中高年の発達障害当事者は、見過ごされてきた人たちかもしれない。
発達障害について特に広く知られてきたのは、ここ5年ほどのことだ。
しかし、発達障害の特性は、人が生まれつき持っているものだと言われている。だから、特性を持っていても、適切な診断や支援を受けられないまま中高年になっている当事者は多い。発達障害が影響して起こる二次的な障害や疾病、困難さ、社会的状況が、人生で複雑に絡み合う。
「みらい」さんは、50代になったばかりの発達障害当事者だ。発達障害の特性によって学習や仕事に困難さが生じ、ひきこもりなどの社会的状況を経験した。現在では、「みらいのリスト」名義で発達障害の情報発信を行っている。
彼のこれまでの人生と、これからの展望について聞いた。
「アスペルガー症候群」が新聞一面に載った日
新聞の一面で「アスペルガー症候群」(当時の呼称。現在は「自閉スペクトラム症:ASD」に統一されている)の症状が大々的に紹介されたのは、2000年12月だった。事件を起こした容疑者が、アスペルガー症候群を疑われた。
皮肉なことに、みらいさんはこの報道によってアスペルガー症候群の特性を詳しく知ることになった。
「豊川市主婦殺人事件の犯人が、アスペルガー症候群ではないかと言われていました。新聞に書かれているアスペルガー症候群の説明を見て『僕にちょっと似てるな』と感じたんですね。当時、それでアスペルガー症候群を知った人は多いと思いますよ」
発達障害と犯罪の関係については、ただちに補足しなければならない。発達障害のある人が犯罪を起こす割合が多いのではない。しかし、報道では障害がフォーカスされてしまい、歪んだ伝わり方をしてしまうことがある。
そのほかにも、毎週好んで観ていた『特命リサーチ200X』(日本テレビ系。1996〜2002年放送)では、「ADHDは天才のかかる病気」「ひらめきがすごい」と紹介されているのを見て、気になっていた。
断片的な情報がつながって、みらいさんは2004年、30代前半で正式に発達障害の診断を受けることになった。
「18年前です。僕は30歳を過ぎていました。まだ当時は『発達障害は子どもの病気だ』と言われていたんです。でも、アスペルガー症候群と言われた西鉄バスジャック事件の容疑者が17歳で、小中学生ではなかったので、『大人だからと言って特性がないということはないだろう』と感じていました」
みらいさんはようやく自身の発達障害を認識した。しかし、ここに至るまでには多くの苦難があり、診断を受けたあとも万事解決とはならなかった。
虐待やいじめを受けて育った子ども時代
植物や生物をじっと見つめるのが好きな子どもだった。みらいさんは家を飛び出して、庭のトマトやなす、きゅうり、そしてアリたちをじっと見つめて過ごすマイペースな子どもだった。
そうした特性を見た親から「お前なんていじめられる」と言われたことは、みらいさんを萎縮させた。「虐待を受けていた」と振り返る。
小学校ではいじめられた。みらいさんは運動が極端に苦手だ。発達障害には「発達性協調運動障害(DCD)」と呼ばれる障害もあり、診断こそされていないものの、その傾向があると自身で考えている。
「運動音痴でバカにされていました。それに腕力がないから、喧嘩になったら一方的に殴られるだけ。親からは否定されていたので、友達との関係で自分の意見を主張することもできませんでした」
運動の苦手さは、学習面にも影響を及ぼしていた。
「運動の苦手さ、手先の不器用さがあって、文字を書くのが極端に苦手です。特に、授業を聞きながらノートを書くことにすごく時間がかかっていました。
高校2年生の頃、1回だけ予備校に筆記用具を忘れてしまったことがありました。そのとき、先生の話がすごくよくわかって、感動したんです。はじめて『書かないで聞く』という体験をして、それぐらい書くことが負担になっていたことに気づいて、衝撃でした。でも当時は、他人と大変さを比べることもできないし、みんなもこれぐらい大変なんだろうと思い込んでいました。
大学に入ってからは、レポートを書くのが本当にきつかったです。僕らの世代は、まだワープロで書く人はいませんでした。A4に1ページ書くのに2時間かかってしまうんです。5ページのレポートを書く作業だけで10時間かかります」
現在のみらいさんは、パソコンを使ってスムーズに大量の文字入力をしているが、当時はツールがなかった。いまほどのツールが存在しなかったこともまた、中高年の当事者たちの育ちと現在に影響を及ぼしている。
40代半ばで「Twitter」と『逃げ恥』が転機に
大学は、6年間在籍したあとに中退。父親が営む会社で働き始めたが、もともと関係が悪かったこともあり、うまくいかなかった。みらいさんは自宅にひきこもった。家を出たときと言えば、精神科病院の閉鎖病棟に措置入院になったときだ。その頃、父の会社は傾き始めていた。さまざまな要素が絡まり合い、ほどけなくなっていった。
