2022年上半期にハフポスト日本版で反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:3月6日)
BTSに夢中になるのは、さほど難しいことではありません。
まずは、YouTubeなどでメンバー紹介の動画を見て、7人の名前と顔を一致させる。そしてそのあとは無数にアップされているMVやライブ映像、バラエティ動画などを時間つぶしに細々と見続ける。たったそれだけで、数週間後にはきっとあなたもBTS沼の仲間入りです。(※1)
好きになった当初に、世界一にも選ばれたテテ(V)の美貌や、グク(JUNG KOOK)のキラキラした存在感、ジミン(JIMIN)のダンスのキレとしなやかさ…そういう分かりやすい魅力に心を奪われていた人たちは、やがて彼ら一人ひとりの表情ひとつに、言葉ひとつに、いかにもその人らしい優しさ、繊細さ、意志の強さ、内面からにじみ出るかわいらしさ等を見出だすようになり、さらに、ばらばらの個性を持った彼らが人間らしくぶつかり合うようすを愛おしく感じるようになります。
先日、ある中学生の女の子の面談のときに(これを書いている私は、小中高生が150名以上通う教室を運営しているのですが)、「BTSはあなたの先生だもんね」とお母さんがその子に言いました。
これは、おそらくその子というよりは、お母さん自身の実感でしょう。BTSのファン(=ARMY)たちは、アップされた動画の端々から、ほんの一瞬の表情の温かさや、さりげないメンバーへの配慮的なふるまい、スタッフやファンへの気遣い等を見出だして心を揺さぶられます。
さらには、地道に努力することはつくづく大切だなぁ…とか、ときには休息をちゃんととるのもやっぱり大事なことだよ…とか、料理と片づけをちゃんと分担して、しかもやらないという選択さえもちゃんと認めるなんて本当にいい人間関係だな(「In the SOOP」や「Bon Voyage」シリーズ)…など、幅広くさまざまな美点を読み取って、彼らを先生としてお手本にしようとするところがあります。
ARMYの中には、BTSと出会って、音楽や彼らが使うハングルだけでなく、絵画などの芸術や心理学、歴史や政治にまで興味を持つようになったという人も、いまでは大勢いるわけです。
ARMYのツイッター投稿を見ていると、まさかそんな細かい挙動にそんな意味を読み取るなんて! とその解釈に驚くこともあるのですが、当人(メンバーたち)が全く意図しないところで勝手に感じて学んでしまう、そういうファンの心理をメンバーたちが熟知していて、それを積極的に活用してきたところがBTSの新しさと強みとも言えるのです。(※2)
「推し」を通して世界と繋がる
「推し活」は、ファンたちのメンタルに良い作用をもたらします。
その効用は、1つ目には(以前に別の連載でも書いたのですが)推し活を通して「世界と繋がっている」と感じられることです。
K-POPにおいて、ファンの共同体(=ファンダム)が個別に名付けられ(EXOのEXO-LやBLACKPINKのBLINK、TWICEのONCEなど)、それがライブや授賞式等でさかんに連呼されるのは、「推し」と繋がると同時に、「推し」を通して世界と繋がる感覚がファンたちにもたらされることを運営側が知っているからでしょう。
そして、BTSの場合は特に、世界中に点在する初期ARMYたちの地道な広報運動がひとつのきっかけとなり、彼らは一躍世界のスターダムにのし上がったという物語をBTS=ARMYが共有していて、その繋がりは特に深いものです。
彼らの物語が「私の物語」に
そして効用の2つ目には、推し活を通して「自分を愛し、いたわる」ことを感じられること(いわゆるセルフ・コンパッション)が挙げられます。BTSはこの点でも成功していて、例えば彼らのLOVE MYSELF(=自分を愛せよ)キャンペーンの世界中からの反響は、推し活の心理と、彼らの不完全で傷つきやすいキャラクター及びメッセージが「完全一致」したからこそ巻き起こったものでしょう。
だってARMYたちはすっかり知っているのですから。
ジン(JIN)がいつも底抜けに明るいようで、どこか寂しさを湛えた優しい人だということを。シュガ(SUGA)が心に激しい怒りを抱えていて、痺れるようなそっけなさの奥に深い愛情を秘めている人だということを。
ホビ(J-HOPE)が信じがたいレベルでいつも笑顔を絶やさずに、どんなときでも細やかな気配りを行動に変えることができる人だということを。ナムジュン(RM)が完璧とも思える知性と正直さを持っていながら、生活面では人を呆れさせてしまうような凸凹を持っていることを。
