3万7000"いいね"から考えた。日本の結婚制度と「生活のパートナーを持つ」こと。

「親しい友人はおりますが、友人たちと『法的に家族』にはなれない。身体が動くうちは働けばいいですが、身体が動かなくなった時どうやって死ぬのだろう」。こうした声に、制度の方を変えていくべきではないだろうか。
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恋愛感情も性愛関係もない、生活の相棒

古い友人や知人と話していて、はっとすることがあった。

40代の後半に差し掛かった私たちは、年々、共通点が少なくなっていくのだ。

10代20代の頃は似たような生活を送っていたのに、今ではみんな、仕事も家族構成も暮らしぶりも違っている。

新卒で入社した職場に勤め続けている人、転職した人、派遣契約を連ねている人、休職している人。結婚があれば離婚があり、辛い死別を経験した人もいて、単身である理由も異なっている。

まさに人生いろいろ、人それぞれ。「多様性」は遠くの世界を見るまでもなく、すぐ横にある。

その友人知人の中に、独身同士で近しく生活する人々が、複数いる。お互い徒歩圏内に住み、合鍵を交換して、頂き物や旬の果物があれば分け合って食べる。

家具の設置で手を貸し、連れ立って旅行をし、年末年始や季節の行事を一緒に過ごす。税金やローンなどの財政面、健康面でも相談する仲だ。

毎日のLINE交換を「生存確認」と呼び、「定年になったら一緒に住もう」と、近未来の希望を語り合う。友達とも親友とも違う距離感で、強いて言えば「相棒」が一番しっくりくるような。

その姿は温かく穏やかで、とても好ましい安心感があった。私が知るいくつかの”家族”たち、親兄弟の肉親同士や結婚した夫婦よりも、ずっと。

恋愛感情も性愛の交わりもなく(私が知らないだけかもしれないけれど)、生殖が絡むこともないが、確かにお互いを慕わしく思い、生活を分かち合う人々。

しかし今の日本では、そんな彼ら彼女らが一個の共同体として、公的な便宜を得られる枠組みがない。それが可能な手段は、異性間の結婚か、親子関係になる養子縁組だけだからだ。彼ら彼女らの間の親愛や信頼が、結婚する男女のそれに劣るとは、私には思えないのに。

そんなことを考えながら呟いたツイートが、思いのほか多くの反応をもらった。ツイートの閲覧回数は187万回を超え、3万7000の「いいね」がついた。

「私はどうやって死んでいくのか」。世代を超えたリアルな声

反響はもちろん賛同だけではなく、否定的な意見や「ルームメイトと何が違うのか」「一緒に住みたければ勝手に住めばいい」というものもあった。そしてそれらを読むほど、私はなおさら、この3万7000のいいねの後ろにいる賛同者について知りたくなった。

この人たちはどのような背景や考え方を持っているのだろう。なぜ「ただ一緒に住むルームメイト」以上の間柄を望むのか。どんな経緯でそれを願うに至ったのか。

さらに問いかけてみたところ、DMやリプライで応えてくれた方々がいた。ご本人の同意を得て、一部をご紹介しよう。

※引用はすべて原文ママ 

まずは、私と同じ40代後半の方から寄せられたメッセージ。

ーーー

私は40代後半の独身女です。

ひとりっ子で育ち、両親は他界しています。親戚は近所にいますが交流は薄く……。

私には唯一の友人(女)がおり、出会って30年経ちます。彼女も独身です。性関係はありません。

楽しいことや辛いことを共有し、支えてもらってるし大切な人です。彼女のおかげで、私の人生は豊かだなと感謝している日々です。

 

彼女は肉親が健在で実家暮らしですが、よく「私が1人になったら、うちで一緒に住めばいい」と言ってくれます。とても嬉しい言葉ですが、法的には他人なので、もし彼女が大病を患ったり先に他界した場合、彼女名義の銀行口座や保険の手続きなど、私がすることが出来ません。

なので、高崎さんのツイートには共感しかなく、もっと国に理解してもらえたらいいな、と思います。もちろん悪用する人がいるから無理なのでしょうが…。

ーーー 

この方の言う通り、「法的には他人」のままでは、相手のためにできない手続きが存在する。ここでは触れられていないが、相手が病気や怪我をした際の医療的な代理判断や、状態を知るためのカルテ開示、面会すらも、法的な家族でなければできないこともある。

