東京・池袋で2019年4月、車を暴走させて母子2人を死亡させたほか、9人に重軽傷を負わせたとして、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(90)に対し、東京地裁(下津健司裁判長)は9月2日、禁固5年(求刑禁固7年)の判決を言い渡した。
判決要旨の全文は以下の通り。
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判決要旨
【宣告日】令和3年9月2日
【被告人】飯塚幸三
【事件名】過失運転致死傷被告事件
【裁判所】東京地方裁判所刑事第17部
【裁判官】下津健司(裁判長)、兒島光夫、松下健治
【主文】
被告人を禁錮5年に処する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
【罪となるべき事実】
被告人は、平成31年4月19日午後0時23分頃、普通乗用自動車を運転し、東京都豊島区東池袋4丁目7番先の東池袋交差点を左折して同所の片側2車線道路を同交差点方面から護国寺方面に向かって時速約60キロメートルで進行するに当たり、アクセル及びブレーキを的確に操作して進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り、ブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み込み、そのままアクセルペダルを踏み続けて進行した過失により、自車を時速約84キロメートルまで加速させて進行させ、その頃、同区東池袋4丁目5番先の信号機により交通整理の行われている交差点出口に設けられた横断歩道上を信号に従い左方から右方に向かい横断進行中のA(当時78歳)運転の自転車に自車前部を衝突させて同自転車もろとも同人を路上に転倒させ、更にアクセルペダルを踏み続けたまま自車を時速約96キロメートルまで加速させて進行させ、その頃、同区東池袋4丁目4番先の信号機により交通整理の行われている交差点入口に設けられた横断歩道上を信号に従い右方から左方に向かい横断進行中の松永真菜(当時31歳) 運転の自転車に自車前部を衝突させて前記松永真菜運転自転車もろとも同人及び同自転車後部幼児用座席に同乗していた松永莉子(当時3歳)を跳ね飛ばして路上に転倒させ、次いで、同交差点を信号に従い左方道路から右折進行してきたB(当時42歳)運転の準中型貨物自動車右前部に自車左前部を衝突させて同準中型貨物自動車を路上に横転させた上、自車を対向車線上に進出させて、同交差点出口に設けられた横断歩道上を信号に従い左方から右方に向かい横断歩行中のC(当時42歳)に同準中型貨物自動車との衝突の際に破損した同車の一部又は自車の一部のいずれかを衝突させた上、自車後部を衝突させて同人を路上に転倒させ、同横断歩道上を信号に従い同方向に横断歩行中のD(当時73歳)に前記Cを衝突させて前記Dを路上に転倒させ、同横断歩道上を信号に従い右方から左方に向かい横断進行中のE(当時33歳)運転の自転車に自車後部を衝突させて前記E運転自転車もろとも同人及び同自転車前部幼児用座席に同乗していたF(当時2歳)を路上に転倒させ、同横断歩道上を信号に従い左方から右方に向かい横断歩行中のG(当時90歳)に前記松永真菜運転自転車との衝突の際に破損した同自転車の一部、同準中型貨物自動車の一部又は自車の一部のいずれかを衝突させて前記を路上に転倒させ、同横断歩道上を信号に従い同方向に横断歩行中のH(当時84歳)に前記松永真菜運転自転車の一部、同準中型貨物自動車の一部、自車の一部又は前記Gのいずれかを衝突させて前記Hを路上に転倒させるとともに、その際、前記各衝突時のいずれかの衝撃等により自車助手席に同乗していたI(当時87歳)の胸部等に打撃を与えるなどし、よって、前記松永真菜に上位頸髄損傷等の傷害を、前記松永莉子に頭蓋内損傷等の傷害をそれぞれ負わせ、即時同所付近において、両名を前記各傷害により死亡させ、別表記載のとおり、前記Aほか8名にそれぞれ傷害を負わせたものである。
【事実認定の補足説明】
弁護人は、被告人がブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み込み、そのままアクセルペダルを踏み続けたことはなく、運転していた自動車(以下「被告車両」という。)に何らかの突発的な異常が生じ、これによって被告人車両が加速し、暴走に至った可能性があるから、被告人に自動車運転上の過失はないと主張し、被告人も、当公判廷でこれに沿う供述をしている。しかし、当裁判所は、判示のとおり、被告人にはブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み込み、そのままアクセルペダルを踏み続けて進行した過失があると認定したので、以下、その理由を補足して説明する。
第1 前提となる事実関係
関係証拠によれば、以下の事実が認められ、当事者間においても特段の争いはない。
1 被告人車両
被告人が本件事故時に運転していた車両は、車種はトヨタプリウス、型式はDAA-NHW20、 初度登録年月は平成20年10月、動力源としてガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせて走行するハイブリッド仕様の普通乗用自動車であり、S-VSC(横滑り時の車両姿勢制御機能)が装着されていた。
2 自宅からの出発状況
被告人は、本件事故当日である平成31年4月19日午後0時10分頃、被告人車両に妻を同乗させて運転を開始し、都内の自宅を出て、午後0時30分に予約していた都内のレストランに向かった。なお、自宅を出発する時点で、被告人車両後部のブレーキランプは点灯していた。
3 自宅を出発してから東池袋交差点までの走行状況
