(映画の登場人物は敬称略)
そのドキュメンタリー映画は、元恋人メイ・パンの印象的な一言から始まる。
「これは私の物語 (This is my story)」
ビートルズを率いて世界的スターになったジョン・レノンは、最初の妻シンシアと別れて1969年に日本人のオノ・ヨーコと結婚。80年に米ニューヨークで銃弾に倒れるまで、愛妻と濃密な時間を過ごした。
ただし、2人が離れていた時期もある。73年9月から75年2月までの18か月間、ジョンはヨーコと別居。恋人のメイ・パンと同棲するのだ。メイは当時23歳。ジョンとヨーコの個人秘書で、音楽出版のアシスタントも務めていた。
この時期は、ファンの間では「失われた週末」(The Lost Weekend)の呼び名で知られている。世界に向けて普遍的な「愛」を歌うジョンのイメージとはかけ離れた、やんちゃな一面を表す出来事として受け止めている人も多いだろう。
そもそもはヨーコがメイに、夫であるジョンとの浮気をけしかけたのがはじまりで、どうしてそういう展開になるのかと、さまざまな想像や憶測も語られてきた。
ソロキャリアの中で最も多作な時期
映画の字幕監修も務めたビートルズ研究家の藤本国彦さんによると、「失われた週末」と名づけたのはジョン本人だという。だが、そのネガティブなネーミングとは裏腹に、ビートルズ解散後のジョンのソロキャリアの中で最も多作で、商業的にも成功した時期だったとされている。
エルトン・ジョンをゲストに迎え、ソロ活動では初めて全米シングルチャート1位を獲得した「真夜中を突っ走れ」を出したのもこの時期だ。
ビートルズの盟友リンゴ・スターとも共演。大げんかをしていたポール・マッカートニーと再会して、一瞬で仲直りした。私生活面では、シンシアとの間の子どもジュリアンを迎えて一緒に暮らすなど、おだやかで幸せな日々を過ごした。
映画ではメイの口から、かけがえのない日々が色彩あざやかに語られる。ジョンとの同棲がどのように始まり、どのように終わってしまったのか、「真実」が解き明かされていく。
「あの時期のことは誰も何も知らない。だから真実を伝え、誤解を正したいと思う」
映画の中では、若いメイがそう語っている過去の映像が登場する。
メイはジョンの死後の89年に結婚し、子どもももうけた。2008年には「失われた週末」を未公開写真とエピソードで綴った『ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド』(河出書房新社)を発表している。
今回の映画の監督とプロデュースを務めた3人のうちの1人、イヴ・ブランドスタインさんは、自伝本も発表していたメイに映画化の話を持ちかけ、プロジェクトを大切に温めてきたという。
本作は2022年にアメリカで公開され、映画誌などで「神話や噂を一掃する数々の証言は感動的だ」「メイは神話的な存在としてではなく、一人の人間としてのジョンの興味深いエピソードを披露している」といった評価を得た。
「真実を伝えたい」
メイ自身は本作に寄せて、次のようにコメントしている。
「50年近く、多くの作家や専門家、“友人”、知人が私の人生を語るのを読んだり聞いたりしてきました。ほとんどの場合、彼らの回想は歪曲されたもので、私の物語はジョンとヨーコが大衆のために作り上げた神話の一部となってしまったのです」
「ジョンとの時間は、文字通りクレイジーな週末だったと多くの人が思っているでしょう。一方でジョンと私が正式に交際し、人生を共にし、愛し合っていたことを知っている人もいます。世間は真実を知る必要があり、私はそれを伝える必要があると感じました!」
映画には、自身もミュージシャンのジュリアンも登場し、メイと一緒に当時の思い出を語っている。これも貴重な記録映像になっている。
2023年11月には、ジョンが残したカセットテープのデモ音源をもとに、ポールとリンゴらがAI技術を駆使して仕上げた「ナウ・アンド・ゼン」がビートルズの新曲として発表され、世界的なヒットとなった。
ビートルズ解散から50年以上、ジョンの死去から40年以上がたった今も、その影響は色あせていない。
映画「ジョン・レノン 失われた週末」が日本で公開される24年は、「失われた週末」からちょうど50年というタイミングとなった。
ミモザフィルムズが配給し、5月10日から角川シネマ有楽町、シネクイント、新宿シネマカリテ、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺などで上映される。