子どもの貧困対策センター公益財団法人「あすのば」で活動する石川昴さん(20)は、父親の暴力が原因で児童養護施設に2歳から入所、両親の離婚、父親の虐待を経験してきました。そのような境遇でも、スポーツの才能を生かし、東京都の育成選手に選ばれオリンピックを目指すだけでなく、奨学金を受けて大学進学も果たしました。しかし、大学進学後、石川さんはいくつもの挫折を経験して、一度は「どん底に落とされた」と言います。
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「自分は、スポーツも勉強もできるんで。自分が成功してやろうって思ってましたね。」
−−石川さんは養護施設にいて、恵まれた環境とはいえなかったかもしれないと思うのですが、スポーツや勉強はどのようにやってきたのですか。
自分は何でもできちゃうんですよね。スポーツは得意だったので、中学生の時に東京都のジュニアアスリート育成事業の選手に選ばれて、そこでカヌーと出会い、オリンピックを目指して練習に取り組みました。でも、高2の時、精神的に不安定になって、自分でもどうしてだかわからないのですが、突然辞めてしまいました。
それからずっと悶々とした日々を過ごしていましたが、ちょうどソチオリンピックのスキーハーフパイプをテレビで観て、「自分もこれやってみたい」って強く思ったんです。テレビで観た日本代表選手に直接連絡して、コーチになってもらってスキーを始めました。本気で自分はスキーでオリンピックに行くんだって思って、やっていましたね。
周りからは、「勉強できるんだから、大学行けば?」と勧められていたのですが、オリンピックが第一の夢だったので、もともと大学は行く気がありませんでした。
でも、高校で中国語の授業があって、中国語に興味が出てきたんです。中国語を勉強できる大学を知って、そこで、スキーの練習と両立もできるって話を聞いたので、それなら自分に向いているかな、と。奨学金とかで、お金の問題も何とかなったので、進学したのです。養護施設出身でも、自分はスポーツも勉強もできるんで。自分が成功してやろうって思ってましたね。
−−どうして大学を辞めてしまったのですか。
大学行ってみたら、周りの人間は、遊んでいるか、休みたいって愚痴言っているか。せっかく大学っていい所のはずなのに、行く意味とか、ありがたみとか、そういうことを感じられなかったんです。人生無駄にしてんな。学歴だけじゃん、みたいな。自分にはスキーがあったし、学歴はいらないんで、1ヶ月で辞めました。
−−その後スキーは?
フリーターをしながらオリンピックを目指せばいいって思っていました。でも、スキーって危険なスポーツなんですよ。大きな怪我も多いし、後遺症が残ったり、障害者になってしまうことだってある。そういう危険を親が了承しないとスキーを教え続けることができないって、コーチに言われたんです。自分の両親は健在だけれど、父親に親権があります。
結局父親から承諾をもらうことはできなかった。そこで諦めるしかなかったんです。
「今まで自分に関わった人を裏切ってしまった。それでも、周りの人たちは自分を受け入れてくれた。」
−−大学を辞めてスキーも諦めてからは、何をしていましたか。
父親に90万円貸していたのが、返してもらえなかったっていうのもあったりで、鬱みたいな状態でした。グレて、良くないこともしました。自殺未遂もしました。最後には全て奪われて、どん底に落ちました。
今まで自分と関わってきた人を裏切ったことになって、社会からも隔離されて。思い出したくないことだけれど、その時自分に向き合い、過去を振り返る時間があったからこそ、今の自分がいると思います。
そこまで落ちたのに、ほとんどの人が自分を受け入れてくれた。だから自分も今まで支えてくれた人たちに恩返しするためにも、目の前のことを全力で取り組んでいこうと思いました。
「正直俺にも居場所ってあるんだなって。」
−−それから、貧困支援など、いろいろな活動に参加するようになったのですね。あすのばの活動に参加するきっかけは何ですか。
あすのばは、養護施設出身者の仲間に誘われて、大学生世代のミーティングに参加したのが最初です。大学辞めるくらい大学生嫌いだったし、NPOとかの支援団体も嫌いだったんですけど。
−−それなのにどうして、あすのばの活動に参加しようと思ったのですか。
そこにいた学生ってみんな不器用なんですが、それでも何かを残そうと必死なんですよ。自分も苦労を知っているから、共感できて、いいなと思いました。
支援団体も、当時自分があまり知らなかったということもあるけれど、「貧困ビジネス」と言われるような、本当に支援を必要としている人のことを考えてんのかっていう団体も中にはあって、疑問だったんです。