被告人車両は、自宅を出発後間もなく川越街道(国道254号線)に出て、信号に従って停止・発進を繰り返し、また適宜車線変更をしながら南東に進み、東京都豊島区東池袋3丁目4番先の信号機により交通整理の行われている交差点(サンシャイン60通り交差点)で赤信号に従い停車した後、午後0時22分頃、信号が青に変わったため、前方で停車していた他車に続いて発進した。同交差点より先の道路は、同区東池袋4丁目7番先の信号機により交通整理の行われている交差点(池袋交差点)の手前で片側4車線が左折2車線と右折2車線に分岐しているところ、被告人車両は、左折車線の第2通行帯を走行した。
4 東池袋交差点の左折から縁石との衝突までの走行状況
(1) 被告人車両は、サンシャイン60通り交差点を発進した後、加速して安定した速度のまま直進し、同区東池袋4丁目7番にある東池袋交番の前を通過し、午後0時23分23秒頃、東池袋交差点近くに至り、ウインカーを出した。
(2) 午後0時23分25秒頃、被告人車両は、左折を開始するとともに、左側の第1通行帯に車線を変更しながら、第2通行帯前方を走行していたa運転の自動二輪車を追い越したが、その際、被告人車両の走行音に変化が見られ、午後0時23分27秒頃、被告人は「おー」と声を上げた。
(3) その1秒後の午後0時23分28秒頃、被告人車両は、左折を終えると、第1通行帯前方を走行していたb運転の自動二輪車が眼前に迫って来るのを避けるように、ウインカーを出すことなく、右側の第2通行帯に車線を変更して同自動二輪車を追い越したが、その際、スキール音(タイヤと路面が擦り合う音)がするとともに、被告人車両のエンジン音が上昇した。
(4) 更にその1秒後の午後0時23分29秒頃、被告人車両は、今度は第2通行帯前方を走行していたc運転の普通乗用自動車(以下「先行自動車」という。)が眼前に迫って来るのを避けるように、ウインカーを出すことなく、再び左側の第1通行帯に車線を変更して先行自動車を追い越した。この間もスキール音が続くとともに、この頃、S-VSCの作動を知らせる「ピピピ」という電子音が車内に鳴動し、妻が「危ないよ、もおっ」と声を上げた。
なお、被告人車両が東池袋交差点を左折しながらa運転の自動二輪車を追い越してから先行自動車を避けるように車線変更を開始するまでの距離は、約30メートルであった。
(5) その後も、被告人車両は、第1通行帯を走行し、午後0時23分31秒頃、同区東池袋4丁目6番先路上で、第1通行帯の左側にある縁石に衝突した。
5 本件事故の状況
(1) 被告人車両は、更に第1通行帯を直進して約42.7メートル走行し、午後0時23分33秒頃、同区東池袋4丁目5番先の信号機により交通整理の行われている交差点(東池袋4丁目西第2交差点)に、赤信号にもかかわらず進入し、妻が「わっ、危ない」と、被告人が「あっ」とそれぞれ声を上げた直後、同交差点出口に設けられた横断歩道上を信号に従い左方から右方に向かい横断進行していたA運転の自転車に被告人車両前部が衝突した(以下、この場所を「第1現場」という。)。
(2) 被告人車両は、更に第一通行帯を直進して約74.0メートル走行し、被告人と妻がそれぞれに「ああー」などと声を上げた後、被告人が「あれどうしたんだろう」とつぶやき、妻も「どうしたの」と言った直後の午後0時23分36秒頃、同区東池袋4丁目4番先の信号機により交通整理の行われている交差点(東池袋4丁目西交差点)に、赤信号にもかかわらず進入し、同交差点入口に設けられた横断歩道上を信号に従い右方から左方に向かい横断進行していた松永真菜が運転し松永莉子が後部幼児用座席に乗っていた自転車に被告人車両前部が衝突した(以下、この場所を「第2現場」という。)。
(3)被告人車両は、被告人と妻が悲鳴を上げる中、更に同交差点内を直進して約9.4メートル走行し、午後0時23分37秒頃、同交差点を信号に従い左方道路から右折進行してきたB運転の準中型貨物自動車(塵芥車)の右前部に被告人車両左前部が衝突し、その結果、同部が大破してエアバッグが開くとともに、衝突の余勢で車両後部を前にして対向車線上に進出して約20メートルにわたって逸走し、同交差点出口に設けられた横断歩道上を信号に従い横断していたCらに被告人車両後部等が衝突するなどした上、午後0時23分39秒頃、対向車線上で停車していたd運転の準中型貨物自動車の右前部に被告人車両後部が衝突して停止した。
6 被告人車両の損傷状況
被告人車両は、本件事故、特に前記塵芥車との衝突による各部が損傷し、中でも左フロントエンジンルームの損傷が著しく、リレーブロックが損傷して電装品への電力の供給が不可能な状態となって、イグニションスイッチが入らなくなった。
第2 被告人車両の走行状況等に関する検討
前記第1の前提となる事実関係も踏まえ、本件事故の際の被告人車両の走行状況等について更に検討する。
1 被告人車両の走行速度
(1) 被告人車両の速度鑑定
ア 被告人車両の速度鑑定の内容
警視庁交通部交通捜査課に所属する警察官である内山三千代は、本件事故の際の被告人車両の走行速度等を鑑定している。
この内山鑑定によれば、被告人車両の走行速度は、①東池袋交番付近(前記第1の4(1))の2.95メートルの区間では時速約53キロメートル、②東池袋交差点の左折開始時から左カーブの頂点まで(前記第1の4(2))の13.43メートルの区間では時速約60キロメートル、③同頂点から左折終了時まで(前記第1の4(2)ないし(3))の13.80メートルの区間では時速約62キロメートル、④縁石衝突直前(前記第1の4(5))の9.80メートル区間では時速約69キロメートル、⑤A運転の自転車に衝突する直前(前記第1の5(1))の17.842メートルの区間では時速約84キロメートル、⑥松永真菜運転の自転車に衝突する直前(前記第1の5(2))の19.389メートルの区間では時速96キロメートルであったと推定されている(なお、①ないし⑥の各走行速度は、いずれも一定の区間の平均の速度として推計したものである。)。
また、内山鑑定によれば、東池袋交差点左折時に、被告人車両は、車体の前方が上がった状態、すなわち、加速時に見られるノーズアップという状態であったことが認められるとされている。
イ 内山鑑定の手法
