台湾の統一地方選が11月29日投開票され、与党の国民党が歴史的とも言える大敗を喫し、馬英九政権は極めて大きなダメージを受けた。12月2日に馬総統は敗戦の責を負って党主席を退いている。その概要についてはすでに分析記事を書いたが(「台湾『国民党歴史的惨敗』の衝撃:『筆頭戦犯は馬総統』」2014年12月1日)、ここでは今回の選挙で「日本」が隠れた争点となった現象について考えてみたい。
台北市長「当選の理由」
台北市長に当選した無所属候補の柯文哲氏は「異変」の立役者となった人物だ。その柯文哲氏が当選後、メディアに「当選の理由」を問われたとき、「日本皇民論は確かに(国民党の敗北にとって)大きかった。あれで本土の藍(国民党陣営)の票がそっくり逃げてしまった」と語っていたことに驚いた。
選挙期間中に起きた「日本皇民」論争は、日本のメディアではほとんど報じられていないので、まず簡単に説明しておきたい。
台北市は本来、国民党が強い地盤である。今回、国民党の長老・連戦氏の息子で、企業経営の経験がある連勝文氏が国民党から立候補した。野党の民進党には勝てそうな候補が見当たらず、外科医で政治素人の無所属候補・柯文哲氏に相乗りする形を取るしかなく、誰もが連勝文氏の楽勝を予想した。
ところが選挙戦は思いも寄らぬ方向に展開した。柯文哲氏が予想外に愛されるキャラだったことと、連勝文氏が予想外に憎まれるキャラだったことなどで大接戦となり、やがて連勝文氏陣営のまとまりの悪さや失言なども重なって、投票1カ月前には柯文哲氏が各種世論調査で10%以上のリードを稼ぎ出した。その事態に慌てた国民党が繰り出したのが、柯文哲氏に対する「日本皇民」批判だったのである。
元行政院長で、台湾軍長老である郝柏村氏は、テレビに出演して「柯文哲の祖父は李登輝と同じで皇民の子孫である。皇民は日本統治時代、特権階級だった。(柯文哲が)日本統治時代を懐かしむのは自然な感情だろう」と述べ、柯文哲氏の「出自」を持ち出して市長になる資質を問題視した。
もっと激烈だったのは、連勝文氏の父親・連戦氏だ。連家は外省人ではないが、戦前に台湾から中国に渡って国民党と協力していた「半山」と呼ばれる一族だった。日本統治時代に柯文哲の祖父が「青山」姓だったので柯文哲氏のことを「青山文哲」と呼び、「青山文哲が市長になるなんて耐えられない」「柯文哲は日本の役人になった家庭の出身で、当時の日本植民政府に協力したことは疑いない。こんなことをしていた人間を我々は何と呼べばいいだろうか」などと語り、「漢奸(売国奴)」ではないかと示唆した。
国民党内からもあきれる声が
戦前の台湾における皇民化運動は日中戦争の開始と共に本格化し、それまでは台湾土着の文化との共存を求めてきた統治方針を転換し、天皇への忠誠、日本姓の使用、神社神道の定着などが図られた。
しかし、柯文哲氏の祖父は確かに日本の姓を持っていたが、地方教師に過ぎず、それだけで「特権階級」と言い切るのは事実に即していない。
この2人の日本皇民批判に、柯文哲氏の両親は「当時の台湾は日本に統治されていた。台湾人にどんな選択肢があるのか」と反論。柯文哲氏自身にも「台湾人は異なる過去を持っている。しかし、いまは一緒にいる。日本人であったことは祖父の過ちではない」と、まっとうな理屈で言い返された。
結局、世論は柯文哲氏の側につき、国民党内からも2人の「差別」発言にあきれる声が上がった。連戦氏と郝柏村氏は釈明や謝罪に追い込まれ、連勝文氏も「父はいささか感情的になってしまった」と火消しに追われた。
2つの歴史観
この問題は、台湾において、2つの異なる歴史観が存在していることと関係している。
台湾のかつての「支配階級」である国民党の外省人の老幹部たちは一般的に、抗日戦争を戦って台湾を「解放」したという革命史観を持つ。一方、もともと台湾にいた本省人は、総じて、清朝も日本も国民党も「外来政権」に過ぎないという相対化された歴史観を持っていると言える。
ただ、いずれの立場でも、戦後の台湾では「省籍矛盾」(外省・本省間の対立)を引き起こすような言動はタブー扱いされてきた。
連戦氏らの発言は、外省人やその子孫を中心とする人々が今回、あまり投票に行かないと見られていたため、その票の掘り起こしを狙ってのものだったと思われる。しかし、こうした「日本皇民」批判は外省人二世、三世の間にも共感を得ないどころか時代遅れの印象を広げ、結局、国民党自身の得票にも負の影響を与えた可能性がある。
外省人は国民党の中枢を握ってはいたが人口的には少数派であり、多数派である本省人の国民党支持層との協力関係によって台湾をコントロールしていた。いまも国民党内の権力構図は、馬英九総統のような外省系エリートと、王金平立法院長のような本土派実力者との間でバランスを取っている。
本土派の人々は日本統治時代には日本教育を受け、日本へのいろいろな感情や思い出を持っている人々である。「皇民の子孫だから市長にはふさわしくない」と言い切ってしまうのは、そうした人々をすべてひとまとめに批判することに等しく、失望と反発を招いたようである。
日台の微妙な関係
今回の問題がどこまで実際の投票行動に影響を与えたかはより科学的な論証を待たねばならないが、大事な選挙戦終盤に数日間、台湾内の話題を独占し、国民党の挽回に向けた勢いを著しく削いだことは確かだろう。
台湾政治において、日本というファクターは歴史と絡んでしばしば「争点」のになる。以前は、総統候補の馬英九氏に「反日」のレッテルが貼られそうになり、馬氏は「自分は知日派だ」とアピールすることに懸命だった。今回の日本皇民論争は、図らずも、台湾政治と日本との微妙な関係を改めて強く印象づけるものになった。
野嶋剛
1968年生れ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、2001年シンガポール支局長。その後、イラク戦争の従軍取材を経験し、07年台北支局長、国際編集部次長。現在はアエラ編集部。著書に「イラク戦争従記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)。
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(2014年12月4日フォーサイトより転載)