子どもがあの頃の私に見える「こんな母親でごめんなさい」自分を責めるママ達へ

10月10日は世界メンタルヘルスデーです。『ウツ婚‼︎』の著者で、現在2人の子どもをワンオペで育てる石田月美さんが「ママのメンタルヘルス」をテーマに寄稿しました。
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我が家のボディソープは青い。

もともとは白色のボディソープに、キャラ弁用の着色料を入れて青くしている。

フラッシュバック対策だ━━。 

※この記事には性被害に関する記述があります。読まれる際はご注意ください。

 

私には6歳の娘と3歳の息子がいる。現在夫が単身赴任中なので、いわゆるワンオペ育児だ。ワンオペということはもちろん、食事も歯磨きもそしてお風呂も、私と子ども達だけで行なっている。家庭という密室で。     

子ども達が赤ちゃんの頃はベビーバスを使い、子ども用の泡で出るボディソープで沐浴をしていた。でも、あっという間に「赤ちゃん」は幼児になり、娘はすっかり「女の子」に。

そこで私は、「子ども用って高いし…」と節約のつもりで、娘に大人用のボディソープを使った。でも、その姿を見て私は倒れそうになってしまった。フラッシュバックだ。 

私は様々な精神疾患を持っており、性被害の経験もある。

すっかり「女の子」である娘の体にかかった白の液体が、私には“あの時”男性からかけられたものに見えた。

温かいお風呂場で、全身が凍ったように感じ、吐き気がし、血圧が下がるのがわかる。

無邪気に「ママ、どうしたの?」と聞く娘に悟られまいと歯を食いしばって、子ども達の体と髪を洗い湯船に入れる。自分が湯船に浸かってしまうと体が緩んでさらにパニックが酷くなるのでそのまま上がり、「お先に~」なんて言いながらガチガチの体にパジャマを着た。「ママが上がるなら、あたしも上がる!」と言う子ども達をバスタオルで包み、着替えさせ、歯磨きをして寝室に移動。絵本を読みながら寝かしつける。

子ども達が寝た後、私は冷蔵庫を開けて食べ物を物色し、腹がはち切れんばかりに詰め込み、気を失うように寝た。

翌日、胃もたれした私の体に「ママ!起きて!」と覆いかぶさってくる子ども達に、朝食をとらせ着替えと歯磨きをし、園に送る。その足でスーパーに行き、ボディソープを青くしてしまおうとキャラ弁用の着色料を買った。

白い液体がかかった娘の体は、もう二度と見たくない。

 

子育ては“あの頃の自分”を引き戻す

子育ては自分の子ども時代をなぞる。目の前の子どもが“あの頃の自分”に見えてしまい、“あの頃の自分”に何があったかを思い出させる。しかもそれは日常に突如予期せぬ形でやって来る。もう過去のことのはずなのに、苦しい記憶は“今”を支配する。“あの頃”と“今”がごちゃ混ぜになって飲み込まれそうだ。

そして自分の子どもを一生懸命に育てれば育てるほど、「なぜ自分はこんな風に育てられなかったのだろう」という気持ちが湧いてきてしまう。“あの頃の私”はもう立派なおねえちゃんで、なんでも自分でやらなきゃいけないと思っていたし、怖いことを我慢だってできると思っていた。でも、目の前にいる“あの頃の私”と同い年の我が子は、こんなにも小さくてこんなにも弱っちいじゃないか。

子ども達はいっちょ前に「ママってうっかり屋さんね」と私を笑う。

でも、うっかりしている様に見える私の頭の中は、過去のことや今のこと、自分の親のことや自分が親であること、子ども時代のことや目の前の我が子のことなんかが高速でめちゃくちゃに回っている。

反対に、何かを考えてしまうのが怖くて、記憶が蘇るのが怖くて、ドタバタと動き回っている時もある。どちらにせよ、ものすごく疲れる。脳と体のエネルギーをひどく消耗する。

子ども達は「ママったら、慌てん坊なんだから」と笑う。

私は「本当だね。ママったら、うっかり屋さんで慌てん坊だね」と笑いながら立ちすくむ。

 

「こんな母親でごめんなさい」

こんな思いをしているのは、私だけじゃない。トラウマティックな出来事を経験し、それでも子どもを産み育てているママはいっぱいいる。大好きなはずの我が子を触るのが怖いだなんて、周りに言えず歯を食いしばりながら育児をするママが。 

身体症状を伴うような激しいフラッシュバックが起こらなくとも、性被害経験がなくとも、この感覚が何なのか言語化できないままに私たちは必死で子育てをしている。

娘が女になるのが怖い。息子のトイレトレーニングが怖い。夕暮れ時の公園が、子どもが食器を落とす音が、誕生日会が、先生が、学校が、子育てにまつわるあらゆる状況が私たちに過去の自分を突きつけてくる。

フラッシュバックの引き金はそこかしこにある。誰も悪くない。でも私は「こんな母親でごめんなさい」といつも思う。そう、私のような症状や経験を持つママ達はいつだって自分を責めているんだ。 

私自身、10年の間、精神病院に通ってトラウマケアをし、そこから不妊治療で子どもを授かった。そこまで準備と覚悟を持って産んでも、日々はままならない。

いつだって「まだ親になるには早かったのかもしれない」と思う。なんでフツーのママ達のように子育てが出来ないのだろうか。自分を責めながら、日々の家事育児に追われている。

そしてこのことは家庭という密室に閉じ込められてしまう。

愛して愛して愛してやまない我が子を、怖くて遠ざけたくなってしまうこと、過剰に守りたくなってしまうこと。そんなこと自分でも認めたくないし、周囲に相談すると自分の過去まで話さなければならない。過去を隠したまま、「子どもを見ると気持ちが悪くなる」と言えば酷い母親だと思われるだろう。

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問題は解決しないまま子育ては続く

だから、どうか私のようなママ達に“安心して具合が悪くなれる場所と時間”をください。

子どもを1人で育てるのは無理だ。子ども家庭支援センター、ファミリーサポート、延長保育…。そうした場所に子どもを預け、少しだけ回復してからお迎えに行く。

「子どもが苦手」「子育てがしんどい」そんなことを言っているママは周りに居ないだろうか。それは私たちの精一杯のSOSだ。どうか、私たちママを助けるのが子どもではありませんように。周りの大人達がママを助けてくれますように。

何があったか説明しなくても、面倒な手続きをしなくても、ただ静かに体を休めたい。それが出来れば、問題は解決しなくともまた何とかやれる。そう、問題は解決しない。解決しないままに子育ては続く。

横にならせて欲しい。1人の時間が欲しい。もう嫌だ逃げたいって泣き叫ばせて欲しい。その声を、子どもに聞かせないために、ただ少しだけ倒れたい。

安心して具合が悪くなれる場所と時間を、どうかママ達に。

そして、少しでも力を溜めて、今日も子育てをしよう。

私たちが奪われた日常を、昨日と同じような今日、今日と同じような明日を子どもに与えるために。

家庭という密室に安全を。

(文:石田月美 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)