「大切な人」に「ただ一緒に住むルームメイト」以上を望む理由は、こうしたところにもあるのだろう。  

30代の女性からは、こんなお便りが寄せられた。

ーーー

はじめまして。

「生活のパートナーとして世帯を一つにする」

まさに今の自分が理想として考えていることだったので、思いきってご連絡させて頂きました。

私は今30代ですが、異性との交際経験がありません。若い頃は異性を好きになることは稀にありましたが付き合えたことはなく、自分を気に入ってくれていそうな人とも何人か出会いましたが、そういう素振りをされると遠ざけていました。

いつかは結婚して子ども。漠然と考えていましたが実際に行動に移さぬまま時が過ぎ、友人の勧めで受けた検査で、もう卵子の数が年齢のわりに残り少ないことがわかりました。

子どもを産めないかもしれない。産まない未来が現実のものになる。それから自分が結婚出来るにしろ出来ないにしろ、後悔はしたくないと思って結婚相談所に入りましたが、まさに「恋愛性愛生殖前提」で相手のことを考えると気持ち悪くなり、いい人はたくさんいましたが、誰とも上手くいきません。

そこで自分が、もしかしたらアセクシャル(編集部注:他者に性的に惹かれない)に属するのかもしれないと思うようになりました。

婚活を続けることが精神的に苦痛で、一人の方が凄く気が楽だと思うようになったので、もう結婚は諦めようかと思っているのですが、どうして異性と結婚という制度でしか家族をもつことが出来ないのだろう?と根本的な疑問が浮かんできました。

同性愛でもなく、他者と恋愛をすること自体が難しいと感じている私は、誰とも家族になれない。

親しい友人はおりますが、友人たちと「法的に家族」にはなれない。身体が動くうちは働けばいいですが、身体が動かなくなった時どうやって死ぬのだろう。そう考えると辛いというのが正直なところです。

現在の日本の制度ではどうしようもないことなのかもしれませんが、高崎さんのツイートを見て、私の気持ちそのものだな、と思いました。

今はまだ、自分の気持ちと相談している最中です。

ーーー

「どうして異性と結婚という制度でしか家族をもつことが出来ないのだろう?」

「親しい友人はおりますが、友人たちと「法的に家族」にはなれない。」

恋愛も性愛も苦痛と感じる人は、一生誰とも”家族”になることができないのかーー

非婚が社会現象と言われて久しい現在、この方の言葉は、一個人の意見以上の重さで私に響いた。

異性との結婚を望まないがゆえに、一人で生活することを選んだ、もしくは、選びたくなかったがそうせざるを得なかった人を、私は他にも少なからず知っている。

もしも「異性との結婚」「親子関係になる養子縁組」以外に、自分の望む相手と家族になる選択肢があったら、この方達の人生はまた、違うものになっていたのだろう。

 メッセージの中には、18歳の方からのものもあった。「私の脳内を書きました」と添えられた画像の図と言葉は、直感的で力強い正直さに貫かれていて、胸を突かれた。

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DMをくれたご本人が送ってくれた画像。(個人情報が特定される可能性のある部分について編集部で加工しています)
髙崎順子

「付き合いたいと思うが実行したくない。別れがくるし、それであれば『友だち』でよくないか?と。それだけ大切な人。」

「だから逆に、結婚したい、共に生きたい。と思う」

 恋愛や性愛の介在しない共同生活を、そのように望む10代が、今の日本社会にはいるのだ。

そもそも、「結婚」とはなんなのか

このツイートへの反応を受信しながら、私は考えていた。「結婚」とは一体、なんなのか。

結婚は近親者ではない二人が「家族」という生活共同体を作る制度で、世界中の多くの国に存在する。共同生活を営む上で不都合が減るよう、構成員同士で権利と義務を託しあえる制度と法律が、セットになっていることが多い。その立て付けや運用は国・文化圏によって異なり、私が住んでいるフランスのそれも(後述する)、日本とはいくつもの違いがある。

今の日本の結婚制度とは、どういう形をしているのだろう。

地方都市で離婚問題を多く手がけ、同性婚訴訟にも携わっている佐藤倫子弁護士に尋ねると、大きく3つの特徴があるそうだ。.