ジミンがあざといかわいらしさを発揮しながら、いざというときに芯の通った気骨を見せる人だということを。テテが日ごろは四次元の天然ぶりなのに、実は繊細な感受性を持っていて心に触れる言葉を紡ぐ人だということを。そして、グクがオールマイティに何でもできる天才と呼ばれながら、本人はいつも自分の不足を知っていて弛みない努力を続けてきた人だということを。
ARMYたちは、そんないかにも人間らしい弱さを持つ彼らのことを「私は彼の本当の良さを知っている」「私は誰よりも深く彼らのことを理解している」と思います。この確信を通して彼らの物語は「私の物語」になり、彼らを愛することが、そのまま自分を愛することに繋がるのです。
このようなARMYたちの心理を彼らがいかに深く理解しているかを物語るリーダー(RM)の言葉があります。
このLove Yourself というツアーを通して、僕は自分自身を愛する方法を見つけているところです。僕は自分自身の愛し方を何も知りませんでした。あなたたちが教えてくれたんです。あなたの目で、あなたの愛で、あなたのツイートで、あなたの言葉で、そしてあなたの全てを通して。自分を愛するということを、あなたたちが教え、導いてくれたんです。
そして、自分を愛することは、死ぬまでずっと僕にとっての目標であり続けます。自分を愛することは何なのか、あなた自身を愛するとはどういうことなのか、僕にはわかっていません。誰が自分自身を愛する方法や法則を定義できるでしょうか。それは僕たちそれぞれの任務です。一人ひとりが自分自身の愛し方を見つけ、明らかにしていくことが僕たちの任務なのです。
そのつもりはなかったのですが、僕はあなたたちを、自分自身を愛するために使っていたようです。だから僕はひとつ言いたい。どうか、僕を使ってください。自分を愛するために、BTSを使用してください。だってあなたたちは、毎日僕に自分自身の愛し方を教えてくれるのですから。ありがとう!
― Love Yourself Tour in New York 2018(※3)
一人だけど独りじゃない
このような推し活が社会的なインパクトを持つようになった背景には理由があります。
かつて、家族のため、自己実現のために物質的に豊かになることが幸福を意味した時代がありました。物質的な豊かさが、そのまま人(家族や世間など)から認められ、自己充足感を得られることに直結していた時代です。
その頃に比べると、現在はずっと幸福感を感じにくくなりました。なぜなら、最初からモノに満ち溢れているからです。さらに、さまざまな価値観が相対化されて、世界から歴史性の厚みが失われたせいで、自分自身がどの土壌にも根を張っていないと感じられるからです。
その結果、私たちが少しでも幸福感を感じられるようにと新たに考え出されたのが、デフォルトをゼロではなくマイナスにするというアイデアです。例えば、不安を煽り、不安を過度に共有しようとするマスコミやSNSを思い出してみてください。それは、不安を作り出すことで疑似的にマイナスを作って、それが解消されたらプラスだと錯覚させるしくみです(実際にはマイナスがゼロに戻ったにすぎないのに)。
でも、こんなのおかしいですよね。ムダに消耗するだけで、何も生み出さないわけです。いまの人たちはそのヤバさに薄々気づき始めています。モノを買うことでモノの向こうにある幸福を手に入れようとするのも無理があるし、かといって、いつまでも自慰的にゼロサムゲームを繰り返しても埒が明かないわけです。
だからいま、人々は、もっと幸福を即席で直接的に感じられるものに向かっています。その1つ目の動きが、オタクを代表するような「ハマる」行為を通して、自分では気づかなかったような「自分自身の内部と繋がること」です。
そして2つ目は、SNSや動画投稿、オンラインゲームなどを通して「他人や社会と繋がること」です。この2つの動きに共通しているのは、それが極めて人々の情動的なものに支えられている点ですが、その2つを同時に満たすのが「推し活」なのです。
「推し」を推すことを通して自分を発見すると同時に、世界と繋がる実感が得られる。一人だけど独りじゃない。これは、とても現代的な感覚とも言えるし、異なる見方をすれば、かつて風や雲がそこに在るだけで独りじゃないと感じていた人間たちの感覚を、別の形で復刻したものとも言えるかもしれません。
「推す」行為が持つ危うさ
ただし、推す行為にはただのファンにはない過剰さがあって、それは「推し」を通してかりそめの主体性をなんとか手に入れようとする切実さであり(※4)、そういう過剰さに対する自覚がないとすれば、危ない面があるかもしれません。
私たちは誰でも多かれ少なかれ、他者を「使用」することで主体化を実現します。私たちが使っている言語さえ、もともとはすべて他人から与えられたものであることを思い返せば、他者を使用せずに主体化するなんて、どだい無理な話だということに気づかされます。
