難民が1億人を超えた。「帰る国を失う」感情を私たちは知らないままでいいのだろうか

日本は難民受け入れが極端に少ない国であり、私たちは「帰る国を失う」ことのリアルな感情を知らないかもしれない。映画『FLEE フリー』はそんな私たちに、一人の難民男性の話をアニメーションで普遍化し、その声を届ける。
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『FLEE フリー』
© Final Cut for Real ApS, Sun Creature Studio, Vivement Lundi!, Mostfilm, Mer Film ARTE France, Copenhagen Film Fund, Ryot Films, Vice Studios, VPRO 2021 All rights reserved

2022年の5月23日、国連は世界の難民・避難民の数が初めて1億人を超えたと発表した。日本の総人口に迫る勢いで国を追われた人が急増している。

しかし、日本は難民受け入れが極端に少ない国であり、そのせいもあってか私たちは「帰る国を失う」ことのリアルな感情を知らないかもしれない。 

公開中の映画『FLEE フリー』は、難民となった一人のアフガニスタン人男性の「心のリアル」に迫る作品だ。本作は、アニメーション映画でありドキュメンタリー映画でもある。2022年アカデミー賞で、長編アニメーション部門と長編ドキュメンタリー部門に同時ノミネートを果たした初の作品となった。

本作は、アフガニスタンから脱出したアミンが、ひた隠しにしていた自身の過去を友人である映画監督ヨナス・ポヘール・ラスムセンに打ち明ける形で構成される。国から脱出した際のトラウマ的体験を赤裸々に綴り、アニメーション映像によってそれを再現していく。 

本作はなぜアニメーションで語られる必要があったのか。そしてこのドキュメンタリー映画を作ったことでアミンの人生にどんな変化があったのか、ヨナス・ポヘール・ラスムセン監督に聞いた。

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ヨナス・ポヘール・ラスムセン監督

アニメーションによって世界中の難民の物語に

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『FLEE フリー』
© Final Cut for Real ApS, Sun Creature Studio, Vivement Lundi!, Mostfilm, Mer Film ARTE France, Copenhagen Film Fund, Ryot Films, Vice Studios, VPRO 2021 All rights reserved

本作は実在するアミンという人物に、実際にカメラの前で語ってもらった様子をアニメーションに加工している。本作は、なぜわざわざこのような手間をかけてアニメーション映画として製作される必要があったのだろうか。それには大きく2つの理由がある。

「アミンがこの企画に賛同してくれたのはアニメーションの匿名性ゆえです。自分のことを公にするわけですから、顔や身元が分かると近所でも仕事でもいろいろと差し障りがあります。

もう1つは80年代のアフガニスタンを再現できるということ。さらには、彼の内なる感情、本当に彼が感じていた恐怖や心の変化を仔細に表現できたのもアニメーションならではだと思います」

ラスムセン監督は、アニメーションの効果には、抽象性、そして情報量をコントロールできる側面があり、それが今作のような複雑なテーマを描くのに向いていると考えているようだ。

「アミンのような過酷な体験の話は、この世界にたくさんありすぎます。しかし、そういう辛い話が多すぎると、私は辛すぎてそれをブロックしてしまいたくなるんです。でも、アニメーションにすることで、そういう物語も受け止めやすくなると思います。

また、アニメーションのある種の抽象性によって、これがアミンだけの物語ではなく世界中の難民の物語として普遍化して見てもらいやすくなると考えました」 

80年代のアフガニスタンは、タリバンが支配する現在よりも自由な気風に溢れていた。女性たちは髪も顔も隠すことなく町を歩けるような状態だった。アミンがアフガニスタンを脱出したのはそうした気風がギリギリ残っていた時期であり、彼はそれ以来、祖国に一度も戻っていない。

「実は、映画の製作過程で故郷を探すために一度アフガニスタンに戻ってみないか、という話を持ちかけました。しかし、彼は断りました。理由は、自分の育った故郷はもうない、今はもう違う国となってしまったので、自分の知っているアフガニスタンを美しい記憶のままとどめておきたいと言ったのです」

ラスムセン監督が、80年代のアフガニスタンを再現したいと語った理由もここにある。アニメーションであれば、アミンの記憶にある美しかった頃のアフガニスタンを共有できるからだ。実写のドキュメンタリー映画では、その場にないものを撮影することはできないが、アニメーションならすでに失われてしまったものを再現し、なおかつ、人の「心や記憶のリアル」に迫ることが可能なのだ。