「1つ目は結婚・離婚の手続きが簡潔なこと。2つ目は、その簡潔な手続きだけで得られる特権が数多くあること。3つ目は、その手続と特権が『戸籍上、異性の二人』の組み合わせに限定されていることです」

日本の結婚は、戸籍証明と本人確認書類を添えた「婚姻届」を市町村役場に提出し、受理されればその日のうちに成立する。そして税制や社会保障(年金、労災、医療補助など)、相続、住居など様々な生活面で、「配偶者」のみに発生するいくつもの権利と義務が、お互い自動的に付与される。

その結婚を解消するには「離婚届」を提出するだけで足り、結婚時に付与された特権や義務も、特段の取り決めの必要はなく失効する。例外は子どもがいる場合の親権だけだ。

「離婚訴訟をしていると、この3点について考えさせられます。人間の同意という、とても不安定で変わりやすいものを根拠にしながら、非常に簡潔な手続きで、こんなに多くの特権がついてくる。なのにその特権には慣例的に、異性の2人組しかアクセスできない。しかも『異性の2人組だけに可能』の根拠は、法文的にはないのです」

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「婚姻届」を市町村役場に提出し、受理されれば、婚姻はその日のうちに成立する。
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結婚について定めた憲法24条は、婚姻する2人を「両性」と書いているが、それを「男女」の異性同士とは明示していない。だが憲法の下位法令である民法は婚姻した当事者を「夫婦」と表記しており、現在でも事実上、結婚は男女間だけに認められるものとなっている。

その根拠としてよく見られるのが、「結婚にまつわる特権は生殖との交換条件だから」とする意見だ(私のツイートにもそのようなリプライがあった)。これに類する考え方は同性婚に関する訴訟で、国側の主張としても登場している。

子孫を残し家を繋ぐため、結婚を用いる風習は古くからある。また妊娠や出産を契機にした「授かり婚」で家族となる人々は、今の日本にも多い。

しかし一方で、生殖をバーターとしない結婚もまた、日本社会にはずっと存在してきた。もし生殖が条件となるなら、生殖可能年齢を超えた高齢の男女は結婚できないことになってしまうが、日本では婚姻に上限年齢は設定されていない。男女であれば、生殖の可能性がゼロの人同士でも、婚姻届が受理されるのだ。

日本の結婚を法的に定める民法は19世紀末に起草され、第二次大戦後、「家庭生活での個人の尊厳」と「両性の本質的平等」の観点からの大改正を経て、現在に至っている。しかしその大改正以前から、日本の家族法学者たちは「生殖を結婚の必須条件とはしない」との見解を示していると、佐藤さんが教えてくれた。それを示す文献の一節を引用しよう。

婚姻は夫妻の共同生活を目的とする。必ずしも子を得ることを目的としない。子が無いために配偶者が去ることはなく、高齢者の婚姻を禁じることはなく、生殖不能を理由に離婚または結婚の無効取り消しの原因とすることもない

(出典:穂積重遠「相続法大意」岩波書店、大正6年。仮名遣いや表現は文意を変えない範囲で現代語に変換している)

つまり、結婚の目的は本来、「子を産み育てること」だけではないはずなのだ。であればなぜ、「夫と妻」のパターンでしか認めることができないのか。

結婚の条件に生殖を必須としないならば、それを異性間に限定せずともいいし、恋愛や性愛が介在しなくてもいいのではないかーー私はどうしても、その疑問を抱いてしまう。しかも後者は法的な縛りではなく社会的な慣例で、恋愛の過程を踏まないお見合い結婚や、セックスレスでも問題なく婚姻を続ける夫婦は、実際に多くいる。

その疑問に発し、結婚制度の間口を広げようと考える議論には、「そんなことをしたら不正が多発する」との意見がつきものだ。実際、私のツイートにもそのリプライがあった。

では男女間の結婚であれば、不正は少ないと言えるのだろうか? 保険金狙いの配偶者殺人事件や結婚詐欺は、男女間しか結婚できない昔も今も起こっている。

 もう一つ”つきもの”の意見には、さらなる少子化を憂うものがある。しかし結婚以外にも共同生活の法的な手段があり、かつ合計特殊出生率が日本より高い国は、いくつも存在するのだ。

「共同生活」をめぐる制度、フランスの例

かくいう私自身はフランス人の男性と、フランスと日本の両国で法律婚をしている。共に生きたいと願う人がたまたま異性で、お互いの生まれた国がたまたま違い、国際結婚の形で家族になれた。

その手続きの過程で実感したのは、日本側の婚姻の手続きは、フランスのそれよりシンプルということだった。国際結婚は同国人同士の結婚よりも提出書類が多いが、それでもなお。

たとえば私が結婚した当時、フランスではまだ結婚前の健康診断が義務付けられており(結婚する二人は互いの健康状態を知る必要がある、との理由だった。2008年1月1日より義務化廃止)、医師の診断書を婚姻届に添えねばならなかった。現在の必要書類は出生証明書、身分証明書、住所証明書類の3点だが、届出をしてもすぐに受理はされない。