途中の2004年、冒頭に記したように発達障害の診断を受けたが、事態は好転しなかった。
しかし、40代半ばになっていた2016年、ふたつの転機があった。ひとつは「Twitter」、もうひとつは連続ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)だった。
「Twitterをやったことはありましたが、やめてしまっていました。でも、久しぶりに行った病院で、先生から『ところでTwitterはやめちゃったの?』と言われて。『あなたの関心はすごく良かったし、今の時代に必要だからやったほうがいいよ』と。
僕がひきこもっていた頃、『Yahoo!知恵袋』でカテゴリマスターになっていました。そのカテゴリーで正答が多い人に与えられるものです。それは先生も知っていました。
質問に対していろいろ調べて答えると、正答率が上がったり、カテゴリマスターになれたりする。それをゲーム感覚で、朝起きてから夜寝るまで、しかも365日、ずっとパソコンの前に座ってやっていたんです。これには、ASDの特性が大きく活きていました。決まったパターンの行動をずっとやると、成功につながるゲームだからです。いわゆるネトゲ廃人と同じ状態ですね。
病院で先生からTwitterを勧められたあと、すぐにアカウントを作りました。それからはもう、Twitterを朝起きてから夜寝るまで365日。発達障害に関する情報発信をするようになりました」
ときを同じくして、テレビで『逃げ恥』に出会っていた。星野源さんが演じる主人公・平匡さんに、みらいさんは自分と似たところがあると感じた。
「2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)を見ていたら、『みくりさん(新垣結衣さん)は平匡さんと違って、演技に目の動きを必ず入れているのがコミュニケーションの参考になる』という書き込みをたまたま見かけたんです。
『そうなのかな』と思ってちゃんと見てみたら、確かに目の動きで演技をしていた。僕はASDだから人の表情がわからないと思っていたけど、目に注目すればわかるんだ、と思いました。それが、社会に戻りたいなと思うきっかけになったんです。
決定打になったのは、平匡さんが職場で『飲みに行こう』と誘われたシーン。それを見たとき、僕はいじめられる場面だとばかり考えていました。変わった特性のある平匡さんがみんなから呼ばれるということは、いじめられるんだと思ったんです。でも、ドラマのなかではいじめが起きていなかった。ただの楽しいシーンです。おかしいですよね。『親に騙されていた』『悔しい』と、そのときに思いました」
精神科医・岩波明さんの著書『発達障害』(文春新書)でも、平匡さんに発達障害の傾向があることが指摘されている(※)。
みらいさんは、似た特性のある主人公に自分を重ね合わせたことが、「社会に戻りたい」と感じるきっかけとなった。
人生を懸けて、発達障害の啓発をしたい
アカウントを作ったあとはTwitterにのめり込み、『逃げ恥』を観ることさえ途中でやめてしまうほどだった。以来、発達障害に関する情報を発信し続けてきたTwitterでは、複数の情報発信アカウントも合わせるとフォロワー数が5万人を超えている。
「『自己主張してもいい』と知ったのはつい最近のことです。子どもの頃から、萎縮して自分の意見を言えなかったので。
日本社会は、1回踏み外すと戻れない。中高年の発達障害の当事者は、あきらめさせられてしまっています。それなのに、無理をしないと生存権が認められないように感じます。お医者さんや福祉の支援者は『無理しないで』と言いますが、もう十分無理をしているんです。
僕は今後、発達障害の啓発活動に人生を懸けたい。仮に今20歳で、人生100年時代に残り80年の人生台無しにするかと言うと、怖くてできないでしょう。でも、僕はある意味、死んでも惜しくない。ならば、堂々と良い方向に変えてやろうじゃないかと。発達障害のある人の困りごとやサポートの方法を、日本中に広めたいです」
中高年の発達障害は、さまざまな特性や社会的状況が絡み合い、困難が複合的になっていくのが特徴だ。みらいさんの場合、発達障害のなかでもASDやADHD、LD、DCDなどの傾向があり、虐待やいじめ、ひきこもりなどが絡み合っていた。さらに、みらいさんはロスジェネ世代でもあり、経済的環境による影響も無視できない。
しかし、支援が十分にあるとは言えない状況だ。「発達障害」だけを見ていても、事態は解決しないだろう。絡まった状況をほどくために私たちには何ができるか、広い視点で考えていかなければならない。
(※)ただし、フィクションではなく実在の人物を発達障害だと決めつけることには「ゴールドウォーター・ルール」などへの注意が必要である。
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