東京オリンピック・パラリンピックの大会組織委員会は22日、開閉会式のショーディレクターを務める小林賢太郎氏を解任したと発表した。理由は「歴史上の痛ましい事実を揶揄するセリフをコントで使用していた」過去が判明したからで、その「痛ましい事実」とはユダヤ人の大量虐殺である。
私はユダヤ系アメリカ人として、今回の東京オリンピック組織委員会の措置は妥当だと考える。大量虐殺はいかなる状況においても冗談では済まされない。ただ、この問題は日本人にとっては遠い話かもしれず、私の憤りを理解するのは難しいのかもしれないと考えた。
ユダヤ系アメリカ人である私がこの問題をどう教えられ、どんな経験をしてきたかをまずは伝えたい。
ホロコーストと、広島、そして長崎
ホロコースト。1933年から45年の間に約600万人のユダヤ人が殺害された。この人類の歴史上でも前例のない、もっとも残虐な出来事は私の祖父や父の時代の「現実」であった。
言葉で表現しようもない経験をした祖父がアメリカに渡って生活を築き、父たちを育てた。私はアメリカ国民として戦争とは無縁な暮らしをしていたが、自宅にかかってきた差別的ないたずら電話を偶然受けてしまう等の経験から「この問題はまだ終わっていない」と感じた。
ユダヤ教ではバル・ミツバ(Bar Mitzvah)と呼ばれる儀式(成人式)を経て、男子13歳、女子は12歳で物事の善悪を認識し、責任のある行動を義務付けられる。
この準備のために8歳から毎週日曜日にユダヤ教の寺院で勉強をするのだが、そこで学ぶことの一つに「差別」への深い理解がある。
当時、先生は私にこう教えた。「あなたの生きるアメリカは安全で、友人はあなたを差別しないというが本当だろうか。もし、国の方針が急に変わり、ある人種の人を匿ったら家族もすべて殺すといわれたとする。その状況下で、友人が家族を犠牲にしてまであなたを匿ってくれるか?」。
私はこの問いに胸を張って「友人は匿ってくれる」と答えられなかった。命や家族に関わる問題と葛藤を、差別する側もされる側も抱えるという非常に深くて重い問題に、幼かった私の胸はとても痛んだ。
学生時代の日本への留学を経て、私が日本企業の代理を務めるようになって約30年が経った。日本への愛情は誰にも負けないと思っているが、原爆が投下された広島や長崎に行くことをアメリカ人として躊躇したことがある。罪のない人々が犠牲となった出来事を、私が直接関与したことではなくても、その問題の大きさを理解しなければならないと考えたからだ。
日本人のあなたは原爆投下を重く受け止めているだろう。広島や長崎の問題を、ホロコーストに置き換えた時、あなたはどんな気持ちになるだろうか。日本人にとって原爆がそうであるように、私にとってホロコーストはより大きな意味を持つものなのである。
求められる世界基準の人権意識
法律の観点からこの問題を考えた時、小林賢太郎氏個人は確かに自由に発言する権利はある。
しかし、世界的なイベントである以上、契約が交わされているだろう。例えば、アメリカの法律を適用した契約書であれば、モラル条項が盛り込まれる。これは契約者の行為が企業の印象を悪くした場合に、契約解除できるというものだ。今回の人権を尊重しない行為は、それにあたるという解釈もできるのではないだろうか。東京オリンピックにおけるアーティスト等の契約にはその条項が盛り込まれていたのだろうか。
何より理解して欲しいのは、「なぜモラル条項が契約書に盛り込まれているか」。言うまでもなく、それが「重要」であり、モラルに反するようなことがあってはならないからである。それを明文化することが契約書の意義なのだ。
確かに経験のないことや身近でないことは、その重みや当事者の気持ちを十分に思いやることが難しいのかもしれない。
アメリカでも同様の問題が発生している。最近、共和党の下院議員がポッドキャストの番組で、下院本会議場でのマスク着用の義務化について、ナチス時代のユダヤ人差別迫害の政策にたとえて「ユダヤ人に黄色い星を着用させたナチス・ドイツと同じだ」と発言した。
また、アメリカの女子レスリングチームのカイロプラクターは、東京オリンピック選手村における新型コロナウイルス感染症への対応をナチス・ドイツと比較して投稿し、大きな批判を受け謝罪した。
歴史や苦しみを軽視した言葉の使用や発言は断じて許しがたいことである。
しかし、私はその人を生涯罰し続けるのはどうかと思う。人は日々成長するからだ。批判を浴びたその発言や行為の重大さを知り、猛省し、自らを律する機会は重要である。そして、そのように成長した者を罰し続けることが、終局、どんな意味をもたらすかも考えておきたい。
インターネットや移動手段の発展により世界がシームレスに、瞬時につながる現代。様々な背景を持つ人と関わるようになり、何事においても、これまで以上に配慮が必要である。
いま私たちに求められているのは世界基準の人権意識ではないだろうか。
(文:ライアン・ゴールドスティン 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)