婚姻を届け出た旨が、届出先の市町村役所の入り口に10日間掲示され、そこで重婚などの異議申し立てがなかった段階で受理可能となる。

かつ、フランスの法律婚の成立時には届出先の市長もしくは副市長が執り行う配偶者宣誓の儀式があり、その際は2名〜4名の成人立会人が必要だ。晴れて結婚できた場合、ほぼ日本と同じような配偶者の権利と義務が自動的に発生するが、財産分与に関して法律婚以外のルールを自分達で取り決める「結婚契約書」を結ぶ人もいる(出典:フランス政府行政情報サイト「フランスでの結婚」)。

離婚の手続はより手間と時間がかかり、同意の上の協議離婚であっても、以下の5段階を踏む必要がある。

1・弁護士と契約 2・離婚条件の確認 3・離婚協議書の作成 4・公証人への協議書提出 5・受理と身分変更(出典:フランス政府行政情報サイト「協議離婚」

フランスでは双方の性別に関わらず結婚できるが、そのハードルの高さから、敢えてそれを選ばず共同生活をする人も多い。

また、フランスには結婚とは別に、「連帯市民協約PACS」というパートナーシップ協定がある。結婚よりも自動的に付与される特権や義務が少ない分、手続きも軽減され、主に税制や社会保障面などで日常生活の便宜をカバーするシステムだ。結婚同様、性別の組み合わせを問わず可能であり、コロナ禍前の2019年、フランスでは22万4740組が結婚し、19万6370組がPACSを結んでいる。 

このPACS、元は同性婚法制化の前に、同性愛者の共同生活のために作られた制度だったが、蓋を開けてみれば異性間の利用者が圧倒的に多かった。現行の結婚制度では共同生活ができない・したくないと考えた人々は性的指向を問わず多く存在し、そこをPACSがカバーしたためだと言われている。

※PACSでも相手が外国人の場合は、過去3ヵ月間別のPACS歴がない証明など、追加の書類が求められる。 

人に合わせて制度を変えるか、制度に人を押し込めるのか

 私が冒頭のようなツイートをした背景には、共同生活の法的な選択肢が日本より多いフランスに住んでいる影響が、もちろんあるだろう。

とはいえフランスも理想郷ではなく、人間が「二人一組」で支え合うパートナーシップの有効性を重要視するあまり、独身者への社会的なプレッシャーが強かったり、「パートナーで暮らすこと」の制度的なお得感が単身世帯に比較して大きすぎるという声もあったりする。

歴史も文化も異なる国や社会の制度が、そのまま別の国・社会で有効であるとは限らない。しかし、自分の国で暮らす上で疑問に感じる慣習、違和感を抱く現状について考える際には、一つの材料になることも確かだ。

たとえばフランスであれば、結婚でもPACSでも性別の制限がない。パートナーシップに恋愛や性愛がどこまで介在しているかを示すデータはないが、それが明確に条件付けはされていない。

必要なのは互いをパートナーとして認め、「共同生活をする」「物理的に助け合う」「日常生活に必要な債務に関して相互扶助し連帯する」義務を互いに負うことだ。 

もし私にメッセージをくれた方がフランスに住んでいたら、彼女が希望すれば、「大切な人」と法的な繋がりを築く手段がある。フランスの制度設計が日本の最適解と安易には言うつもりはないが、制度が変われば同じ人に別の生き方が可能になることを、この例は分かりやすく示していると言えるだろう。

日本では、50歳時点で婚歴のない「生涯未婚率」が、男女ともに増加傾向を続けている。先日発表された2020年国勢調査では男性28.3%、女性17.9%で、2000年の男性12.6%、女性5.8%から、20年間で倍以上に増えた。

結婚を望まない人、望んでもできない人、その理由はさまざまだ。が、理由がどうであれ、結婚をめぐる「しない・できない」を枠取っているのは、現行の制度と慣習である。

 今の結婚制度のままで不満や不足なく、望んだ相手と家族になれる人もいる。しかしそうではない人々の多様な生き方を、現行のシステムだけでカバーしきれなくなっている実態は、数字に明確に現れている。自分の生きる社会の課題として、誰もが結婚制度について考えるべき時が来ているのではないだろうか。自分以外の隣人、友人、子どもたちのためにも。

このままの制度を堅持し、不安や失望を抱えながら、単身で生きる人々を増やし続けていくのか。それとも「この制度ではしない・できない」人々の姿を見て、制度の方を変えていくのか。だとしたら今の日本に必要なのは、どんな制度なのかーーそれを考えるきっかけを、私はツイートに寄せられた3万7000の賛同から与えられた。読者の方々にも、この記事が一つの契機になることを願っている。

(文:髙崎順子 /編集:南 麻理江