異例の「飛び級」でお天気キャスターに。森田正光さんのキャリアがオリジナルすぎる理由

日本最年長の天気キャスターである森田さんは現在74歳で現役。唯一無二のキャリアを切り開いてきた森田さんのこれまでを聞くと、「紋切り型」の表現でわかった気になることに背を向けてきた、そこに秘訣がありそうだ。

インタビューでお借りした会議室に入るなり、「これ食べてみて」。森田正光さんはテーブルに島バナナを並べ始めた。 

「これ美味しいでしょう。酸味があって最も美味いバナナ」

日本最年長の天気キャスターである森田さんは現在74歳で現役。長年テレビ番組で天気予報を伝えてきた「お天気の人」だ。

1969年に日本気象協会東海本部の職員となり、ラジオ、テレビ番組のお天気コーナーに出演。それまでなかった個性的なお天気解説で引っ張りだことなる。1992年には日本初のフリーランス天気キャスターとなり、その後、気象予報士が所属する株式会社ウェザーマップを設立。

唯一無二のキャリアを切り開いてきた森田さんのこれまでを聞くと、「紋切り型」の表現でわかった気になることに背を向けてきた、そこに秘訣がありそうだ。それが意外にも島バナナと繋がっているそうで―。

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森田正光さん
HuffPost Japan

 「行き当たりばったりの人生がいい」

――お天気の仕事を志したのはなぜでしょうか?

森田:仕事というものは「何かになりたくてなる人」と「行き当たりばったりでやる人」の2つがあると思うんです。僕の場合は行き当たりばったり。その場その場で与えられたことをしっかりやっていくと、やがて何年も積み重なってちゃんとできるようになる。将棋やスポーツで一流になる人はそうは行かないでしょうが、そういう道もあるんです

名古屋で気象協会の職員になったのは1969年、学生運動で東大が封鎖された年。「大学に行くのに意味があるのか」と言われている世の中だったから、先生のすすめで応募して。採用されてから気象の勉強を始めたら面白いじゃんって思って。

――東京で活動を始めたのはいつ頃ですか?

森田:当時の気象協会は完全な縦社会。キャリアを登る階段も、何年この経験をしたらどんな仕事になるとビッチリ決まっていました。それなのに、飛び級しちゃったの。

1977年ごろに土居まさるさんのラジオ番組に呼ばれて、お天気コーナーで「今週末は?」と聞かれて、当然聞かれているのはお天気なのに、「中日×巨人戦を観に行きます」なんて冗談を言ったら大ウケ。当時の天気予報は「決まったことを言うのが仕事」だと思われていたから。リスナーからファンレターも来ましたよ。

その後に、土居さんがテレビ東京の番組に呼んでくれて。40歳ごろからと気象協会では決まっていたテレビに、28歳で出ることになりました。お天気に関連して、大人気だった石原裕次郎さんの映画に関する冗談を言ったら、観てくれていた別の局のプロデューサーが番組に呼んでくれることになりました。テレビCMにも出て「売れっ子」を体験しましたね。 

お天気の「発明」が沢山

――順風満帆。ステップアップのスピードが凄いですね。

森田:そこで、テレビの構成作家さんに「フリーランス」という働き方があると初めて聞かされました。家を買ったばかりでローンが心配だったので、テレビ局と専属契約をして、日本初のフリーランスお天気キャスターになりました。その後、会社を設立しました。3人のお天気キャスターから始まって現在は175人。そこからは所属してくれる人に迷惑をかけられないと頑張ってきた。経営者としては一度も借金をしたことがないのが自慢です。 

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森田正光さん。最近は島バナナの研究に情熱を燃やしているという。
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洗濯指数、時間別お天気の画期的開発

――著書『気象予報士という生き方』(イースト・プレス、森田正光著)を読んで驚きました。森田さんにはお天気の「発明」が沢山あるんですね。

森田:ある番組でプロデューサーに「面白い企画ないの?」と聞かれました。うちはずっと妻と共働き。自分が子どもの布オムツを洗濯する担当だった時に、干して、遊びに出かけたら雨でびしょ濡れになって。

「やばい」と思いながらそれをドライヤーで必死に乾かしている時に、天気や気温などの予測から計算した「洗濯物の乾きやすさ」を数値化するのはどうかな?とひらめきました。企画書をすぐにテレビ局に持っていって、気象協会の仲間とチームで洗濯指数の算出方法も考えました。

あと、当時は天気予報ってすごく大雑把だった。「明日は晴れのち曇り」とか。それを時間別のお天気にしようとか、気象衛星に天気図を重ねて見せる演出も。今では全部当たり前のことのようですが、色々と僕、“発明”してるんですよ。

――なぜそういう発想が浮かぶんでしょうか?