内山鑑定は、①については、東池袋交差点の手前にある東池袋交番の防犯カメラの映像データを、②及び③については, 東池袋交差点に面するガソリンスタンドの防犯カメラの映像データ(以下、合わせて「防犯カメラ映像」という。)をそれぞれ用いているところ、防犯カメラ映像から選び出した二つのフレーム(画像)と同型車で走行状況を再現させた際の防犯カメラのライブ映像(以下「ライブ映像」という。)と重ね合わせるなどして比較対照することにより、その二つのフレームにおける被告人車両の位置を現地においてそれぞれ特定し、その間の距離を現地において巻き尺で計測して移動距離を得るとともに、その二つのフレーム間のフレーム数から時間を算出して移動時間を得て、移動距離を移動時間で除することにより区間の平均速度を推計している。
また、東池袋交差点左折時にノーズアップ状態であったという点は、同交差点のカーブの頂点における被告人車両の防犯カメラ映像とその場に移動させた同型車のライブ映像とを重ね合わせて比較対照することにより明らかにしている。
さらに、④ないし⑥については、被告人車両の車載カメラ(ドライブレコーダー)の映像データ(以下「車載カメラ映像」という。)を用いているところ、まず車載カメラ映像から選び出した一つのフレーム上で縁石のペイントの端や横断歩道の始端部などの特定の地点を基準点として設定し、次いでその基準点と同じ座標のところに同様の特定の地点が現れているフレームを車載カメラ映像から選び出し、その二つの特定の地点間の距離を現地において巻き尺で(④)やトータルステーションと呼ばれる計測機器(⑤、⑥)で計測して移動距離を得るとともに、その二つのフレーム間のフレーム数から時間を算出して移動時間を得て、移動距離を移動時間で除することによりその区間の平均速度を推計している。
(2)内山鑑定の信用性
内山警察官は、交通事故解析研究員や警視庁指定広域技能指導官の資格を有し、多数の交通事故に関する鑑定作業に従事した経験を有するなど、交通事故原因の解析に関する高度な知識・技能を習得しているものと認められる。内山鑑定は、そのような高度な能力を有する経験豊富な捜査官による鑑定である上、その手法等も合理的であって、その信用性に特段の問題は認められない。
この点に関し、弁護人は、内山鑑定は、ア推計の基礎となる映像資料も2地点間の計測方法も地点によってばらばらである、イ前記(1)の1について、被告人車両のブレーキランプの点灯の有無を確認するために選び出した2つの防犯カメラ映像を速度鑑定に流用している上、広角レンズによるパース効果も考慮すると、正確な速度が算出されたとはいえない、ウ前記(1)の②及び③について、被告人車両が左旋回していることを無視して東池袋交差点内の2地点間の直線距離を計測している、などと指摘して、内山鑑定は信用性を欠くと主張する。 しかし、アの点は、前記(1)の①ないし⑥の各区間において推計に用いた被告人車両の映像が異なっていたとしても、前記(1)イの内山鑑定の手法は、推計の根拠となる2地点の特定方法として特段の問題があるとはいえない。また、移動距離の計測 方法として巻き尺と測量機器が用いられているが、計測方法が異なっていたとしても、そのいずれによっても相応に正確な計測結果を得ることは十分可能であり、計測結果の正確性に特段の問題があるとはいえない。
イの点は、確かに、内山鑑定では弁護人が指摘するような目的も併存していたが、そのために内山鑑定の信用性に直ちに疑いが生じるわけではない上、内山鑑定では、 東池袋交番の防犯カメラ映像から選び出したフレームと同型車で走行状況を再現させた際のライブ映像とを重ね合わせるなどして地点を特定しており、いずれの画像・映像も同一の防犯カメラによる同一のパース効果が加味されているから、推計結果に差は生じないものと考えられる。
ウの点は、前記(1)の②及び③における推計に当たっては、いずれも移動距離が14メートル弱という短い距離であり、旋回していることを考慮しても、その差はごく僅かであると考えられる。内山警察官も、鑑定に当たり、旋回を加味した重心の移動距離を図測してほぼ同じであることを確認しており、鑑定に支障はないと判断したと述べている。
以上のとおり、弁護人の前記主張を踏まえて検討しても、内山鑑定の信用性に疑いは生じない。
(3) 小括
以上の検討の結果、信用性に問題がない内山鑑定によれば、前記(1)アのとおり、①ないし⑥の各区間における被告人車両の走行(平均)速度が認められる。
2 被告人車両が加速され続けていたこと
(1) 被告人車両の走行状況
前記第1の3ないし5のとおり、被告人車両は、東池袋交差点までは特に問題なく走行していたが、東池袋交差点において左折を開始した後、走行音を変化させ、エンジン音を上昇させるとともに、加速時に見られるノーズアップ状態を呈した上、眼前に迫って来た先行各車両を避けようとして僅かな距離・時間において急な車線変更を繰り返し、その挙げ句に縁石に衝突し、第1現場でA運転の自転車に衝突し、第2現場で松永真菜運転の自転車に衝突した。そして、前記第2の1のとおり、この間、被告人車両の速度は基本的に上昇傾向にあり(内山鑑定では、計測した区間以外の走行速度は明らかになっていないので、内山鑑定だけでは上昇し続けていたとは認められない。)、最終的には時速約96キロメートルに達している。車載カメラ映像を見ても、この間、被告人車両が減速した様子は一切認められない。
(2) 現場走行実験
ア 現場走行実験の内容
警視庁交通部交通捜査課に所属する警察官である寛隆司は、本件における被告人車両の異常の有無や走行状況等を鑑定している。寛警察官は、この鑑定に当たり、令和元年6月8日、東池袋交差点から第2現場までの間を、被告人車両と同型の自動車(以下「実験車両」という。)を自ら運転して走行実験を行った。その具体的な内容は、寛警察官が実験車両を運転して東池袋交差点を時速約60キロメートルで左折し、アクセルを50ないし60パーセント程度の強さで踏み込んで加速することによって、スキール音がした場所付近(縁石衝突場所の手前)を時速約70キロメートルで通過し、その後、アクセルを全開にして走行したところ、第1現場付近で時速約89キロメートルになり、第2現場付近で時速101キロメートルになったというものである(なお、いずれの速度も、実験車両の速度メーターの表示によるものである。)。
