もはや勢いを止めることはできない――。米大統領選の共和党候補者選びで快進撃を続ける不動産王ドナルド・トランプ。天王山とされた3月1日のスーパー・チューズデーでは、11州で行われた予備選・党員集会のうち7州を制覇した。3月8日現在、候補選びを終えた19州のうち12州をトランプが制した。
次のヤマ場である3月15日のミニ・スーパー・チューズデーでトランプがフロリダ州とオハイオ州を制すれば、他候補は「万事休す」という見方がもっぱらだ。フロリダ州はマルコ・ルビオ、オハイオ州はジョン・ケーシック、それぞれトランプを追う候補の地元である。
共和党大統領候補を射止める可能性だけではない。「トランプ大統領」の是非まで公然と議論されるようになった。スーパー・チューズデー直後の3月3日付『ニューヨーク・タイムズ(NYT)』読者投書欄トップには、トランプ大統領誕生の可能性を見くびるなという声が掲載されている。トランプは共和党自体と距離を置いているから、本選で民主党支持者からも票を奪いかねないという市民の警告だ。【Donald Trump and Hillary Clinton, After Super Tuesday, NYT, Mar. 2】
ネオコン系論客であるロバート・ケーガンは『ワシントン・ポスト(WP)』紙への寄稿で、トランプ大統領が生まれても、アメリカの三権分立の制度によりその力は制御されると楽観する声があるが、「それは疑問であり、危険が大きすぎる」と警告を発している。【How democracies die, WP, Mar. 3】
ケーガンは、トランプを大統領にしても「民主党に勝たせるよりはマシだ」という一部の共和党員の声に対しては、トランプ大統領の圧政の危険を指摘する。共和党や保守派の混乱を見ると、「いかにして政党が亡び、いかにして民主主義の中から権威主義的支配者が生まれてくるか分かる」と言う。
ユダヤ系知識人が多いネオコン論客らがトランプにことのほか強い警戒感を抱くのは、そのあからさまに人種差別的な姿勢や発言からであるのは明らかだ。彼らはその向こうに欧州の暗い歴史を嗅ぎ取っている。
共和党「南部戦略」の罠
かつては奴隷解放のリンカーンを戴いた共和党が、ついに激しい移民排撃のトランプを大統領候補に祭り上げる一歩手前まで来た背景をたどっているのは、英紙『ガーディアン』の3月5日付の大型記事「アメリカの岐路――レーガン、トランプと南の悪魔」だ。読ませる。【American Crossroads: Reagan, Trump and the devil down south, The Guardian, Mar.5】
米国南部は、かつては「堅固なる南部」と呼ばれ民主党の牙城であった。そこで南部民主党は人種差別体制を維持し、奴隷解放の政党・共和党を寄せ付けなかった。その南部を戦後、共和党が制していった過程が描かれる。貧しい白人たちの差別意識に巧みに取り入る「南部戦略」でニクソン、レーガンは南部を攻略、ついに南部での攻守は逆転する。
「州権(州の自治権)」「強制バス通学」「減税」......これらの言葉の裏には常に「黒人をいためつける」(レーガン時代のアトウォーター共和党全国委員長)という意味が潜んでいた。「州権」は黒人差別の州法を守るための権利を意味した。通学バスを使って学校の人種統合を図ることを南部の白人は「強制だ」と批判し、抵抗した。「減税」とはすなわち福祉切り捨てを意味し、黒人貧困層への攻撃であった。
ニクソン時代以降、共和党はこうした言葉を操りながら、黒人票獲得を犠牲にして白人票に狙いを定めてきた。その共和党「南部戦略」の鬼子のようにして生まれたのがトランプだ......。しかし、アメリカはますます人種的多様性を増していく。南部を得ることが長期的に共和党にどんな代償を強いるか。