森田:うーん。元々人と違うことをするのが好きだったのはあるんだけど…。

お天気キャスターの言葉で、あれ?って思うことってないですか?例えば、一つのお天気コーナーで「激しい雨が降りました」と何度も言うことがあると思うんですよ。それはなぜかというと、気象庁の中で50ミリ以上が「激しい雨」に定義されているから。80ミリ以上は「猛烈な雨」です。

でもね、それって後から出てきた、分類しやすいように作られた用語に過ぎないわけです。そんな分類そのものに縛られることが大切なの?たとえ言葉遣いはいいかげんでも、それよりも真実を伝えることの方が大事じゃないの?って、思っちゃうんですよね。

一人一人のキャスターが物を考えて、それを伝えるっていうことを僕はもっと大切にしたい。人にとって自由っていうのは本当に大切なものだから。 

ナチスの成り立ちをエーリッヒ・フロムが分析した『自由からの逃走』という本があるでしょ。決められたことを守ることの方が楽で安心だから、それでいいやという人たちが多くなりすぎると、いつファシズムの時代が来てもおかしくないなって思う。

ただのお天気ごときの話だけど、大げさかもしれないけど、自分は伝え方、というところでいつもそう思ってるんですよね。

沖縄の島バナナから社会現象が透けて見える

――現在、沖縄の島バナナの研究に力を入れてらっしゃいますよね。

森田:それは、分類っていう話と共通の部分があるんですよね。2022年に島バナナを世に広げようって島バナナ協会を立ち上げて。それで、今は沖縄本島で自分で農園を作っています。

僕が島バナナを最初に食べたのは50年前だから、話せば長いんだけど…。日本で売られているバナナのほとんどは、キャベンディッシュという種類なんです。流通するのに非常に適しているから。それで、あまりにも成功したから他の美味しいバナナはほとんど作られなくなってしまった。

島バナナといっても実は色々あって、僕が好きな酸味が強い、小さい種類の島バナナは、沖縄が本土に復帰(1972年)するまでは、沖縄本島にもたくさんあったんですよ。

でも、復帰した後しばらくすると、だんだん島バナナがお土産品としても売れるようになってきた。売れるようになると、島バナナとしてのマーケットは広がるんだけど、どんどん見栄えの良いもの、大きな物の一種類だけになっていく。 

だから僕は1980年代ぐらいの島バナナの状況に戻したいんですよ。ほんのわずかな力でしかないけど、それを守ろうとすることに意味があるでしょ。それに、いろんな社会現象が島バナナから見えてきて面白い。

――確かに面白いですね。

この話をすると、いつも島バナナって何種類あるの?と必ず聞かれるんですよ。でも、何種類って明確に本当に言えるの?って思います。どんなものも少しずつ作られて、そして歴史の中で少しずつ淘汰されている。それを知ったのが、島バナナが好きになって良かったこと。

皆、なんでも単純化して捉えようとするじゃない。僕もそうだけど、脳はすぐサボるから。そこに、落とし穴があるような気がするっていうことかなと思います。

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一般社団法人島バナナ協会
Xより

――最年長ですが、お天気業界では、これからやりたいことはありますか?

森田:74歳で、お天気キャスターの最年長ですよ。まだ元気だし知識豊富だし(笑)、子どもにもお天気を教えたい。気候変動についても、面白く話せると思うんですよ。

30年に1回の出来事を異常気象って言うんですよね。でもそれが30年に1回が5年に1回、3年に1回になったら常態化して気候変動って言うんです。異常気象から気候変動の時代になった。それをどうにかしなくちゃいけないってことを伝える仕事をやらないといけないと思っています。 

(森田正光さんプロフィール)

1950年名古屋市生まれ。財団法人日本気象協会を経て、1992年初のフリーお天気キャスターとなる。同年、民間の気象会社、株式会社ウェザーマップを設立(現在は会長)。親しみやすいキャラクターと個性的な気象解説で人気を集め、テレビやラジオ出演のほか全国で講演活動も行っている。2005年より公益財団法人日本生態系協会理事に就任し、2010年からは環境省が結成した生物多様性に関する広報組織「地球いきもの応援団」のメンバーとして活動。

株式会社ファーストキャビンHD・社外取締役、一般社団法人島バナナ協会・代表理事、将棋ペンクラブ審査員。著書に「気象予報士という生き方」(イースト・プレス刊/森田正光)など