イ 現場走行実験結果の信用性
寛警察官は、交通事故解析研究員や警察庁指定広域技能指導官等の資格を有し、交通事故原因の解析のための各種研修を受講しているほか、多数の交通事故に関する鑑定作業に従事した経験を有するなど、交通事故原因の解析に関する高度の知識・技能を習得しているものと認められる。このような寛警察官による現場走行実験の内容は、その前提条件の設定等の実験手法を含めて合理的なもので信用できる。確かに、弁護人が指摘するように、第2通行帯を走行し続けながら東池袋交差点を左折した点、第1通行帯に車線変更をして実験車両を縁石に接近させたが、衝突まではさせなかった点、その後に第1通行帯と第2通行帯をまたがるように走行した点で本件事故時の被告人車両の走行状況とは違いがあるものの、その違いは大きなものとはいえず、前記各速度の測定結果は一定の合理性を有するものといえる。
ウ 内山鑑定との整合性
その上で、速度メーターによる数値は、実際の速度よりも時速数キロメートル程度高めに表示される設定になっていること(トヨタ自動車株式会社の技術系の職員でお客様関連部に勤務するXの証言。Xの経歴・経験等からすると、X証言の信用性に問題は見当たらない。)をも踏まえれば、第1現場付近及び第2現場付近での実験車両の各速度は、内山鑑定による被告人車両の走行速度とおおむね整合しているとともに、速度の上昇状況も整合しているといえる。
(3) 小括
内山鑑定によれば、東池袋交差点で左折を開始した後の被告人車両の走行速度が基本的に上昇傾向にあったこと、内山鑑定の内容と整合する寬警察官による現場走行実験において、寛警察官は東池袋交差点を左折してからアクセルペダルを踏み続け、特に縁石に衝突した地点付近からは最大限まで踏み込んだ状態であったこと、本件事故直前の被告人車両のエンジン音の変化や車体の姿勢(ノーズアップ状態)等の事情を総合すれば、被告人車両は、東池袋交差点を左折してから第2現場に至るまでの間、一貫して加速され続けていたものと認められる。
3 被告人車両のブレーキランプが点灯していなかったこと
被告人車両に追い越された自動二輪車や普通乗用自動車を運転していたa、b及びcは、いずれも被告人車両のブレーキランプは点灯していなかったと証言する。前記3名は、それぞれに被告人車両の走行状況を不審に感じ、被告人車両の動静を意識的に目撃していたもので、その証言の信用性を疑う事情は認められないから、前記3名の各証言はいずれも信用できる。そうすると、被告人車両のブレーキランプは、東池袋交差点を左折してから第2現場に至るまでの間、点灯していなかったと認められる。
また、被告人車両のブレーキランプは、本件事故の約13分前に自宅を出発する時点では点灯していた上(前記第1の2)、本件事故から5日後の平成31年4月24日に、寛警察官が寛鑑定の一環として被告人車両の機能検査をした際、ブレーキペダルを操作すると点灯することが確認されている(なお、寛警察官による機能検査の内容の信用性についても特段の問題は見当たらない。)。
4 被告人車両の作動時フリーズデータ
(1) 被告人車両の作動時フリーズデータの概要
寛警察官が、前記3記載の機能検査を実施した際、故障記録が保存されているスキッドコントロールコンピュータ等を取り外して同型車に付け替えた上、故障診断装置によってデータを読み出したところ、11個の故障コードと3個のフリーズフレームデータ(車両の走行の重要部分において故障、異常又は特定の動作が検知された際の車両の各センサの状態・データを記録するもの)が得られた。
同フリーズフレームデータのうち、作動時フリーズデータ(以下「本件作動時フリーズデータ」という。)は、「VSC」との記載があることから、被告人車両に装着されたS-VSCが作動した時点のデータであると考えられる。
(2) 本件作動時フリーズデータが記録された時点
本件作動時フリーズデータがいつの時点で記録されたかは、それ自体から一義的にできないが、「フリーズ後からのIGON数」の項目が「0」になっていることからすると、同データに係るS-VSCが作動した後に改めて被告人車両のイグニッションスイッチがオンにされることはなかったと認められる。被告人車両は本件事故によりイグニッションスイッチが入らない状態となったから(前記第1の6)、本件作動時フリーズデータは、本件事故より前にS-VSCが最後に作動した時点のものと考えられる。そして、被告人車両が東池袋交差点の左折を終え、眼前に迫って来た先行自動車を避けようとして第2通行帯から第1通行帯に車線変更した頃に、S-VSCの作動を知らせる電子音が車内に鳴動していたこと(前記第1の4(4))、その後に改めてS-VSCが作動した形跡がないことなどからすると、本件作動時フリーズデータは、前記のとおり被告人車両が先行自動車を避けようとして第2通行帯から第1通行帯に車線変更した頃に記録されたものと考えられる。
(3) 本件作動時フリーズデータの内容
本件作動時フリーズデータの内容をみると、「ストップスイッチ」の項目が「OFF」となっているところ、これは被告人車両のブレーキランプのスイッチが入っていなかったことを表している。また、「マスター圧センサ」の項目(単位は「V(ボルト))が「0.43」となっているところ、これはブレーキペダルが踏まれておらず待機状態にあったことを表している。他方、「アクセル開度」の項目(単位は「deg」。アクセルが開いている度合いを意味する。)が「125.0」となっているところ、125が最大値であることから、アクセルペダルが最大限まで踏み込まれていたことを表している。なお、弁護人は、本件作動時フリーズデータは、これを記録する車載コンピュータがその旨の信号を受信したことを示すにすぎず、アクセルセンサ等が誤作動した可能性は排斥されないと主張するが、後述するとおり、弁護人が指摘するような可能性をうかがわせる事情は証拠上一切認められない。
以上によれば、本件作動時フリーズデータは、被告人車両が東池袋交差点を左折し終えて先行自動車を避けようとして車線変更した頃(前記第1の4(4))、被告人車両のプレーキペダルが踏まれていなかった一方で、アクセルペタルが最大限まで踏まれた状態であったことを示すものといえる。