当欄筆者は、オバマ大統領当選直後、月刊誌当時の『フォーサイト』2009年1月号に「南部に着目して読むアメリカ政治地図の変動」を寄稿した。ガーディアンの今回の大型記事と併せ読まれたい。共和党は「南部戦略」の罠に自らはまり、逆襲を受けている。それが拙論の趣旨だ。そこから逃れ出ようとしたあがきが、2008年マケイン、2012年ロムニーといった大統領候補であり、2人はいま共和党「内戦」でトランプ排撃の急先鋒に立っている。【Mitt Romney and John McCain Denounce Donald Trump as a Danger to Democracy, NYT, Mar. 3】
「右旋回」の果てに現れたトランプ
戦後の長期にわたる共和党の変貌という意味では、高級書評誌『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス(NYRB)』2月11日号の歴史家・ジャーナリスト、ギャリー・ウィルズの論考「強硬右派の勝利」も興味深い。「南部化」とも並行した動きだが、戦後共和党史は穏健派・中道派が衰退し、強硬右派が台頭していく歴史だ。その右派は常に「自分たちは裏切られ続けてきた」という意識を抱いているのだという。
共和党右派にとって、ブッシュ前大統領も、レーガン大統領でさえ非難の対象だ。前者は老人医療保険制度拡大など、後者は「小さな政府」を標榜しながら実現できなかったことなどで、強硬右派に批判されている。そうした右派の批判を受けて共和党は右旋回をずっと続けてきたとも言える。その果てに現れたのがトランプである。【The Triumph of the Hard Right, NYRB, Feb. 11】
先進世界で続く「日本型停滞」
以上はアメリカ政党政治を軸としてみた「トランプ現象」だが、本欄では昨年末からこの2月にかけ、「現象」をそうした側面だけでなく、アメリカ社会で起きている「地殻変動」、あるいは産業構造の変化と「格差」拡大といった事象と結びつけて、世界の論客と一緒に考えてきた。
その過程では、他の先進国では見られない中年層の死亡率増加という異様な現象がアメリカの白人に起きていることが明らかになった。自殺や薬物中毒の急増という、彼らの「絶望感」を示す原因が指摘された。また、トランプと似た旋風を民主党側で巻き起こしているバーニー・サンダース上院議員がもたらしつつある「言語革命」についても触れた。【2015年12月29日「『トランプ現象』で浮き彫りになった米社会の『地殻変動』」】【2016年2月9日「米大統領選で浮かび上がった『格差』と『政治言語』問題」】
そうした「トランプ現象」の大きな背景に迫る論考が、2月に入っても相次いだ。アメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』は、「格差」問題に焦点を当てた前号(1・2月号)に続き、最新号(3・4月号)で「低成長(Slow Growth)」を取り上げている。看板論文は元財務長官でハーバード大名誉学長であるローレンス・サマーズの「長期停滞の時代」だ。
サマーズによれば、リーマン・ショックのような深刻な不況の後には急激な景気回復が起きるという常識は覆り、先進国経済は今後10年インフレ率1%程度、実質金利はゼロに近い状態が続く(黒田バズーカは意味がなかった?)。この事態を理解するには、1930年代にアルヴィン・ハンセンという経済学者が唱えた「長期停滞」という概念がカギとなる。
先進国経済は貯蓄性向が増大し、投資性向が低下していることに起因する不均衡に苦しんでいる。その結果、過剰な貯蓄が需要を抑え込み、成長率とインフレ率を低下させ、貯蓄と投資の不均衡が実質金利を抑え込んでいるという。【The Age of Secular Stagnation, Foreign Affairs, Mar./Apr.】
詳細は論文に譲るが、先進世界では「日本型停滞がかなりの期間にわたり続く」という。対処法としては、インフレ・ターゲットよりも名目GDP(国内総生産)成長率の目標値を定めることや、低金利と低資材費を生かして公共投資を進めるべきだとサマーズは訴える。にもかかわらず、米国の公共投資はこの60年で最低レベルだという。
