過度な日本人びいきは、かえって日本を衰退させる

たくさんの高校球児がメジャーリーグでプレーするのを夢見るように、大相撲は世界のたくさんの若い力士たちに夢を与えているのだ。

稀勢の里の姿があまりにも哀れだ。5月場所9日目ですでに3敗。横綱や大関と組む終盤を迎える前に3敗するのは、2016年1月場所以来だ。

優勝が1度だけで、横綱昇進するには少し物足りない成績だったにも関わらず、今年1月に昇進が決まった。横綱として初めて臨んだ3月場所は、13日目で左肩を負傷。それでも、土俵に立ち続けたが、14日目は何もできず惨敗。素人の私でも、その豹変ぶりは明らかだった。

「何が何でも優勝して、日本人だから横綱になれたとは誰にも言わせない」という意地みたいなのが感じられた。結果、稀勢の里の意地が優り、最終日に逆転優勝。私もその瞬間は鳥肌がたった。

そして今場所。このまま無理をし続け、力士生命に影響を及ぼさないか心配である。日本人びいきしたばかりに、有能な力士が消えることになったのだとしたら、本末転倒だ。

「日本の国技なのだから、日本出身横綱が見たい」という感覚は理解できなくもないが、特定の力士を優遇すれば、国技の国際的な名声に傷がつかないだろうか。

私は米国で高校球児だったが、メジャーリーグは全体の3割が外国人プレーヤーにもかかわらず、誰も「アメリカ人を4番にしろ!」とは言わない。

むしろ、野球の世界最高峰のリーグを自国でホストできることを誇りにしている。日本だって、日本出身横綱の不在を嘆くのではなく、相撲版メジャーリーグをホストしていることを誇りにしようではないか。

たくさんの高校球児がメジャーリーグでプレーするのを夢見るように、大相撲は世界のたくさんの若い力士たちに夢を与えているのだ。

しかし、メジャーリーグで米国人というだけで開幕投手や4番打者を努めたら、高校球児たちは今と同じようにメジャーリーガーになることを夢見るだろうか。

私が、大相撲での日本人びいきを痛切に感じたのは2007年。入門したばかりの当時17歳の力士が稽古の厳しさから部屋を脱走後、親方の指示で他の力士から集団暴行にあい、命を落とした。

問題は、亡くなった二日後に遺族が解剖を要請し、その結果が出るまで、力士が所属していた部屋は組織ぐるみで事件を隠蔽しようとしていた点だ。

この場合、部屋全体が処分を受けるべきなのに、処分を受けたのは、実際に暴行を加えた親方と兄弟子3人だけ。他の10人以上の力士たちは、何の罰則を受けることもなく、土俵に立ち続けた。

解剖結果が出るまでの数日間、部屋に所属する力士全員、「暴力的な親方がいる部屋で、稽古の厳しさから部屋を脱走し、その親方を怒らせた後輩力士が稽古中に亡くなった」という事実は知っていたはずである。

4人しか現場に居合わせなかったというのも信じがたいが、もしそうだったとしても、他の力士にひとかけらの正義感があるなら、遺族が解剖を要請する前に、部屋を飛び出して何らかの情報提供ができなかったのだろうか。

もっと深刻な問題は、どのメディアも、親方の責任にばかり集中し、他の力士たちが口を塞いでいたことに関してはほとんど問題視しなかった。

それどころか、当時、この事件と同じくらい、メディアをにぎわせていたのは、横綱朝青龍が病気休養中にモンゴルでサッカーをしていたことだった。

確かに横綱がずる休みをするのは悪いけど、傷害致死事件を見過ごしたわけではないのだ。朝青龍は二場所出場停止処分を受け、傷害致死事件を起こした部屋の力士たちは土俵に立ち続けた。

そして、朝青龍がモンゴル人で、この部屋の力士のほとんど(もしくは全員)が日本人だったことが、果たして単なる偶然だろうか?私がモンゴル人だったら、そうは思えないだろう。

外国出身の幕内力士は2011年に19人と過去最高となり、それ以降、減り続け現在13人。相撲が「目指せKokugikan」とたくさんの若者に夢を与える日本の国技であり続けるためには、どうすればよいのか再考するときにきている。

もし、稀勢の里が今後も無理して土俵に立ち続け、力士生命に関わるようなことになれば、「Sumo」の国際的名声に傷がつくことは間違いない。