政府は声なき民の"声"を聞け

サイレントマジョリティーが抱える不満やいらだちといったエネルギーは、ある日、何かをきっかけに「ポピュリズム(大衆迎合主義)」という怪物となって出現します。
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全世界注目の米大統領選、「スーパーチューズデー」が終りました。

結果は、予備選・党員集会が開かれた11州・1地域中、ヒラリー・クリントン候補が8勝、ドナルド・トランプ候補が7勝。他の候補を大差で引き離した両候補は、今月中にも指名争いを事実上、決着させる公算が強くなってきました。

人種差別や偏見に満ちた罵詈雑言を浴びせかけ、実現不可能としか思えない大衆迎合的政策を打ち出す不動産王トランプ氏が、超大国・米国のトップとなり遂に「核のスイッチ」を握るという"悪夢"が、いよいよ現実味を帯びてきました。

一方の民主党は、トランプ候補の勢いが止まりそうもないことを危惧して、共和党に勝利できる候補として大本命のクリントン氏への一本化を強化してきました。しかし、それでもまだ4州でサンダース候補が勝利するという結果を見ると、反・エスタブリッシュメント、反・既成政治の勢いは留まったとは言えません。

ちなみにトランプ、クリントン両候補による本選挙を想定しての支持率ですが、各種世論調査により多少の違いがあるものの、今のところ数ポイント差でクリントン氏が優勢。しかし、その差は僅かで、今後の展開はまったく予断を許しません。

スーパーチューズデーに先立つ2月25日、米国ワシントンポスト紙が「共和党指導者よ、あなた方はトランプ氏阻止のため、あらゆる措置を全力でとるべきだ」と異例の社説を掲げ、本選挙の投票では「共和党の勝利よりも米国の勝利のため、クリントン候補に投票を」と呼びかけました。

しかし、同紙掲載の翌日、ニュージャージー州のクリス・クリスティー知事がトランプ候補支持を表明。クリスティー氏は、大統領指名争いから撤退表明した共和党主流派の有力者であり、この支持表明はトランプ陣営に大きな追い風となりました。

たとえ米国を破滅に導いても、自分だけは勝ち馬に乗りたい―クリスティー氏のような政治家ばかりが共和党指導部と思いたくありませんが、私利私欲の暴走の前には、ローマ法王の言葉もワシントンポストの社説も無力なのかと、天を仰ぎたくなります。

移民や難民、あるいは有色人種や女性などマイノリティーに対して発せられるトランプ候補の過激発言は、居酒屋の愚痴話のようなノリで大衆の本音を代弁するものなのかもしれません。しかし、彼の差別的で偏狭で誤解に満ちた発言は、自由と民主主義を何より重んじ、多様性を尊んできた米国の根本を脅かすものであり、国の権威を失墜させるものです。

発言と同様、その政策も大衆の欲望に適ったものなのかもしれませんが、どれも荒唐無稽で現実性に乏しいものです。

「不法移民排斥のためメキシコ国境に壁を作り、その費用はメキシコに払わせる」と主張していますが、具体的な方策は不明です。米国の建機大手キャタピラーが、日本のコマツとの競争で円安により苦戦を強いられているため、「メキシコの資金でキャタピラーの機械を使い国境に壁を作る」ことにより雇用創出をはかるのだそうですが、戯れ話としてはおもしろいかもしれませんが、政策と呼べる次元の話ではありません。

移民をめぐっては、不法移民1100万人を本国に強制送還するとも主張しています。ワシントンポスト紙はこのことについて「スターリンかポル・ポト以来の強制措置」であり、「弱い者いじめ扇動家」であるトランプ氏の大統領としての資質を疑問視しています

トランプ候補の巨額減税案も荒唐無稽です。法人税を現行の35%から15%に引き下げ、中低所得層に加え高所得者にも減税をと主張していますが、その金額は10年で10兆ドル(1140兆円)と試算され、膨大な赤字により米国の財政が逼迫するのは必至です。

さらに言えば、2回離婚し3回結婚するなど、トランプ氏の行動は必ずしも保守主義を体現していません。

しかしそれでもなお「トランプ旋風」の勢いが衰えるどころか、より増している背景には、約3%の高所得者に富の50%以上が集中する経済格差やテロへの不安など、懸案を抱えながら思い切った決断ができず、いつまでも解決できない既成政治への怒りと不満という構造的な問題が存在します。

サイレントマジョリティーが抱える不満やいらだちといったエネルギーは、ある日、何かをきっかけに「ポピュリズム(大衆迎合主義)」という怪物となって出現します。

ポピュリズムは台頭し跋扈を始めると、常識や理屈により制御することはおろか、勢いを削ぐことすらできなくなり、やがて燎原に広がる火の手の如くすべてを焼きつくし、崩壊させてしまいます。

まだ明確なポピュリズム政党や政治家の台頭が見られない日本でも、サイレントマジョリティーの不満や不安という地下マグマは、確かに存在します。

たとえば最近、ネットに掲載され話題となった、「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ。

各ニュース番組でも連日大きく報道され、国会質疑でも取り上げられました。

全文を読むと、少子化対策を軸としながら政府の矛盾点や失策を鋭く突いていてなかなか秀逸です。

怒りにまかせて書きなぐったような文章ながら、実はきわめて論理的で、政治的にも良く学習しているとしか思えない内容で、無駄や破たんがありません。

短いワードで畳み掛ける文章も小気味よく、乱暴な言葉遣いがかえってリアリティを感じさせます。

何より感心させられるのは、批判対象として安倍首相でも、政府でも、政治家でもなく、「日本」と書いた、そのセンス。

一見、私的な不満をぶちまけたような文章が、「日本死ね」、「ふざけんな日本」、「まじいい加減にしろ日本」という表現で、国家や社会という絶対的な存在に対する絶望の叫びに昇華されてしまうところが凄いです。

こんな投稿がトリガーとなって、ポピュリズムが台頭したらどうしよう。膨大な財政赤字を負わされながら、子育てどころか結婚すら生活不安のためできないという若い世代がネットを使って蜂起したら、既成政党など一瞬で吹き飛んでしまいかねない―そんな不安が、私の胸の中では日を追って増しています。

政治家や官僚などエスタブリッシュに属する人々が、こうしたブログを深刻に受けとめ、政策の修正に直ちに着手しない限り、日本も欧米の二の舞となる日は近いのかもしれません。