第3 被告人の運転状況等に関する検討
1 被告人車両の走行状況等から推認される被告人の運転状況等
前記第1及び第2で認定した被告人車両の走行状況等を基に、被告人の運転状況等を検討すると、自動車の運転者は、ペダルを操作するに際して、通常、アクセルとブレーキペダルをいずれも右足で踏んで操作し、これらを同時に踏み込むことはなく、本件事故時の被告人も同様であったと認められる(被告人自身も公判廷でそのように供述している。)。そうすると、被告人が被告人車両を運転中にペダルを踏んだとすれば、アクセルペダルとブレーキペダルのどちらか一方だけを右足で踏んだものと認められる。
その上で検討すると、前記第2の1及び2のとおり、被告人車両は、東池袋交差点で左折を開始した頃から第2現場に至るまでの間、加速され続けていたことが認められるところ、車両は、通常、アクセルペダルを踏むことによって加速されるから、被告人車両が一貫して加速され続けていたということは、被告人が本件事故時にアクセルペダルを踏み続けていたこと(すなわち、ブレーキペダルを踏んでいなかったこと)を推認させる。そして、寛警察官の現場走行実験結果等によれば、遅くとも縁石に衝突した以降は、被告人がアクセルペダルを最大限まで踏み込み続けていたことが推認される。
また、前記第2の3のとおり、本件事故の前後で被告人車両のブレーキランプが正常に作動していることから、同ブレーキランプは、本件事故の際も故障しておらず、ブレーキペダルを操作すれば、正常に点灯したものと認められる。そうすると、被告人車両のブレーキランプが本件事故の際に点灯していなかったことは、被告人がブレーキペダルを踏んでいなかったことを推認させる。
さらに、前記第2の4の本件作動時フリーズデータから認められる被告人車両の状態は、本件事故直前の時点で被告人がアクセルペダルを最大限まで踏み込んでいた一方で、ブレーキペダルを踏んでいなかったことを示しており、前記の各推認を客観的に補強するものといえる。
以上の事実を総合すれば、被告人は、東池袋交差点で左折を開始した頃に、アクセルペダルを踏み込み、縁石との衝突から第1現場、更に第2現場に至るまでの間はアクセルペダルを最大限まで踏み込み続けていた一方で、この間、ブレーキペダルを踏んでいなかったものと推認される。
2 前記1の推認に関する弁護人の主張について
(1) この点に関し、弁護人は、被告人車両の走行状況等からすると、被告人において、アクセルペダルとブレーキペダルを踏み間違える機序や状況がなかったと主張する。
自動車運転者が交差点を左折する場合、左折を開始する前にブレーキペダルを踏んで減速するのが通常であるところ、被告人も、東池袋交差点に至るまでの間は、安定した速度のまま直進していたもので、東池袋交差点を左折するに際して、同じようにブレーキペダルを踏んで減速しようとしたものと考えられる。
ところが、実際には、前記第1の4(2)ないし(4)のとおり、被告人車両は、東池袋交差点で左折を開始してから、時速約60キロメートルという高速度で左折しながら車線変更をしたばかりか、先行各車両に接近する事態が連続的に発生したにもかかわらず、減速することなく車線変更を繰り返すことによって先行各車両との衝突を避けている。このように、前記の左折を開始して以降、被告人車両が異常な走行状態に陥っていることからすると、被告人は、東池袋交差点で左折を開始するに当たって、減速するためにブレーキペダルを踏もうとしたが、ブレーキペダルとアクセルペダルを踏み間違え、そのために被告人車両が加速して先行各車両に接近する事態が発生したものの、自らの踏み間違いに気付かないままアクセルペダルを踏み続けて被告人車両を加速させ続け、本件事故を発生させたものと考えられる。
(2) また、弁護人は、加速の開始から衝突までの約10秒もの間、踏み間違いに気付かないままアクセルペダルを踏み続けるのは不自然であると主張する。
しかし、前述したとおり、東池袋交差点で左折を開始してから第2現場に至るまでの約10秒の間に、被告人は、眼前に迫って来る複数の先行車両との衝突を、車線変更を繰り返すことで何とか避けたが、その直後に縁石に衝突し、その僅か2秒後に第1現場でA運転の自転車と衝突し、それから僅か3秒後に第2現場で松永真菜運転の自転車と衝突したものである。このように、この約10秒の間に事態はめまぐるしく展開しているのであるから、被告人がパニック状態に陥り(被告人自身も公判廷においてそのように供述している。)、自らの踏み間違いに気付かないままアクセルペダルを踏み続けるということは十分にあり得るというべきである。
3 小括
以上の検討の結果、特段の事情がなければ、被告人は、東池袋交差点で左折を開始した頃に、ブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み込み、左折を終えた後も、自らの踏み間違いに気付かないままアクセルペダルを踏み続け、さらに、縁石との衝突から第1現場、更に第2現場に至るまでの間はアクセルペダルを最大限まで踏み込み続けて被告人車両を加速させ続け、本件事故を発生させたものと認められる。
第4 弁護人の主張等について
1 被告人車両に異常が発生した可能性があるか
弁護人は、前記第3の認定を妨げる事情として、被告人車両に異常が発生した可能性について主張するので、更に検討する。
(1) 本件事故の前後において被告人車両のアクセルやブレーキ等に異常が認められないこと
ア被告人車両の本件事故直前までの状況
被告人車両は、被告人が平成20年10月に購入して以降、販売店で定期点検等がされており、本件事故に近い時期では、平成30年9月2日に12か月点検が、平成31年3月15日に簡易な点検がされたが、これらの検査のいずれにおいても、アクセルやブレーキ等の機能的な異常は見つからなかった。
また、被告人の息子は、平成31年2月中旬頃と同年3月23日頃、被告人車両を自ら運転し、また、被告人が運転する被告人車両に同乗したが、この際、アクセルやブレーキの異常は確認されず、被告人からアクセルやブレーキに異常があるとの話もなかった。
