私たちは皆「心の中の他人の声」に疲弊している
対人関係のストレスの多くは、実は、現実の人間関係というよりは、「心の中の他人の声」からもたらされるものだと、僕は考えています。
「あの人は私のことをどう思っているんだろう?」
「これくらい頑張らないと、認めてくれないかも」
「たぶん、私の気持ちはわかってもらえないだろうな......」
私たちはいつも、無意識のうちに、他人がどう思うか、他人からどういうリアクションが返ってくるのかということに、心を砕いています。そこで起きているのは常に「心の中の他人」との会話です。
対人関係のストレスをひとつひとつ検討してみると、こうした「心の中の他人」とのコミュニケーションを繰り返すことによって疲弊してしまっているケースが多いことに気がつきます。
ではなぜ、私たちは、心の中の他人の声によって振り回されてしまうのでしょう?なぜ、他人からの評価や視線を、気にせずにはいられないのでしょう?
それはおそらく、私たちが何らかの「群れ」の一員として、生きているからです。
群れの中で生きているからこそ
会社でも、家族でも、あるいは社会でも、人間が集まるとそこには「群れ」が生じます。
群れの中で過ごしていると、私たちの心の中では、家族からの期待、仕事の責任、社会の常識など、さまざまな形の「声」が囁きかけてくるようになります。
心の中の他人は四六時中、私たちに「こうあるべき」「こうすべき」「これはやってはいけない」といったプレッシャーをかけてきます。
群れの中で過ごす時間(=ソーシャルタイム)の間、私たちはこうした「心の中の他人の声」から自由になることはできません(図1)。
新刊『ソロタイム ひとりぼっちこそが最強の生存戦略である』の中で私は、この「心の中の他人」を追い払い、自分自身に向き合う「ひとりぼっちの時間」(=ソロタイム)を過ごすことを提案しました。
心の中の他人を追い払い、自分自身に向き合う「ソロタイム」を過ごすことで、私たちは日頃のプレッシャーやストレスから、一時的に解放されるのです。
図1 心の中の他人の声で、私たちは疲弊する(イラスト:伊藤美樹)
人は皆、群れの中で生きている
現代人はみな、何かしらの「群れ」のなかで生きています。
会社員でも主婦でも子どもでも、アップルの創業者である故スティーヴ・ジョブズや日本のプロ野球と米国の大リーグで伝説的な活躍を続けるイチローのような成功者であっても、なんらかの「群れ」の中に所属し、そのなかで生きているという点においては、私たちと大きな違いはありません。
「群れ」と聞いてみなさんの頭に浮かぶのは、サバンナのシマウマや、牧場のヒツジたちの姿かもしれません。
でも今、私たち人間が暮らしている社会の中にある「群れ」は、どれも動物がつくるものとは比べ物にならないくらい複雑で、巨大で、高度で、しかも無意識的なものです。
会社や家族、国や地域はもちろんのこと、男女、若者、老人といった社会の中での属性も、群れの一種です。
あるいは、私たち日本人にとっては「世間」という名の群れも、それらに負けないぐらい、大きな力を持っているでしょう。
私たちの心は、これらの群れから、常に無意識レベルで大きな影響を受け続けています。
人間にはほとんど「自由」はない
「群れ」はその中で生きる人間に、さまざまな常識や価値観、あるいは慣習を要求します。
働くこと、恋をすること、子どもを育てること、家族を愛すること......こうした私たちの行動には、多かれ少なかれ、群れの価値観が大きな影響を及ぼしています。
......ああ、皆さんはそれらの行動を、自分の意志で選んでいる、と考えておられるかもしれません。
でもね、実際には、私たちの行動の多くは、皆さんが所属する群れの価値観や習慣によって、無意識のうちに大きな影響を受けているんです。
女性が女性らしい服装をするのも、男性が強くあろうとするのも、みなさんが所属する群れの習慣に従ったものです。
働くこと、挨拶をすること、電車で席を譲ること、行列にきちんと並ぶこと、ゴミをポイ捨てせずにゴミ箱にいれること......
