「勉強ができる」と「ビジネスができる」が違う簡単な理由

それはスポーツに例えれば誰もがわかることです。「勉強ができる」と「ビジネスができる」は競技がまるで違うのです。
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それはスポーツに例えれば誰もがわかることです。「勉強ができる」と「ビジネスができる」は競技がまるで違うのです。たとえば陸上競技で育って、それなりに、いい成績をあげている選手が、サッカーでも優秀な選手になれるのかと考えれば、誰もがノーというはずです。

アゴラで、内藤忍さんのなぜ東大生が社会にでて成功できないかというブログが紹介されていました。しかし、現実には成功している人もいます。

ビジネスに限らず、社会にはさまざまなフィールドがあり、またルールがあります。個人種目でできたからといって、団体競技で通じるだけの適正があるとは限りません。ビジネスの場合は、机上で問題を解くというよりは、人と人の関係のなかでいかに問題が解けるかで成り立っている場合が多く、内藤さんがご指摘の「コミュニケーション能力が低い」場合はうまくいかないということになってきます。

ただ「勉強ができる」から「コミュニケーション能力」が低いということも限りません。「勉強ができる」と「コミュニケーション能力」が別の能力で、いずれも高い能力を備えた人もいれば、いずれの能力も低い人もいます。

一部上場企業というと、内部調整が極めて複雑で、またエネルギーが必要だと思いますが、その一部上場企業の社長の出身大学でトップは慶応で、2位が東大なので、複雑な内部調整能力は、「勉強ができる」人のほうが持っているのかもしれません。

ところが企業全体の社長となると話は違ってきます。日大が圧倒的に多く、2位に慶応、3位に早稲田、4位が明治、5位は中央大です。ちなみに東大は16位にすぎません。卒業生数の違いもあるのかもしれません。

図録社会実情データ図鑑に社長の出身大学ランキングのグラフがあるので、その違いをごらんいただければと思います。

いや実際に社会にでて感じるのは、ビジネスのなかでも、職種によっても求められる能力は異なるということでしょうか。たとえば、精緻な企画書や報告書をつくるということになると、「勉強ができる」人のほうが得意でしょうし、営業職では、それよりも顧客の信頼をつくる人間力といったものを備えた人が成果をあげます。

それはさておき、ビジネスが面白い、マーケティングがエキサイティングなのは、それぞれの人や組織の個性、また能力にあわせてフィールドを選べることではないでしょうか。しかもそれは経済や社会が成熟すればするほど、多様な価値観やニーズが生まれ、とうぜんビジネスのフィールドも広がってきていることです。

かつては、なにがなんでも一流大学をでて、一流企業に就職するという風潮がありましたが、考えて欲しいのは、ほんとうにそれで人生のハピネスが得られるのかです。一流企業の企業戦士も停年すればただの人になります。その時に、ほんとうの人生の決算みたいなものがやってきます。

ビジネスを通して培った素養や能力を生かして、また新たな豊かな人のネットワークをつくる人もいれば、地域の居酒屋で、まるで部下に話すように上から目線で話しかけ、嫌われる人もいます。

人生の決算は、財産の豊かさだけできまるわけではなく、いかに楽しめるものを見出せるかとか、いかに人とのコミュニケーションをとれるのかなど多くの指標で決まってくるものではないでしょうか。あまり、ああだこうだと決めつけずに、ビジネスやプライベートを楽しむことを積み重ねていくことなのかもしれません。

組織も多様性に富んだ社会では、ステロタイプな価値観に縛らえてしまうとしだいに対処できなくなってしまいます。業界馬鹿では、消費者にも、ついていけなくなってくるのです。多様性を取り込む、「勉強ができる」人、「一芸に秀でた」人たち、異なる視点を持った人びとが侃々諤々とやってこそ、新しい価値とはなにかの視点も生まれてくるのだと思います。

(2014年5月12日「大西 宏のマーケティング・エッセンス」より転載)