「推す」行為は「推し」を通した刹那的、情動的な主体性獲得の運動であり、まさに推しを「使用」する運動なのですが、このことに自覚的でない人もいます。推しを推すときに、人は推しの輝かしさだけでなく、推しのずるさや不完全さを自らの主体に一致させることを通して、不甲斐ない自分を愛でています。
しかし、そのことに無自覚になり、推しが使用できなくなったと感じた瞬間に、推しに対して攻撃的になることもあります。推しがまるで自分の主体化を妨げる存在のように感じられて憎み始めてしまうのです。
敵をあえて作り出して鏡としての自己を権威化することで主体化を果たしたにもかかわらず、言い換えれば、敵という他者を使用して主体化を実現したにもかかわらず、そのことを隠蔽してしまうのがレイシズムの問題だとすれば(※5)、「使用」に無自覚なファンたちは、「推し」が私の主体化を支えてくれたという事実を忘却することで、易々とレイシズムに近接します。
そのことを踏まえれば、先のRMのLove Yourselfツアーでのスピーチは、私たちがどのように自分自身を愛したらよいかを説くだけでなく、私たちに「使用」に対する自覚を促しているとも言えます。このことを踏まえれば、彼のスピーチは次のように捉えられるでしょう。
僕は、あなたたちARMYを使用することで自身が自己変容を遂げてきたことを感じます。一人では立ち行かない僕は、あなたたちを使用してきたことを知ることで、あなたたちに深い敬意と感謝の念を抱くようになりました。そしてそのことを通して、自分を愛するということを学んできました。だからAMRY、あなたたちも、僕を使用してください。僕たちを使用することで自己を変容させ、自分を愛することを学んでください。
とは言え、自分を愛することは何なのか、あなた自身を愛するとはどういうことなのか、いまだ僕にはわかりません。なぜなら、自分自身を愛する方法や法則を定義することなど、僕たちにはできないからです。一人ひとりが使用を通して自分自身の愛し方を見つけ、明らかにしていくことが僕たちの任務なのです。
推し活の心理は、「消費行動」を促す資本主義との相性が抜群にいいです。
BTS(にとどまらず、他のK-POPグループや、日本のSixTONES、櫻坂46などのアイドル)の運営はそのことに自覚的で、まさにその心理を利用して稼いでいるわけですが、もし自分が主体化のために彼らを使用しているという自覚さえあれば、資本主義の快楽に溺れることなく、適切な距離感で推しとつき合っていくことができるのではないでしょうか。
BTSが音楽やスピーチを通して放つメッセージの中には、私たちが健やかであるためのヒントが含まれているし、大人のARMYたちは、それを彼らから読み取ることに成功しています。
※注1…YouTubeなどの動画投稿サイトを通したBTSの魅力の発信には、ARMY翻訳家と呼ばれる有志たちの働きや、自動翻訳機能の発達という条件が欠かせなかった。『BTSとARMY わたしたちは連帯する』(イースト・プレス)
2…2017年のBTSワールドツアーのバックステージを描いたYouTubeのドキュメンタリー「BURN THE STAGE」では、彼らがドキュメンタリーを通して自分たちの人間性をそのままARMYたちに見せて、その解釈を自由に任せることを積極的に支持する様子が活写されている。
3…Love Yourself ツアーにおける彼らのメッセージを余すことなく伝える楽曲が、ツアーのアンコールで歌われた“Answer : Love Myself”です。聞きなじみのよいこの曲の歌詞の意味を知って、むせび泣いた、いまも心の支えにしているという人を、私は何人も知っています。
4…宇佐美りん『推し、燃ゆ』はまさにそういう話で、そこで描かれた推しの炎上は、まるで私たちの生を清らかにするために生贄を焼く儀式のようでした。
5…「使用」と主体化の問題、レイシズムの問題については、國分功一郎・千葉雅也『言語が消滅する前に』で詳細に議論されている。レイシズムの問題についてはBTS自身が積極的に発信しており、2021年に世界で最もリツイートされたツイートは、BTSが #StopAsianHate とフォロワーに呼び掛けたものだった (Twitter調べ)。また、彼らの楽曲 Butter のイメージカラーがイエローだったことについて、RMはV LIVEの中で「僕たちは黄色人種じゃないですか」と発言しており、同曲MVでも、白黒黄の3色を基調に、グレーやレインボーカラーの衣装を披露していることから、レイシズムに対する何らかのメッセージの隠喩として受け取ることは難しいことではない。そのことを踏まえると、この曲の冒頭の歌詞、“Smooth like butter” はかなり挑発的に響く。