さらに、本件事故当日の被告人による被告人車両の走行状況をみても、少なくとも東池袋交差点で左折を開始するまでは、特段の異常はなく、その時々の道路状況に従った運転操作に基づく通常の走行がされていた。
イ 被告人車両の本件事故後の状況
寛警察官は、前記のとおり、寛鑑定の一環として、本件事故から5日後の平成31年4月24日、被告人車両の機能検査を実施したが、以下のとおり、被告人車両のアクセルやブレーキ等に特段の異常は見られなかった。
アクセルペダルやブレーキペダルについては、それ自体に損傷はなく、その取り付け状態や動作の具合にも異常はなかった。
アクセルセンサやスロットルセンサについては、被告人車両のアクセルペダル(アクセルセンサ)とエンジンスロットルボデー(スロットルセンサ)を同型車に取り付けた上、各センサのメインとサブの2系統について、アクセルペダルを踏み込まない状態と最大限まで踏み込んだ状態でそれぞれ電圧検査を実施したところ、異常は認められなかった。
被告人車両は、本件事故によりアクチュエータ(ポンプ)の配管に破損が生じ、破損部からブレーキフルード(ブレーキオイル)が漏れていたほか、前輪のタイヤが回転しない状態になっていたので、ブレーキフルードを補充し、タイヤが回転する状態にするなどした上で、ブレーキペダルを踏み込んだところ、前輪の制動力が確認された。また、後輪については本件事故によりリレーボックスが大破して電源が入らなかったことから、アクチュエータが作動せず、油圧が発生しない状態となっていたためたため、前輪の油圧を後輪にバイパスするなどした上で、タイヤを回転さ せてブレーキペダルを踏み込んだところ、後輪の制動力が確認された。
さらに、寛警察官が、前記機能検査時に、被告人車両のアクセルペダル(アクセルセンサ)、エンジンスロットルボデー(スロットルセンサ)、スキッドコントログ (ブレーキ系統)を同型車に取り付けた上で、その走行検査をしたところ、アクセルペダル及びブレーキペダルの各動作に異常は見られなかった。
なお、前記第2の3のとおり、ブレーキランプは、前記機能検査時に、ブレーキペダルを操作すると点灯することが確認されている。
ウ 故障コード
前記第2の4 (1)のとおり、寛警察官は、前記機能検査時に、被告人車両のスキッドコントロールコンピュータ等を取り外して同型車に付け替えた上で、故障診断装置によってデータを読み出し、11個の故障コードを得たが、これらはいずれも本件事故によるものや付け替えによるもの等と認められ、本件事故前にアクセルやブレーキ等に故障があったことを疑わせる記録はなかった。
エ その他
被告人車両に装着されているS-VSCはブレーキシステムに異常がある場合には作動しないところ、本件では、本件事故直前(被告人車両が先行自動車との衝突を避けようとして第2通行帯から第1通行帯に車線変更した頃)にS-VSCが作動していることから(前記第1の4(4))、被告人車両のブレーキシステムには、その時点でも異常はなかったと認められる。
オ 小括
以上のとおり、被告人車両のアクセルやブレーキ等については、本件事故の前後において、異常は認められず、故障をうかがわせる事情は一切認められない。
(2) 被告人車両の運転制御システムに異常が発生した可能性
ア 被告人車両における加速等の仕組み
(ア) 被告人車両は、動力源としてガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせて走行するハイブリッド車であるところ、車両のアクセルペダルを踏み込むと、アクセルセンサの中で電圧の変化が起き、これが電気信号となってハイブリッドコンピュータ内の制御CPUに伝達され、そこからエンジンコントロールコンピュータ(エンジン側のコンピュータ)内のエンジン制御CPUとパワーコントロールユニット(電気モーター側のコンピュータ)内のモータ制御CPUに指示が伝達されるの指示に基づいてエンジンやモーターの回転数が上昇して車両が加速する。なお、指示どおりにエンジンやモーターが回転しているかについては、エンジンやモーターに設置されているセンサからエンジン制御CPUやモータ制御CPUに、更にそれらからハイブリッドコントロールコンピュータ内の制御CPUに順次情報が還元されて、監視がされている。
(イ) 仮に加速等に関与する各種センサに異常が生じた場合、これらのセンサにはメインとサブという特性の異なる独立した2系統があり、両センサの相関性を監視することによって異常が検知される。異常が検知されると、フェイルセーフ機能により、通電をカットし又は制限して、極めて低速でしか走行できない状態にするなどし、車両の暴走を防ぐ仕組みになっている。
(ウ) 同じハイブリッドコントロールコンピュータ内にある制御CPUと監視CPUとの間で相互に監視し合い、また、エンジン制御CPU及びモータ制御CPUについては、ハイブリッドコントロールコンピュータ内の制御CPUがそれぞれを監視しており、仮に加速等に関与する各種制御CPUに異常が生じた場合でも、前記 (イ)と同様のフェイルセーフ機能により、車両の暴走を防ぐ仕組みになっている。
イ 被告人車両における制動等の仕組み
(ア) 被告人車両には、加速等に関するハイブリッドコントロールコンピュータ等のほかに、制動に関するスキッドコントロールコンピュータ等があるところ、両者は全く別の仕組みのものであり、相互に干渉しない構造になっている。
(イ) 被告人車両には、油圧式ブレーキがある上、ブレーキペダルを踏んた力を油圧に変換するときに制動力を強くする倍力装置も搭載されており、エンジンがかかっているときにはこれが作動する。これに加えて、被告人車両には、走行中に、電子制御により、走行のために回転している電気モーターを発電機として用い、その回転抵抗によって減速させる回生ブレーキ等が作動しない場合でも、油圧式ブレーキは、踏んだ力の分だけ作動し、少なくとも前輪の制動は最後まで利くようになっている(なお、寛警察官による前記機能検査において、被告人車両は、配管が破損し、ブレーキフルードが漏れていたが、本件作動時フリーズデータ(前記第2の4)によれば、本件事故直前のS-VSC作動時においても被告人車両にブレーキフルードが入っていたと認められることや被告人車両のブレーキフルードの漏れは被告人車両の最終停止地点にのみ見られたことからすると、本件事故前に、被告人車両には相当量のブレーキフルードが入っていたと認められ、その制動力に特段の問題はなかったものといえる。)。
