バカロレアにSAT センター試験とどう違う?

安倍首相は成長戦略スピーチの中で「国際社会で活躍できるグローバルな人材育成」に向けて、「世界に勝てる大学」を目指すとして、大学での教育改革を進めていくと表明している。大学に入ってからの内容を変えたいのならば、入り口である入試改革も必須だろう…
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FRANCE - JUNE 17: Baccalaureate 2010 at Clemenceau high school In Nantes, France On June 17, 2010-Baccalaureate 2010 at Clemenceau high school in Nantes, test of philosophy for the baccalaureate of general education, exam room. (Photo by Alain DENANTES/Gamma-Rapho via Getty Images)
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 安倍首相は成長戦略スピーチの中で「グローバルな人材育成」に向け、「世界に勝てる大学」を目指すとして、大学での教育改革を進めていくと表明した。大学の中身を変えたいのならば、その入り口である入試改革も必須だろう。センター試験が廃止されるという一部報道を受け、海外の類似試験を調べてみた。

■フランス、じっくりと正解のない問いに向き合う

 フランスには「バカロレア」という資格試験がある。中等普通教育の修了と大学入学資格の証明を兼ねるもの。「一般」「専門」「工業」の三種類に分かれていて、大学進学者の多くが「一般」を選択する。大学は個別に試験を実施しないため、バカロレアを取得した上で希望の大学に願書を出し、入学許可を得るという仕組みになっている。ナポレオン1世が「幅広く人材を発掘する」目的で1808年に導入したといわれ、フランス国内で毎年70万人近くが受験する。合格率は8割程度。

 バカロレアの特徴は、知識の暗記や受験テクニックだけでは太刀打ちできない出題にある。日本のセンター試験はマークシートを使った選択式問題だが、バカロレアは与えられたテーマについて論述するというものだ。試験初日は「哲学」昨年の試験問題を見てみると、

(理数系)

・真実を探す義務がわたしたちにはあるか?

・国家がなければわたしたちはより自由になれるか?

(社会経済系)

・自然な欲望は存在するのか?

・働くことは単に役に立つということなのか?

(文学系)

・人は働くことで何を得るのか?

・信仰は理性に反するのか?

などだった。これらのテーマから一つを選んで解答する。制限時間は4時間。

 バカロレア試験からみえてくるフランスの人材育成方針は、「自分の頭でしっかりとものを考え、論理的に説明できるか」という点にあるようだ。議論好きな国民性もこのようなシステムで支えられているのかもしれない。

 一方、日本の試験制度はどうだろうか。マーク式のセンター試験で高得点を取るためには知識を詰め込み、それらをいかに正確かつ効率的にアウトプットできるかが求められる。塾や予備校で教えられる受験テクニックを身につければ、短期間で成績を伸ばすことも可能だ。難解な哲学的な問いに頭を悩ませることはない。

 センター試験が廃止されるという一部報道があるが、仮にフランスのバカロレアのような思考重視の試験を導入するのであれば、大学はもちろん、塾・予備校も巻き込んだ受験界に大きな影響をおよぼすだろう。教師や保護者たちの教育感覚も根本的に問い直されるに違いない。

■アメリカ、大学ごとの選抜システムに特徴

 アメリカにおける大学入試では、入試に必要な書類を提出し、主に書類選考によって合否が決まる。提出する書類には、成績証明書、ボランティアやスポーツなどの課外活動の記録、エッセイ、推薦書、そして、日本のセンター試験のようなものにあたる「SAT」と呼ばれる統一テストのスコアというのが一般的である。SATは年に数回受けることができる。ハーバードのように面接を行う場合もある。

 アメリカの大学日本の大学と大きく違うところは、大学側が持っている入学者の選抜システムであると、作家の冷泉彰彦氏は説明している

 日本でもAO入試のように多様化してきているとはいえ、アメリカの入学者選抜システムのほうがはるかに複雑。提出された書類を多角的に分析して合否を決める。そして、ユニークな点であるのは、合否の基準が、1つの学校でも、毎年変わるという点である。「今年はどのような生徒を取るのか。」という基準が毎年変わるということを意味する。

 もちろん、各学校の伝統を守りそうな人材も何割かはとるが、逆に、その伝統を壊してもイノベーションを起こしそうな人材も取る。これは、大学は、授業のディスカッションをどのように盛り上げるのか、将来どのような社会のリーダーになりそうか、どのような仕事につき、大学にはどのぐらい寄付をしてくれそうなのか、そのようなことを考えて人材を選抜するのだ。

 そのぐらい、アメリカにおいては、大学側の「このような人物に育てたい」という意志が強いということだ。

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