北朝鮮の駐イギリス公使はなぜ、エリート外交官の地位を捨て亡命したのか

金正日・金正恩体制で、権力の核心にいて外交上の役割を忠実に果たしてきた人物だ。それがなぜ?

イギリス駐在の北朝鮮大使館テ・ヨンホ公使が亡命を求めたと、8月16日のBBCと中央日報が報じた。17日には追随する報道があふれ、韓国統一省は17日夜、異例の記者会見で公使の韓国入国を発表した。彼はなぜ北朝鮮のエリート外交官の地位を捨て、韓国を選んだのか。

1. テ・ヨンホ氏は55歳、ヨーロッパが専門のベテラン外交官だ

2015年、ロンドンで北朝鮮の金正恩・労働党委員長の実兄・金正哲氏がエリック・クラプトンのロンドン公演を鑑賞していたとき、横でテ・ヨンホ公使が付き添っている姿が、日本のTBSのカメラにとらえられていた。

テ・ヨンホ氏は、北朝鮮のエリート教育を受けて育った人物だ。金正日・金正恩体制で、権力の核心にいて外交上の役割を忠実に果たしてきた。

北朝鮮外務省では屈指の西ヨーロッパの専門家として、高等中学校在学中に中国に渡り、英語と中国語を学んだ。中国から帰国後、5年制の平壌国際関係大学を卒業して外務省8局に配置された。すぐに金正日総書記の専属通訳候補であるデンマーク語の1号養成通訳に選抜され、デンマークに留学した。テ・ヨンホ氏は、1993年から駐デンマーク大使館の書記官として活動し、1990年代末にデンマークの北朝鮮大使館が撤収したため、スウェーデンに異動した。

(8月17日、聯合ニュース

彼の名前が国際舞台に知られたのは、2001年6月、ベルギーのブリュッセルで開かれた北朝鮮とヨーロッパ連合(EU)との人権問題に関する対話だった。聯合ニュースは「北朝鮮代表団の団長として外交の舞台に登場した」とし「当時、40歳だった彼の役職は、西ヨーロッパ局(外務省8局)でEUを担当する課長兼欧州局長代理だった」と紹介した。

2. 主な業務は、北朝鮮の宣伝だった

テ・ヨンホ氏は、イギリスに10年間在住し、北朝鮮の体制宣伝の先頭に立っていた。特に金正恩政権下で、北朝鮮の住民が餓死したり、暴虐的な支配を受けたりしたことはないという情報発信に注力した。BBCは「テ・ヨンホ氏のロンドンでの主な任務は、北朝鮮と金正恩体制のメッセージが誤って報道されたり誤解されていると説くものだった」と報じている。

たとえば彼は「扇情的なメディアが北朝鮮を否定的に描いている」と批判し、「イギリスやアメリカにあるこれらのメディアが、自由な教育、住宅、医療がある国があるという事実を知れば、北朝鮮を見直すだろう」と、北朝鮮体制が優れていると話していた。

アメリカの自由アジア放送(RFA)は、イギリスに本部を置くNGO「国際脱北民連帯」関係者の話として「テ・ヨンホ公使は大使館内の朝鮮労働党組織の責任者として、現地の脱北者の動向と関連記事、主要人物を監視し、本国に報告書を作成して送っていた主要人物」と伝えた。

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3. テ・ヨンホ公使の暮らしは、イギリスの中産階級に似ていた

テ・ヨンホ公使は、元BBCソウル特派員だったスティーブ・エバンス記者と友人だった。スティーブ・エバンス氏は「亡命した北朝鮮の友人」という記事で、その関係を明かしている。

「最後に会ったのは、ロンドン西部アクトンのインド料理店だった。彼はご飯なしでカレーだけ食べていた。我々は、初期の糖尿病について話した。中年男性が食事の際に考慮すべきこと、通常、医師が気をつけるよう勧める類の話だ」

糖尿病の初期症状を患っていたテ・ヨンホ氏は、炭水化物の摂取を控えていた。このような会話を交わすほど、2人の関係は深かった。スティーブ・エバンスによると、テ・ヨンホ氏はかつてゴルフに熱中していたが、、妻が不平を言うので代わりにテニスを楽しむようになり、子供たちをパブリックスクールに通わせるのはさほど負担ではなかった。