映画製作を通してアミンに起きた変化

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『FLEE フリー』
© Final Cut for Real ApS, Sun Creature Studio, Vivement Lundi!, Mostfilm, Mer Film ARTE France, Copenhagen Film Fund, Ryot Films, Vice Studios, VPRO 2021 All rights reserved

本作の主人公、アミンはアフガニスタンで生まれた。

小さい頃は姉のワンピースを着て家の近所を走り回っていたアミンは、ある日、父が連行されたまま戻らず、家族とともに命がけで国を脱出する。悪徳難民ブローカーたちに捕まり過酷な目に遭わされながらも、ソ連を経由しヨーロッパにたどり着いたアミンは家族とも離れ離れになってしまい、数年かけてデンマークへと一人でたどり着く。

それから20数年後の現在、彼は恋人の男性と結婚を考え新居に2人で移り住んだが、自分が難民であることは誰にも打ち明けられずにいた。

ラスムセン監督がアミンと友人になったのは90年代のこと。しかし、これまで彼の過去を彼自身の口から話してもらう機会はなかったそうだ。

「彼の口から過去の話を聞いたのは、この映画の撮影が初めてでした。私がアミンと出会ったのは15歳の時だったので、約25年くらい経過しています。

彼はロシア語が話せたのでロシアに住んでいたことはわかりましたし、高校ではアフガニスタンから来たという噂は立っていましたが、それ以上のことは知りませんでした。だからなんとなく、私たちの友情にもどこか埋められない溝があるような感覚があったので、今回彼が全てを話してくれたことは本当に嬉しかったです」

自身の過去をカメラの前で友人に打ち明けるという行為は、アミン自身に良い変化をもたらしたと監督は語る。

「アミンは、自身が抱える秘密を知られないよう恐れていた状態から脱して、かつてよりも他者と近い距離の関係を築けるようになっていると思います。映画に登場する新居に、今もパートナーと共に平穏に暮らしています。

今までは、過去と今の自分がつながっていないような、ある種バラバラの状態にあったのではないかと思いますが、難民としての過去やセクシュアリティも含めて、今はあるがままの自分としていられるようです」

難民として、ゲイとして

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『FLEE フリー』
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この映画は、ずっと安心していられる場所、それが故郷なのだと定義する。難民であり、ゲイでもあるアミンにとってデンマークという国はそのような場所だったのだろうか。デンマークは世界で最も早く同性パートナー制度を実現した国で、アミンがやってきた90年代にはすでに施行されていた。 

「彼にとってデンマークは比較的暮らしやすかったのではないかと思います。デンマークの中でも場所によりますが、少なくとも大都市では性的マイノリティも生きやすい環境だと思います。彼がゲイであるとカミングアウトしてくれたのは17歳の時でしたが、私自身、そのことを彼の自然な1つの側面と受け止めていました。

実は、本作を作る前にはセクシュアリティが大きな要素になるとは思っていなかったんです。しかし、アフガニスタンではゲイであることを隠さねばならなかったということ、そして家族との葛藤を考えると、難民である過去を隠して生きてこねばならなかったということとも重なると思い、2つの要素を軸とした作品になったんです」

ゲイフレンドリーな気風がデンマークにあるとして、難民に対する国民感情はどんなものなのか。

「デンマークは基本的に、彼にとって安全な場所と言えると思いますが、故郷を失うという恐怖心は彼の内側に残り続けています。彼自身デンマークのことを第二の故郷だと感じていると思うのですが、近年デンマークにおいても、ムスリムや難民に対する厳しい論調が台頭してきていて、疎外感も感じ始めているようです。

こうした声は、彼のような難民から国に対する愛情や思い入れを失わせる危険があると思います」

「故郷とはずっといてもいい場所」。難民とは故郷を失い寄る辺のない人々。

その心のリアルに迫る本作を作ったラスムセン監督に、難民の人々に物理的な支援だけでなく、心の安寧を届けるためには何が大切かを最後に聞いてみた。

「とても難しい質問です。

ひとつ言えるのは、彼らの声に耳を傾けることだと思います。異なる体験やバックグラウンドを持った彼らの話を聴くことは、自分の声が相手に届いていると感じさせることです。

国の支援は往々にしてすべてをカバーしきれません。どんな援助が必要かも含めて経験を分かち合える、そんな環境があるといいのではないでしょうか」 

人が人と分かり合うためには、言葉を交わすしかない。当たり前のことだがそれがなぜか難しくなりつつある現代社会において、この映画は、一人の難民男性の話をアニメーションで普遍化し、観客にその声を届ける作品だ。

この映画は、難民たちの声を聞く場所そのものなのだ。 

(取材・文:杉本穂高 編集:毛谷村真木/ハフポスト)