働き手やその家族にとって、しばしば大きな負担になることもある転勤。
働き方が多様化する大きな流れの中で、転勤制度の見直しを模索する企業が出てきています。
制度の“限界”を直視し、3年前から社員が望まない転勤の廃止に向けて取り組んできた企業の試行錯誤から、「望む場所で働く意味とは?」を考えました。
どんな仕組み?
「望まない転勤」を廃止したのは、AIG損害保険。
2019年春から2年半の移行期間を設けて、2021年秋に本格的に廃止した。
同社には全国におよそ100の支店網があり、対象社員は約4000人にのぼる。それまでは定期的に全国転勤を含む人事異動をしてきた。
制度の仕組みはこうだ。
・全国の拠点を11のエリアに分け、転勤OKな「モバイル」か希望エリアで働く「ノンモバイル」かを社員が選ぶ。
・モバイル、ノンモバイル共に(1)希望するエリア(2)希望する都道府県を選択。
・ノンモバイルの社員を希望するエリア・都道府県に配置していく。調整がつかなかったエリア・都道府県にモバイルの社員を配置する。
直近の調査で、モバイルを希望したのは全体の35%、ノンモバイルが65%。2021年秋までに、ノンモバイルの社員については100%、希望するエリアと都道府県に配置できた。
移行期間を経て、本格的な廃止にこぎつけたポイントは何だったのか、人事担当執行役員の福冨一成さんと人事部の牧野祥一さんに聞いた。
うまくいったポイントは?
ノンモバイル社員は制度上、希望したエリア内で働くことができる。さらに、希望する都道府県でも働けるよう目指すという運用だ。
モバイルを選んでも不必要に転勤をさせるのではなく、できる限り希望が合致するよう調整する。2021年秋時点で、希望エリアに配置できたモバイル社員は55%だった。
牧野さんは制度の特徴として「モバイル、ノンモバイル、どちらを選んでも給与や処遇に差がない」ことをあげる。だがそれだけでは、生活環境が変わり得るモバイルを選ぶことにはなかなかなりにくい。
そこでポイントとなるのが、希望が合致しない場合に支払われる手厚い手当があることだ。
双方とも、希望する都道府県に配置できなかった場合には、家賃の9割程度を補助。 さらにモバイル社員で希望するエリアも合致しない場合には、月額15万円の「モビリティ手当」を支払う。用途は問わない。
手当の創設によってコストはかかるが、転勤自体が減ったことで引っ越し代の補助といった会社の費用は減り、コストは相殺されているという。
そもそも、制度を成り立たせているのが 「転勤しても良い」というモバイル社員の存在だ。「誰も配置できない拠点が出てきてしまうのでは」という懸念を払拭する形になった。
制度のアイデア段階で実施した社員アンケートで、すでに2割ほどの社員が「転勤しても良い」と答えた。当時は手当など制度の詳細は詰めていなかった。それでも、転勤をいとわない層が一定程度いたことになる。
福冨さんが意外だったというのが、そうした層が「各世代に2割程度」いたことだ。
比較的単身が多い若い世代だけでなく、中堅やベテラン世代の中にも転勤に抵抗感がない人、介護や子育てがひと段落し、むしろさまざまな場所で働きたいと考える人もいた。
また、「全国転勤可能」とした方が、自分が望む仕事・ポジションに就ける機会は増える。こうした制度のポイントや手当について周知したことで、モバイルを選ぶ社員は増加した。
希望の調整には苦労も
ただ、調整する作業は簡単ではなかった。
「あり得ない」「ビジネスが立ち行かなくなる」ーー。
当初、人員配置を検討する現場の責任者から寄せられた反応だ。
同社には全国におよそ100の拠点がある。
「注力する拠点に、臨機応変に人材を配置できなくなるのではないか」。日々、ビジネスを回している責任者からすれば、当然の懸念かもしれない。
福冨さんたちが繰り返したのは「『行きたくない』と言っている人を送り込んで、モチベーションを発揮してくれるのか」という問いかけだ。
それは、この制度の導入のきっかけになったのが、子育てや介護といった様々な事情で、転勤が「現実的にできない」「今は難しい」という社員が増えていたからだった。
やむをえず、退職した社員もいた。全国転勤を維持することに限界がきていると、多くの社員が感じ始めていた。
前述の社員アンケートに基づき、実際に希望をもとに人員配置を考えてみるワークショップを実施。そこで「意外とできる」という感覚が現場の責任者たちに伝わることになった。
また、人事や経理といった東京や大阪など特定の地域にしかない業務をしている人が、東京や大阪以外の地域を希望した場合などを想定し、オフィスに出社しない「フルリモート」の選択肢も設けた。
「言ってること」と「やってること」を合わせていく
労働政策研究・研修機構の調査(2017年)によると、企業が考える転勤の目的は「社員の人材育成」が66.4%で最も多く、次いで「社員の処遇・適材適所」「組織運営上の人事ローテーションの結果」「組織の活性化・社員への刺激」などとなっている。
特徴の異なる様々な拠点で働くことで、経験やスキルの幅が広がるといった育成効果に期待しているとみられる。
会社全体で転勤を減らしたことで、これまで転勤を通して提供していた育成の機会は「減ったと思う」と福冨さんは率直に語る。
だが、意図しない転勤がなくなり、モチベーションは上がる。積極的に仕事ができる環境を作ることがより重要という考えだ。
会社が想定していなかった副次的な効果として、新卒の応募者の増加につながった。制度導入前と比べ、応募者は10倍ほどに。新卒は入社後3年間は経験を積むためモバイルとしているが、どこで働くかについて将来の選択肢があることが影響しているようだ。
転勤制度の見直しは、「言っていることと、やっていること」が違っていないか確認するような作業だったという。
「『ダイバーシティー&インクルージョン』など会社が掲げるコンセプチュアルな部分と、実際の人事制度との整合性が取れているのか、考えた結果の一つだった」と福冨さんは語る。
ここ数年、制度はメディアで多数取り上げられ、他社の人事担当者らから「詳細を聞きたい」と求められる機会も多い。
福冨さんは「まずは経営層のコンセンサスが重要。トップにやろうという気持ちがないとできない。そして、そもそもなぜ転勤をなくしたいのか。明確な理由があることが重要です」と語る。
「望む場所で働く」仕組み広がる
転勤制度の見直しを含めて、望む場所で働けるよう制度を整える動きは広がっている。背景には、コロナ禍でテレワークが進んだこともある。
メルカリも2021年9月から、 日本国内であれば、住む場所や働く場所を社員が選択することができる制度をスタートした。
Yahoo! JAPANも2022年1月、社員の居住地について「出社指示があった際に午前11時までに出社できる範囲」に限定されていたのを、「日本国内であればどこでも居住できる」と変更する方針を示した。