2019年5月、トルコの首都アンカラにある大学で、LGBTIサークルのメンバーなど19人の学生と教員が逮捕・起訴されました。主要メンバーのメリケ・バルカンさんとオズギュル・ギュルさんは、プライドマーチが禁止されたことに抗議し、座り込みを行っただけで逮捕・起訴されてしまったといいます。
有罪となれば3年の実刑を受けるおそれがあるなか、新型コロナウイルスの影響で19人の裁判は2年以上にわたって延期。この間ずっと不安な思いを抱えて生活しなければならなかったことは、彼らの私生活、学問、そしてキャリアにもさまざまな悪影響を及ぼしてきました。
逮捕から2年以上が経った今年の10月、遂に最終的な判決を行うための審理が行われ、晴れて19人の無罪放免が決定されました。
なぜ、メリケさんたち19人は起訴されなければならなかったのか。トルコにおけるLGBTIの権利をめぐる背景を紐解きます。
トルコのプライドマーチ
2003年、トルコ最大の都市イスタンブールで、イスラム圏ではじめてとなるプライドマーチが開催されました。ここでいう「プライド」とは、LGBTIであることに誇りを持ち胸を張って生きていくという意思を示す言葉であり、プライドを祝う、あるいはLGBTIの権利を主張する、さまざまな催しを指す言葉でもあります。
「トルコのLGBTIの人たちにとって、プライドは非常に重要です。トルコではLGBTIの人たちが自分らしく生きることがとても難しい。しかし、プライドでは、仲間と一緒になれる、ありのままの自分でいられる。それは重要な感覚であり、癒しの力があるのです」 -メリケ・バルカンさん
しかし、2015年にイスタンブールで開催されたプライドマーチは、催涙ガスやゴム弾を使った警察の妨害にあいました。2016年以来、イスタンブールのプライドマーチは禁止されています。
今年6月、プライドマーチの禁止への抗議活動のために集まった活動家たちは、警察による暴力を受けたといいます。LGBTIの権利を平和的な手段で訴えただけで暴力を受けたり投獄されてしまったりと、あってはならない人権侵害がトルコでは繰り返されているのです。
非常事態宣言を理由に基本的人権がないがしろに
プライドマーチに限らず、トルコでは「非常事態」の名のもとにさまざまな集会が禁止されたりと、表現の自由や集会・結社の自由がないがしろにされてきました。
きっかけは2016年7月15日に起きたトルコの軍事クーデター未遂事件でした。翌週7月20日の夜、エルドアン大統領は非常事態を宣言、翌日には治安維持のためにさまざまな人権を制限することを示唆しました。クーデター未遂から10日間で1万人以上が拘束され、多くがひどい拷問を受けました。政権に批判的なメディアも次々と閉鎖に追い込まれました。
当初は3カ月間とされていた非常事態宣言は7回も延長され、2018年7月まで続きました。その2年間で150以上もの法律が修正され、トルコ政府は絶対的な権力を築きました。少なくとも1,487の市民団体と117のメディア局が閉鎖に追い込まれ、トルコ政府に対して異を唱える声は次々と弾圧されていきました。
非常事態宣言が解かれた後も、大きな権力を得たトルコ政府によって作られた法律は効力を持っており、トルコの人たちにさまざまな影響をもたらし続けています。
LGBTIの権利を訴えるための座り込みは「違法な集会」
2019年、メリケさんたちLGBTIサークルのメンバーが通う中東工科大学は、政府の方針に従い校内でのプライドマーチを禁止。2019年5月、LGBTIサークルは、抗議の意味を込めて、マーチの代わりに座り込みを行いました。それに対し大学側は警察を呼び、警察は催涙ガスなどを使って参加者を追い散らして23人を逮捕しました。
検察は、そのうち19人を起訴。プライドの座り込みを「違法な集会」とみなし、集会とデモに関する法律に基づいて、「警告されたにもかかわらず解散しなかった」としました。この法律は、平和的集会を抑圧するために乱用されています。
2年の時を経てメリケさんたち19人は、無事に解放されました。ただ、依然としてプライドマーチは禁止されており、LGBTIコミュニティは困難に直面し続けています。
LGBTIの権利を訴えるプライドマーチまで違法扱いされ人権が脅かされている現在の状況を見過ごすわけにはいきません。この権利は、トルコが締約国である国際人権条約によって保護されています。トルコ政府は、プライドマーチを禁止するすべての法律や条例をなくすべきです。
(2021年12月6日のアムネスティ日本掲載記事「トルコ:起訴されたLGBTIサークルメンバー 無罪放免が決定」より転載)