ウ 検討
前記ア及びイを踏まえると、アクセル等のセンサの誤作動により被告人車両が暴走し続けたとするならば、特性の異なる独立した2系統のセンサのそれぞれが同時に誤作動を起こした上で、両者の相関性が一定期間維持されたことになるが、そのような事態が発生することは稀有と考えられる。
また、仮にハイブリッドコントロールコンピュータ内の制御CPU等の誤作動に上り被告人車両が暴走し続けたとするならば、当該コンピュータのCPUが誤作動を起こしたのみならず、これを監視している別のコンピュータのCPUも同時に誤作動を起こして異常が検知できなかったことになるが、そのような事態が発生することもまた稀有と考えられる。
さらに、アクセル系統とブレーキ系統は別の仕組みであって相互に干渉しない構造になっていることから、仮にアクセル系統にセンサやコンピュータの誤作動があったとしても、ブレーキ系統にはその影響は及ばないと考えられる。したがって、被告人が実際にブレーキペダルを踏み続けていたならば、ブレーキが作動して被告人車両を減速させたはずである。また、電源が失われるなどして倍力装置や回生ブレーキが作動しない状況であったとしても、少なくともブレーキペダルを踏んだ分だけ油圧式ブレーキが作動し、前輪を制動して被告人車両を減速させたはずである。
しかるに、被告人車両の走行状況等(前記第1の4及び5、第2の1及び2)をみても、被告人車両が減速した様子は一切認められない。また、被告人車両のブレーランプは、本件事故の際に点灯していなかった(前記第2の3)。
そうすると、被告人車両の異常により暴走したとするならば、被告人車両にはアクセル系統の異常のみならず、別系統のブレーキ系統にも同時に異常が生じていたばかりか、本件事故後に制動力が確認されている油圧式ブレーキが本件事故の際に一時的に作動しないという異常が生じ、更には故障が認められないブレーキランプまで一時的に点灯しないという異常が生じていたことになるが、このような多種多様な異常が偶然重なることは極めて稀有な事態と考えられる。
以上の検討によれば、弁護人が主張するような異常が発生することは、極めて稀有な事態であって、通常は考え難いというべきである。
(3) 小括
前記(1)のとおり、本件事故の直前及びその後において、被告人車両に異常は認められず、故障をうかがわせる事情も一切認められない。また、前記(2)のとおり、被告人車両の運転制御システムに異常が発生した可能性は、車両の仕組み・構造等からして考え難い。以上の検討を踏まえれば、本件において、被告人車両に異常が発生して暴走した具体的・現実的な可能性は認められない。
弁護人は、電子装置の不具合は再現可能性がないから、被告人車両に異常が確認されなかったとしても、異常が発生した可能性を否定するものではないと主張する。しかしながら、電子装置の不具合は再現可能性がないという前提自体が自明のものとはいえない上、被告人車両に何らかの突発的な異常が生じ、これによって被告人車両が加速して暴走し、被告人がブレーキペダルを踏んでも暴走が止められなかったとの弁護人が主張するような異常は、多数の電子装置において同時に不具合が生じなければならないが、それら多数の不具合の痕跡が全く記録されず、いずれも再現可能性がないという事態もまた極めて稀有であって考え難く、この点に関する弁護人の主張は採用できない。
2 被告人が本件事故時ブレーキペダルを踏んでいたか
弁護人は、被告人の供述等を根拠に、東池袋交差点に進入する前に、被告人は右足をアクセルペダルからブレーキペダルに移動させてブレーキ操作をした旨主張するので、更に検討する。
(1) 被告人の供述について
この点に関し、被告人は、「東池袋交差点を左折した後、第1通行帯に車線変更したが、アクセルペダルを踏んでいないのにエンジンが異常に高速回転して加速し、ブレーキペダルを踏んだが、ますます加速した。第1現場の交差点を過ぎた直後、アクセルペダルを調べようと思い、座ったままの姿勢でちょっと視線を落として、一瞬アクセルペダルを目視したが、床に張り付いていた。その後もなおブレーキを踏み込んでいたが、車は止まらなかった。」などと述べ、弁護人の主張に沿う供述をしている。
しかし、被告人車両のブレーキランプが本件事故の際に点灯していなかったことは前述したとおりである。車載カメラ映像等の関係証拠によれば、東池袋交差点で左折を開始して以降、被告人車両が減速した様子は一切認められない。その他にも、被告人が供述する運転状況が車載カメラ映像と複数の点で齟齬しているように、被告人の運転状況に関する供述内容は、全般的に客観的事実と整合していない。また、被告人の運転姿勢等も併せ考えると、第1現場から第2現場に至る僅か約3秒の間に体勢を変えるなどしてアクセルペダルを目視すること自体が相当困難であったと考えられる上、その時点で被告人は、前記第3の2(2)のとおり、めまぐるしく展開する想定外の事態にひどく狼狽してパニック状態に陥っていたと認められ、被告人が述べるような冷静な確認ができたかは相当に疑わしい。したがって、被告人の前記供述は、ブレーキペダルを踏んでいたとする点を含め、全体として信用できない。
(2) 被告人車両のフリーズフレームデータについて
故障診断装置により読み出された故障コード(前記第2の4(1)、第4の1(1)ウ) のうちC1314に係るフリーズフレームデータをみると、「アクセル開度」の項目が「0」、「マスタ圧センサ変化量」の項目(単位は「MPa/s」)が「39」となっており、これらの数値によれば、被告人車両のアクセルペダルは踏み込まれておらず、ブレーキペダルが強く踏み込まれた状態にあったかのようであり、人がブレーキペダルを操作していたとの弁護人の主張を裏付けるようにも思われる。