あすのばは、「(支援を必要する人がいなくなって)あすのばを解散するのがゴール」って言うんですよ。後になって、きちんと支援に取り組んでいる団体をたくさん知ったんですが、あすのばの、その考え方はとても気に入ったんです。
−−貧困家庭の子どもたちが参加する「あすのば合宿ミーティング2017(*注)」で、石川さんは奮闘してがんばっていたと聞きました。印象に残った出来事は何ですか。
今年の夏の合宿ミーティングでは、総合司会と班のファシリテーターとして、運営の立場で参加しました。
合宿のキャンプファイヤーで、一緒に語り合った班のみんなの顔を見たら、安心して俺が泣いちゃったんですよ。班のみんなも泣いてくれてうれしくって。正直俺にも居場所あるんだなって。合宿の仲間はもうみんな家族なんですよ。
合宿の最後、司会から一言、があって俺が話さなくてはならなかったんですけど、笑顔のみんながこれまで苦労してきた姿とか苦しんでいた姿とかいろいろ考えたら、喋る前に涙が出ちゃったんです。こんなに泣いたのは久しぶりで。みんなから「司会お疲れ様」とか「昴が司会じゃなかったらつまんなかった」なんて後からラインとかでまた泣かせてくれて。
俺にも感謝してくれる人がこんなにもいるんだって気づきました。
「誰かとつながっていると、立ち直れる」
−−合宿の意義は何だと思いますか。
合宿ミーティングは、集まった子達でカレー作ったりスポーツしたり、語り合ったり、非日常の場ですが、そこで第2の居場所というか第2の家族みたいなものを見つけることができるんです。それは根っこからのサポートだと思います。
あすのばでは給付金事業もやっているけれど、お金を渡すのは応急処置であって、精神的サポートこそが本当に根本からの支援になるのです。
確かに合宿で出会った子同士は、普段近くにいるわけではないです。日常生活は何も変わらないかもしれません。でも、自分のことを吐き出せたり、無条件に頼れたりできる人がいるって重要なことです。誰かと自分がつながっているだけで立ち直れるんですよね。
友達だと、こんなこと言ったら恥ずかしいとか、こんなに頼ったら悪いと遠慮とかしてしまうけれど、家族は、いざっていうときこそ頼れるものだと思います。友達ではなくて家族。自分には家族がいないようなものだったので、助けてとか、苦しいとか、言えなかったし、自分のことを吐き出したこともなかったです。でもだからこそ、辛いことがわかるし、俺も無条件に頼れる家族のような存在になりたいって思うんです。
「助けるならとことん、苦しんでいる人をサポートしたい。」
−−石川さんは自ら率先して行動するタイプですよね。これからの夢は何ですか。
いろんな人に会って、いろんなことを経験したい。楽しさ、やりがいで仕事を選びたいって考えるようになりました。
お金とか名声とか全然欲しいと思わない。就職する気もないんです。起業したい。
今はバイトをしながら、シェアハウスを運営しています。もともとは知り合いの子で困っている子たちを何とかしたいと思って、自分が家を借りて面倒をみるようになったのがきっかけです。今知り合いの子が巣立っていったので、入居者を公募して継続しています。
自分一人で歩けなかったら意味がない。助けるならとことんサポートしたいと思っています。家事の仕方やお金の管理、人生設計も相談に乗るし。施設出身者とか困っている人たちのサポートをもっとやっていきたい。
みんなどこかにスイッチがあって、スイッチが入ればできるはずなんです。社会の中で、そのスイッチが入るチャンスを潰したり、なかなかスイッチが入らない人を切り捨てたりしてはダメだと思う。世の中、見て見ぬ振りをする人が多いように感じます。周りに関心を持つことが大切で、関心の輪が広がることが、社会を社会全体で支えることにつながると思っています。
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*注 あすのば合宿ミーティングは、ひとり親家庭や児童養護施設などで育った経験のある、または学習支援や子ども食堂など子どもに寄り添う活動経験のある高校生・大学生世代が集まり、学生らが中心となって試行錯誤しぶつかり合いながら作り上げられています。あすのばの中核事業のひとつとして、毎年開催され、2017年は8月16日から19日に国立赤城青少年交流の家(群馬県)にて、総勢100名が参加し3泊4日の時間を共に過ごしました。
(写真出典: あすのばFacebookページ)
聞き手・野口由美子(ブログ Parenting Tips)