私たちの日常のなんでもない行動は、個人の自由な意志というよりは、群れのルールに従って行われています。
こうした「群れのルール」は決して明文化されることなく、心の中の声という形をとることで、私たちの行動を無意識のうちに縛っているのです。
「そんなルールに縛られるのはいやだ!」と思っても、群れから自由になるのは、そう簡単ではありません。
会社を辞めても、家族や仲間と距離を置いたとしても、人間は生きている限り、何らかの形で、群れからの影響を受け続けるのです。
無人島での生活を描いた名作、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を読んでみても、そのことがよくわかります。
ロビンソン・クルーソーは、無人島でずっと「一人暮らし」をしていたと思っている人が多いと思いますが、実は、無人島で過ごすほとんどの間、彼は「フライデー」という名の従僕とともに暮らしていました。
また、彼は最終的に故郷に戻りますが、そこで元の生活にすんなりと戻ることができるのも、彼の人格や能力、性格といったものが、遭難する前の「群れ」の生活によって培われたものだからです。
つまり、無人島生活を送ったロビンソンですら、群れから完全に自由になることはできなかった、ということです。
そう考えれば、生きているほとんどの時間を群れの中にどっぷり浸かって生きている私たちが、群れから離れることの難しさがわかります。
私たちは人間は、そう簡単に「自由」になることはできないのです。
ソロタイムを過ごすことで、初めて見えてくるものがある
群れの中の時間、ソーシャルタイムの中で疲弊している現代人に必要なものは何か。
それは、一時的であっても、群れから離れたひとりぼっちの時間、すなわち「ソロタイム」を過ごすことであると私は提案したいと思います。
なぜなら、現代人には、ひとりぼっちの時間が圧倒的に足りないからです。
え?「私は友達も少なくて、孤独で、いつもひとりぼっちなんですけど」って?
よく考えてみてください。あなたは確かに今、一人で過ごしているかもしれない。
でも、あなたの心の中は、本当に「ひとりぼっち」でいることができているでしょうか?
あなたの心の中には、今、この瞬間も、たくさんの<他人>が棲みつき、あなたに声をかけてはいないでしょうか?
あなたが孤独で、寂しくて、辛い思いをしているのは、心の中の他人が四六時中、あなたに「こうあるべき」「こうすべき」「これはやってはいけない」と行った群れのルールや価値観を押し付けているからではないでしょうか?
私たちはかなり明確に意識しないと、群れの時間、すなわちソーシャルタイムに、人生のほとんどの時間を費やしてしまいます。
簡単にいえば、私たちは人生のほとんどの時間を、身近な人間関係を維持するためだけに、浪費してしまいがちである、ということです。
現代人の生活は「群れの時間」=ソーシャルタイムに支配されている(イラスト:伊藤美樹)
ソロタイムを過ごすための具体的な方法については、『ソロタイムひとりぼっちこそが最強の生存戦略である』で詳しく紹介しているので、ここでは省略します。
ここでみなさんにお伝えしておきたいことは、ひとりぼっちのソロタイムを過ごさない限り、私たちは「群れのなかで生きる自分」の姿を、客観的に見つめ直すことができない、ということです。
会社や家族、友人や恋人、あるいは国や社会......。
自分を取り巻く「群れ」が自分にどんな影響を及ぼしているか、自分の人生をどのように、どの程度縛っているのか。
私たちは、ソロタイムを過ごすことによって初めて、自分を縛っている「群れ」の姿を認識することができます。
そして、人生に与えられた限られた時間に「ひとりぼっち」で向き合うことで初めて、自分のなすべきことが何なのかということを、明確に掴み取ることができるのです。
この記事は「名越康文メールマガジン『生きるための対話』から転載しました。
ハフポスト日本版は、自立した個人の生きかたを特集する企画『#だからひとりが好き』を始めました。
学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり...。繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮もあります。
企画ではみんなと過ごすことと同様に、ひとりで過ごす大切さ(と楽しさ)を伝えていきます。
読者との双方向コミュニケーションを通して「ひとりを肯定する社会」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
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