しかしながら、このフリーズフレームデータは、「メインリレー2ショート」の故障に係るデータとされていること等から、被告人車両が前記塵芥車に衝突して被告人車両の左前部が大破し、リレーブロックが損傷した時点で記録されたものと考えられる。そうすると、この際の大きな衝撃により不正確な数値が記録されたものと考えられ、実際にも、前記マスタ圧センサ変化量の数値は通常では出ないほど大きな数値であるというのであるから、このデータが被告人車両の走行状況を正確に記録しているものとは認められない。
したがって、このフリーズフレームデータを踏まえても、被告人が本件事故時にアクセルペダルを踏んでおらずブレーキペダルを踏んでいたとの疑いは生じない。
(3) 小括
以上のとおり、この点に関する弁護人の主張は根拠がなく、採用できない。
第5 結論
以上の次第で、被告人は、東池袋交差点で左折を開始した頃に、ブレーキペダルを踏もうとして間違えてアクセルペダルを踏み込み、左折を終えて護国寺方面に向かって進行するに当たっても、自らの踏み間違いに気付かないままアクセルペダルを踏み続け、縁石との衝突から第1現場、更に第2現場に至るまでの間はアクセルペダルを最大限まで踏み込み続けて被告人車両を加速させ続け、本件事故を発生させたものと認められる。弁護人の主張や被告人の供述等を検討しても、この認定は何ら左右されない。
よって、判示のとおり認定した。
【量刑の理由】
1 被告人は、アクセルとブレーキを的確に操作して進行するという自動車運転上の注意義務を怠り、ブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み込み、そのままアクセルペダルを踏み続けて進行した過失により、本件事故を発生させた。アクセルとブレーキを的確に操作することは、自動車の運転者に対し、その年齢にかかわらず等しく求められる最も基本的な注意義務の一つであるところ、被告人は、約10秒間にもわたってブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み続けたのである。めまぐるしく展開する想定外の事態に狼狽していたという面があったにせよ、踏み間違いに気付かないまま自車を加速させ続けた被告人の過失は重大である。 他方、被害者らに特に落ち度は認められず、本件事故は、被告人の一方的な過失によるものである。
2 本件事故により松永真菜と松永莉子の母子二人の尊い命が失われた。本件事故の際に二人が感じたであろう驚愕や恐怖等の精神的苦痛と身体的苦痛は我々の想像を絶するものであったと思われる。二人は、本件事故により突如として将来への希望や期待を断たれ、愛する家族と永遠に別れなければならなかったものであり、その無念は察するに余りある。
遺族である松永拓也は、愛する妻と娘を同時に失い、同じく上原義教も、娘と孫を同時に失ったもので、その悲しみは非常に深く、その喪失感はいまだに全く埋められていない。松永真菜のきょうだいや松永莉子の父方の祖父母も同様である。そして、後述のとおり、被告人が本件事故に真摯に向き合っていないこともあり、遺族らは一様に被告人に対する峻烈な処罰感情を有している。
また、本件事故により9名が傷害を負っているところ、そのうち妻を除く5名は、長期の入院や治療を要する重傷を負っており、今回の負傷によって従前の日常生活が送れなくなった者もいる。このように傷害を負った被害者らの被った身体的・精神的苦痛も大きく、同被害者らの多くが被告人に対する厳しい処罰感情を有している。
以上によれば、本件事故全体の結果は甚大というほかない。
3 被告人は、当公判廷において、被害者らについて申し訳なく思っているなどと述べて謝罪の言葉を口にしているが、他方で、アクセルとブレーキを踏み間遅た記憶は全くないと述べ、自らの過失を否定する態度に終始しているのであるから、被告人が本件事故に真摯に向き合い、自分の過失に対する深い反省の念を有しているとはいえない。
4 他方、被告人に有利に考慮すべき事情として、被告人車両の対人無制限の任意保険により、傷害を負った被害者のうち5名については、既に損害賠償が完了し、その余の被害者や遺族についても、いずれ適正額の損害賠償がなされると見込まれること、被告人が本件事故により運転免許の取消処分を受けていること、被告人が現在90歳と高齢であり、体調も万全ではないことなどが認められる。検察官は、加齢に伴う被告人の認知能力、判断能力及び運動能力の衰えが本件事故の原因であるところ、被告人はその衰えを認識していたにもかかわらず、自己の利便性を優先して自動車の運転を続けたものであるから、被告人が高齢であることを過度に斟酌すべきではないと主張するが、誰しもが不測の事態に直面して狼狽してしまうことはあり得るところ、認知能力等の衰えゆえに被告人が踏み間違いに気付かなかったのか否かについては証拠上明らかとはいえない。
なお、弁護人は、本件事故が広く報道され、被告人が社会から厳しい非難にさらされたばかりか、脅迫状が届けられたり自宅付近でいわゆる街宣活動がされたりするなどの苛烈な社会的制裁が加えられ、外出ができなくなるなどの社会生活上の不利益が生じている旨主張する。本件事故の重大さやその社会的影響等に鑑みれば、被告人が厳しい社会的非難を受けること自体はやむを得ない面もあるが、過度の社会的制裁が加えられている点は、本件に伴って被告人が受けた不利益として被告人に有利に考慮すべき事情の一つといえる。もっとも、考慮する程度は自ずと限定されるといわざるを得ない。
5 以上の検討を総合すると、被告人の過失は悪質ではあるものの、酒気帯び運転等の悪質な運転行為に伴うものではないことから、禁錮刑をもって処断するのが相当である。そして、過失の重大さや結果の甚大さといった本件の犯情の重さからすれば、被告人に有利に考慮すべき事情を踏まえても、被告人については長期の実刑は免れないというべきである。そこで、当裁判所は、以上の諸事情のほか、この種事案の量刑傾向を踏まえた上で、主文の刑を量定した。
(求刑禁錮7年)