先日、ある自民党の女性県議に話を聞いた。
シングルマザーとして議員活動をこなす中で、突然「夕方5時から会議だから」と連絡があるのだという。「何時までですか」と尋ねると「そんなの話が終わるまでだからわからん」と。子どものお迎えの調整がつかないので「6時以降は難しい」と答えたところ、「プライベートを持ち込むな!」と叱責されたというのである。
家庭は妻に任せて自分は議会に集中してきた高齢男性県議にしてみれば、県民のために夜遅くまで会議をすることは正義なのだろう。
しかし、共働きが当たり前の時代、働く女性の「プライベート環境」(子育て)を支援するシステム作りこそが政治の役割なのではと問いたくなる。時代は変わったのに、いまだに昭和的価値観や成功体験にすがった政策決定しかできない「モノカルチャーな政治」では、若い世代が抱える問題に発想さえ及ばない。
公務員の残業代+タクシー代、計100億超の現実
「モノカルチャー」とは、単一の産品や産業に依存した経済を意味する言葉で、「モノカルチャー政治」とは政策決定層を高齢男性のみに占められている日本の政治状況を指す。
「24時間戦えますか」という昭和の根性論そのままに、膨れ上がった国会開会中の国家公務員の残業代約102億円、深夜のタクシー代約22億円を、テレワークなどを活用して削減し、コロナ対策に回して欲しいと提言した(株)ワークライフバランス代表の小室淑恵さんから教えてもらった言葉である。
コロナ禍にあって私たちに突きつけられたのは、デジタル後進国である日本の実態だった。イギリスや台湾などデジタル化の進む政府が、スピード感のある感染経路追跡、補助金の給付、ワクチン接種などを行ったのに比べて日本政府は大きく遅れをとった。
高齢議員を中心にいまだにファックスを使用し、オンライン化、ペーパーレス化もせず、役人の残業当たり前という昭和的発想で、働き方改革やそれにともなうデジタル化に目を向けることをしなかったからだ。モノカルチャー政治のままでは、もはや少子化やコロナ対策はもちろん、日本の成長自体が望めない。
「クオータ制」発祥の地、ノルウェーの歩み
先日、「国際女性ビジネス会議2021」というイベントで、ノルウェー大使館のリーネ・アウネ公使参事官/臨時代理大使にお話を聞く機会があった。ノルウェーは女性を政策決定層に増やす「クオータ制」発祥の地である。
「政治や企業の幹部に女性が増えることの利点としては、それまで活かされていなかった能力や技術をもつ人材が活躍することよって、国のGDPにも現実的に有益なことです」とアウネさんは語る。
「企業の取締役会議でも、女性は男性と異なる視点や技術を有しているので、より多彩で生産的な議論になり、全体的な収益をみてもプラスに働いています」(アウネさん)
ノルウェーでは女性の政治参加を求める草の根運動が発端となって、1978年に男女平等法が制定された。その後88年に改訂され「公的委員会・審議会は4名以上で構成される場合、一方の性が全体の40%を下回ってはならない」というクオータ制が本格導入された。
「クオータ制が導入されて5年後には、父親の育児休暇制度が成立するなど子育て家庭を支援する政策がスピードアップしました。ただ、公的機関に比べて民間はなかなか進まなかったのが現実です。
職業訓練や女性ネットワーク、先輩女性による教育活動など様々な分野で多くの推進運動が行われましたが、変化は起きませんでした。
事態が動いたのは2000年代に入ってからです。このままではあと200年たっても民間企業のクオータ制は達成できないと政治が動き、『取締役会の女性採用40%が達成されない場合は、上場廃止、会社解散も含む罰則が科せられる』という法制化によって、一気に社会全体でも女性幹部の登用が進んだのです」(アウネさん)
女性参画先進国であるノルウェーでも、反対派がいたり、現状を変えることに二の足を踏む企業が多かったりしたため、広く浸透させるためには政治主導による法制化が必要だったのである。
クオータ制は女性独自の問題でも、優遇でもない
今や約120の国・地域が取り入れているクオータ制だが、日本では女性優遇の逆差別ではないかという批判もありなかなか議論が進まない。しかし、アウネさんはクオータ制が女性独自の問題でも優遇でもないと指摘する。
「ノルウェー元総理で、NATO事務総長であるストルテンベルグ氏はこう言いました。
我が国の最も重要な資源は石油でもガスでもなく、人材であると。彼は経済学者でもあるのですが、国のGDPは労働人口の規模と生産性であると考えています。人口の多くを占める女性の能力や技術を活かさないというのは、すなわちGDPを低下させることなのだと」(アウネさん)
少子高齢化や労働人口減少という課題を抱える日本にとって、ノルウェーの歩んだ道のりは参考になる。どうしても女性優遇の議論に考えられがちだが、そうではない。「モノカルチャー政治」は、多様な環境にいる男性にとっても決して生きやすい社会を作ることにはつながらない。クオータ制とは「モノカルチャー」を脱して、より幅広な人材の能力が活かされ、政策決定に多彩な考えを反映できる政治に変えていく議論である。
今回の総裁選を通じて自民党が長く続いた「モノカルチャー政治」から脱却することができるのか。
水面下で派閥や世代間のとてつもない攻防が行われているのは想像に難くないが、総理大臣になるために忖度された政策論争ではなく、日本とその未来にとって今本当に何が必要なのかという政策論争になることを切に願っている。