4. 2人の息子は、ヨーロッパのエリート教育を受けた秀才だ

テ・ヨンホ氏の息子は、イギリスでエリート教育を受けて育った。テ・ヨンホ氏が韓国に亡命したのは、子供たちへの悩みが原因だとの分析もある。イギリスのテレグラフ紙は「テ・ヨンホ氏の2人の息子の1人はイギリスのハマースミス病院で公衆衛生の学位を取得したとみられる」と伝えた。ガーディアンは8月17日の記事で、19歳の次男「クム」(Kum)の顔写真を載せ「レベルA(イギリスの大学入試)の結果が出るのを前に姿を消した」「当初、名門大学インペリアル・カレッジ・ロンドンで数学とコンピュータ工学を専攻する予定だった」と紹介した。

ガーディアンは、次男「クム」が「典型的な10代だった」として「ロンドン西部のアクトン高校に通い、Facebookやメッセンジャーアプリ『WhatsApp』を使い、バスケットボールが好きな平凡な10代だった」と伝えた。

BBCのスティーブ・エバンス記者は、公衆保健学を学んだ長男について「平壌を世界的な都市にするためには、障害者の駐車スペースを拡充する必要があるという論文で学位を取得した」と報じている。

一家はヨーロッパの高等教育を受けた北朝鮮のエリートだった。この子供たちを連れて北朝鮮に戻ることは難しかった。テ・ヨンホ氏は、2016年夏に任期を終えて平壌に帰国する予定だった。

北朝鮮外交に詳しい消息筋は、アメリカの自由アジア放送(RFA)に対し「西側諸国に駐在する北朝鮮の外交官たちの最大の悩みは、子供の教育と将来の問題」として「西側の教育と文化に慣れた子供たちを統制する方法がない」と述べた。この消息筋によれば「北朝鮮の外交官の海外滞在は通常3年、長くて5年ほどになるが、この期間、外国に適応した子供たちが、両親に脱北を勧めることもある」という。

5. しかし、最近の生活は楽ではなかった

テ・ヨンホ氏の脱北の動機とみられる理由は他にもある。北朝鮮の核・弾道ミサイル実験で国連が対北朝鮮制裁に踏み切り、イギリスでの生活も苦しくなり始めたとみられる。

ガーディアンによると、テ・ヨンホ氏は2013~2014年にイギリスで講演し、北朝鮮の海外公館が無一文の状態となり、外交官が違法行為を含む「創造的な方法」で現金を調達するよう圧力を受けているとして、金の問題を認めた。

2013年10月23日、イギリスの共産党(マルクス・レーニン主義者)会議に出席したテ・ヨンホ氏は「本国(平壌)の友人は、私が月に1200ポンド(約15万7000円)もらって、プールやサウナのある豪邸に住んでいると思っているが、寝室2部屋に狭い台所の、特にすごくもないアパートに住んでいる」として、イギリスの物価について話し「大使館から車を運転して出るときは『混雑課金(ロンドン中心部に乗り入れる車に義務づけられた通行料金)はいくらなのか、考えなければならない」とも語った。

北朝鮮に送金する資金に問題が生じたと推察する証言もある。

ハンギョレによると、ある北朝鮮消息筋は「10年間、駐イギリス北朝鮮大使館で働いてきたテ・ヨンホ氏は、会計と資材購入の担当だったが、近いうちに平壌に戻らなければならない状況だった。後任に引き継ぐ必要があったが、いくつか金銭のトラブルを抱えていたため、脱北につながったと聞いている」と述べた。この消息筋は「テ・ヨンホ氏は切迫した状況で、かなりの金額を持ち逃げしたと聞いている。北朝鮮大使館は金融制裁で銀行口座を使用できず、現金を持ち歩くので事故が頻繁に起きる」と伝えた。

6. テ・ヨンホ氏は、友人のBBC記者に「ソウル暮らしはどうか」と尋ねていた

テ・ヨンホ公使は亡命申請前、BBCのスティーブ・エバンス記者に「ソウルでの暮らしはどうか」と尋ねた。スティーブ・エヴァンス記者ははこう言った。

「私は彼に、ソウルはとにかく人口の多い都市だと説明した。平壌とは比較にもならないと。しかし彼はまるでイギリス人のように見えた。彼はとても中産階級らしく、保守的で、お洒落だった。郊外の暮らしに適応しているように見えた」

ハフポスト韓国版に掲載されたものを翻訳、要約しました。

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