こうした長期停滞現象と、それに対する間違った処方こそが、当欄で指摘してきたようにアメリカ下層中産階級の不安を掻き立て、自殺や薬物中毒に追いやっている背景ではないか。そんな連想を促す論文だ。
こうした長期停滞の中で、見習うべきは日本だという主張を展開しているのが、同じ号の論文「停滞を愛するようになる――日本に聞いてみろ、成長がすべてではない」だ。筆者は投資顧問会社のストラテジスト。デジタルやロボット技術の進展・利用でモノやサービスは安くなるのは当然で、低コスト・低成長でも高コスト・高成長と同じ成果は生み出せる。日本を見よ。依然、豊かで安定した国ではないか......やや大雑把な感じもしなくはないが、長期停滞の中での豊かさということを考えさせる。【Learning to Love Stagnation, ibid】
「現象」の根にある大衆の「怒り」
今回の米大統領選や「トランプ現象」とさらに直接的に関わるという意味では、米論壇誌『アメリカン・インタレスト』最新号の経済学者(元労働長官)ロバート・ライシュの「法の壮大なる不平等」は必読だろう。論文は、ライシュの新刊『資本主義を救う』からの引用だ。論文副題にある通り、大企業がいかに法を曲げ、立法の精神を踏みにじり、民主主義に対する不信感を人々に植え付けているか、を描いている。【The Majestic Inequality of the Law, The American Interest, Mar./Apr.】
冒頭紹介されるエピソード。退職老人がある日、身に覚えのないような借金で訴訟を起こされ、銀行口座からどんどんと蓄えを引き出された。同様の被害を受けた多数の人と集団訴訟を起こそうとしたら、訴訟は起こせず法廷外和解しか道がないことが借金の契約条項に含まれていたと知る。それは、2011年の企業寄りの最高裁判決によると分かった。そうした大企業有利の法制度が次々とアメリカで生まれている。
法制度だけでない。行政も大企業に太刀打ちできない。米労働省の労働安全衛生局と州政府の労働基準監督官は合わせて2200人しかいない。監督官1人当たり5万9000人の労働者という計算になる。長年、議会によって予算を削減されてきたためだ。毎年3万4000人の死亡事故を扱う運輸省幹線道路交通安全局の2013年の予算は約1億3000万ドルで、在イラク米大使館の警備予算の3 カ月分以下......と、ライシュはアメリカの制度がいかに大企業・金持ち寄りになっているかを次々と例示する。
トランプ=サンダース現象を考える上で、ライシュの論考は意味を持つだろう。「現象」の根にある大衆の「怒り」が何に向けられているのかが、分かる。
米社会で進む「大衆的孤独」
アメリカン・インタレスト誌が掲載するもう1つの論文「マルクスが助ける番だ」も示唆に富む。学会誌でなく、どちらかと言うと保守系の論壇誌でカール・マルクスが見出しに堂々登場して、アメリカの今日の問題が論じられているのは興味深い。(民主)社会主義者を名乗るサンダースが民主党の大統領候補選びで善戦していることともつながっているだろう。
2011年の「ピュー調査センター」の世論調査では、ミレニアル世代(1980年前後以降生まれ)の間では、「社会主義」という言葉は「資本主義」より肯定的に捉えられていることも12月29日のレビューで紹介した。【Karl Marx to the Rescue?, ibid】
筆者は、医師で政治哲学研究者でもあるロナルド・W・ドウォーキン。封建主義は人の「疎外」をもたらし、資本主義に至るが、その資本主義も疎外を生み、マルクスによれば共産主義へと進むはずだった。しかし、実際は「縁故資本主義」(crony capitalism)へと進んだ。「縁故資本主義」とは一種の封建制に他ならないとドウォーキンは説く。それは、大資本・政治家・官僚が結びついて自己利益の増大だけを図り、格差を助長している仕組みだ。まさにライシュの論文が描く世界である。
