受け入られないという矛盾を許してはならないと思う。
本当に困っている人を受け入れるために、どうすれば良いか?
私は、第三国定住制度の枠を増やすべきだと思う。
2010年度から日本政府は、第三国定住制度を利用して、難民を受け入れている。
第三国定住とは、難民キャンプ等で一時的な庇護を受けた難民を、当初庇護を求めた国から新たに受入れに合意した第三国へ移動させることで、難民は移動先の第三国において庇護あるいはその他の長期的な滞在権利を与えられることになる制度だ。
UNHCRが国際的な保護の必要な者と認め、日本に対し推薦してくるため、偽装申請の心配がない。
また、事前に難民キャンプで日本語や日本の文化についての研修を受け、来日後は、日本語教育や社会生活適応指導、職業相談・職業紹介など、日本で自立生活を営むために必要な支援を受ける。
そして、約180日間の定住支援プログラム終了後、第三国定住難民は、それぞれ、地域社会での生活を開始する。
こうしたプロセスを踏むため、難民の方が日本社会へスムーズに溶け込むことができる。
実際に、2010年度から日本政府は、毎年約30名のミャンマー難民を受け入れている。
しかし、その数字は明らかに少ない。
他国の例として、 2015年にはアメリカが最大で8万2491人。次にカナダ(2万2886人)、オーストラリア(9321人)、ノルウェー(3806人)、イギリス(3622人)。
UNHCRによると、2017年に第三国定住による受け入れを必要としている難民は119万人。
一方で、2017年に第三国定住の枠組みで受け入れられる難民の数は17万人程度に留まる見通しだ。
約100万人に及ぶ人々が、引き続き不安な状況で過ごさなければならない。
私は、夢も希望もなくただ毎日を漠然と生きる難民の若者や家計が苦しいために、子供を学校に行かせずに働かせている難民の姿を見てきた。
トルコでバナナを売り歩くシリア人の少年。5年ほど学校に行っていない。
その状況から脱するために、多くの難民は危険を冒し、海を越え、途方もない距離を歩き、少しでも環境の良い国に行こうとする。
そして、安住の地を求める旅路の中で、幾度となく悲劇が起こり、多くの命が失われている。
そうした悲劇を少しでも減らすために、第三国定住の枠を増やし、安全に第三国に移ることができるようにすべきだ。
難民の受け入れの話をすると、「テロが起こるのではないか?」や「難民を受け入れるメリットがない」や「ヨーロッパの失敗を知らないのか?」などといった、反対意見がある。
しかし、テロが起こるかもしれないから難民を受け入れないのなら、それはテロに屈したも同然だし、困っている人を助けるのにメリットを考える必要はない。困っている人を助けるのは、人としての義務だからだ。
そして、ヨーロッパが失敗したならそれを反面教師として研究し、日本で難民の方と日本国民の共存を成功させれば良いだけの話だ。
自分達の社会に、自分と異なった文化を持つ人が入ってくると、不安を感じるのは当然だ。
しかし、不安を感じているのは受け入れ側だけでなく、難民も同じだ。
むしろ彼らの不安のほうが圧倒的に大きい。
難民受け入れに反対している人は、一度このことを考えてほしい「もしも自分が彼らの立場だったら」と。
人の痛みを知ることによって、我々は寛容になることができる。多くの人が、難民の苦しみを知り、自らに置き換え、難民の受け入れに賛成だと声をあげることを期待している。
難民受け入れ基準の緩和。そして、第三国定住制度の拡大。この二つを日本社会へ提言したい。
そして、この二つのことが国民的議論に発展するために、これからも声を大にして叫んでいきたいと思う。