ドウォーキンはそこに生まれる「孤独な群衆」ならぬ「大衆的孤独」(mass loneliness)を指摘する。1985年には、議論の相手をしてくれる人をまったく持たないというアメリカ人は10%だったのが、2004年には25%になったという。人生の問題を一緒に話し合う相手が1人しかいないという人は、この間に15%から19%になった。1人だけという状態は極めて危うい。マルクスが説いた、当時の資本主義における「人の疎外状況」は、この「大衆的孤独」の原型だという。
夫婦共働きでなければ生活できない状態、長時間労働(高度な知識産業労働者ほど長時間で余暇が少ない)、家族の縮小(1971年の平均的家族は3.2人だったが2011年は2.5人)......など、ドウォーキンが指摘するアメリカ社会の「疎外」の諸問題は、そのまま他の先進諸国や途上国の先進地域にあてはまる。
実は頭打ちの「中国経済」
こうした「縁故資本主義」化した先進国の高度資本主義(ドウォーキンによれば封建制復活)こそが、依然世界経済の主役であることを教えてくれるのが『フォーリン・アフェアーズ』の論文「中国企業は世界を制覇できるか」だ。筆者はニューヨーク大の経営大学院教授。【Can China's Companies Conquer the World?, Foreign Affairs, Mar./Apr.】
中国経済は確かにGDP、貿易額、外貨準備などマクロ経済の指標で見れば、「いつアメリカを追い越すか」という論議になる。だが、GDPの4分の3を担う企業の実態に目を向ければ、中国経済は脆弱だ。繊維製品や電化製品といった「第1世代」産業分野では成功を収めていても、資本財・ハイテクといった「次世代」分野は、依然日米欧の巨大多国籍企業に押さえられたままだからだ。
中国の経済力は輸入技術、安い生産コストに頼る「川下」志向で、日米欧の多国籍企業は顧客ニーズを深くとらえ、新技術を取り込む製品を設計する「川上」に力点を置いている。
西側大企業との競争にさらされた中国企業は、2010年には通信機器で世界全体の輸出の25%を占めていたのが、2014年には10%まで落としている。インフラ輸出契約はこの5年伸びがない。2004年から2011年にかけ平均して年17%伸びていた輸出は、2011年から2015年での平均伸び率5%に落ちている。日本や韓国が1人当たりGDPで中国の現在のレベルに到達したとき、資本財の輸出が全体の25%を占め、その後伸び続けた。だが、中国は25%で頭打ちとなり伸びていない。
外国企業に門戸を開いている産業で代表的な44部門のうち、ソーラーパネルや建設機器など25部門で中国企業が優位にたっているが、外国企業が優位の19部門はすべて技術やマーケティングが重要な意味を持つ高度な産業分野だ。中国が持つ世界最速のスパコン「天河2号」も中国製とは名ばかり。米国製マイクロプロセッサーを何千と組み込んでいる。
「米欧と日本の資本財・ハイテク産業の多国籍企業は、黙って静かに巨大で力強いグローバル展開を続けている。中国は典型的な後発組で、リスクの高い資産に投資し、日米欧の二流技術企業を買収している。それはキャッチアップのためにはいい。だが支配的地位を得ることはできない」
中国・アジアの興隆というが、世界資本主義の構造は昔から大して変化していないということになる。ただ、その裏では米国社会・経済の分析でみてきたように、ただならぬことが起きている。「トランプ現象」はその波頭なのだろう。
会田弘継
ジャーナリスト。1951年生れ。東京外国語大学英米科卒。著書に本誌連載をまとめた『追跡・アメリカの思想家たち』(新潮選書)、『戦争を始めるのは誰か』(講談社現代新書)、訳書にフランシス・フクヤマ『アメリカの終わり』(講談社)などがある。
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(2015年3月9日フォーサイトより転載)