介護離職を2度経験しながらも、私が地元大分で挑戦する3つのライフワーク

「父が倒れた」打ち合わせ中に入った一本の電話。家族に介護が必要になった時、あなたは仕事を続けられるだろうか。「自分のやりたいことを諦めなくていい。何かを捨てなくていい」と話す林弘美さんの今に至るまでの道のりとは。
Open Image Modal
筆者提供
林弘美さん

家族に介護が必要になった時、あなたは仕事を続けられるだろうか。

多くの人がいつか向き合う可能性がある「介護」。    

私が父の介護を始めてもう10年近い。今は、施設へ入院する段階になったので、生活の中で仕事は7割、介護は3割というバランス。以前は父の体調が芳しくなく、いわゆる「介護離職」を経験した。生活の全てを介護に費やしていた時期もある。 

2回の介護離職を経て、偶然「リモートワーク」という働き方を知った。仕事を探す中でオンラインアウトソーシングサービスの「HELP YOU」と出会ったのだ。会社は東京都にあるが、フルリモートを前提に事業を運営しているので、私は大分県に住んだまま、仕事ができている。勤務地に合わせて引っ越しをすることなく、地元の大分で父の介護をしながら、森林セラピストと音楽のプロデュースという2つの副業も行っている。

私は父が大好きだ。

仕事も大好きだ。

今関わっている全ての人が大好きだ。

自分の心のバランスを取るためにも、「介護」以外に「自分でいられる」ライフワークをつくってきた。

 

今の私をつくったデザイナーとの出会い 

現在はオンラインアウトソーシングサービスのメンバーの育成担当というポジションで働いているが、今の私をつくり上げたのはファッションの世界だ。

地元大分の公立芸術短大を卒業し、24歳の時に結婚。夫と市内にあった築100年の2階建ての蔵をリノベーションして、ヨーロッパブランドのインポートセレクトショップと美容室をつくり、10年間ほど経営していた。

その時取り扱った商品が、その後、人生をかけて向き合いたいと思ったパリのブランド「メゾン マルタン マルジェラ」(以下、マルジェラ)だ。マルジェラのジェネラルマネージャーに半年間Faxを送り続けた末、パリのショールームで話をする機会をいただき、日本初のブランド取り扱い店となることができた。この時の感動は今でも忘れられない。

夫とはその後、離婚。地元の大分だと共通の知り合いも多く、気分転換をしたいと思っていた。誰も自分のことを知らない、新しい街で再スタートをきりたかった。「ファッションの世界で生きていく」というのは決めていたので、その想いと勢いで東京へ踏み出した。

上京後はとあるハイブランドの店長を務めていたが、偶然、マルジェラの青山店がオープンすることになり、店長として働かないかと声をかけてもらい、引き受けることに。またマルジェラに携われること、大好きなブランドで働けることが嬉しくて、仕事に全力で向き合い駆け抜けた。

Open Image Modal
筆者提供
セレクトショップ時代。パリコレクションの合間に、エッフェル塔をバックに。夜間照明が当時のもの(約30年前)

それからの10年間は、マルジェラとともに歩んだ10年だった。青山店で1年ほど店長を務めた後、本社に異動し、小売りの店舗を担当するリテールマネージャー、各地の専門店を訪ねるホールセールマネージャー、最後は人事マネージャーへ。現場で想いのこもった商品を直接届けるところから、ブランドの根幹まで関わることができた。パリと東京を行き来する生活は、忙しかったが、マルジェラへの情熱があったからこそ乗り越えることができた。

振り返ると、自分の人生で惹かれるのはいつもアートやファッションの世界。1着の服や、1つの作品など1対1の出会いで心を動かされる不思議な世界に私はずっと魅了されてきたのだ。

 

「父が倒れた」打ち合わせ中に入った一本の電話

そんななか、ふと足を止める出来事があった。2011年に起きた東日本大震災だ。「悲しい」「辛い」など、そんなシンプルな言葉で表すことができない色んな感情が自分の中に渦巻いた。

 ある日、打ち合わせをしている際に父が倒れたと母から連絡があった。飛行機で東京と大分を行き来する生活になり、介護をするためにUターンを決意。

22年間も関わってきた大好きなマルジェラ。「やりきった」と感じられるタイミングだったこともあって仕事を辞めることができた。49歳の時だった。自分の人生の中で間違いなくここがターニングポイントだ。

「これからのキャリアや、やりたい仕事はどうしようか」と考える余裕はなく慌ててUターンをした。失業保険をもらいながら、仕事についての計画は大分でゆっくり考えるつもりで。

何より「両親のそばにいたい」という想いが強かった。自分が成長し大人になるにつれて、両親も少しずつ確実に変わってしまう。時の流れは誰も逆らえない。

あとから思い返せば、東日本大震災を経て、これからどうしていけば良いのか向き合うきっかけをどこかで求めていたのかもしれない。 

Open Image Modal
筆者提供
メゾン時代。パリでのメゾン展示会の合間に、ホッと一息

 

「この仕事がしたい」より介護を優先

いざ仕事を探し始めると、自宅から通えて、人事や採用など経験が生かせる仕事を重点的に見るようになっていた。「この仕事がしたい」ではなく、介護を優先していた。

そこで出会ったのが人事マネージャーの経験を元に知的障害の方の就職を支援する仕事だったが、震災後の1年間限定の仕事だった。その後、高校の先輩から紹介してもらった能楽堂の仕事に就き、6年間続けることができた。この頃には父の通院が始まっていたので、仕事はフルタイムではなく7割程度、介護が3割ぐらいの時間の使い方をしていた。

しかし、大分での生活に慣れてきたころ父が決定的に体調を崩してしまい、2回目の介護離職をすることに。

トイレなど日常的な生活介助や通院のため、私が父にほぼ張り付きの必要もあったので、介護中心の生活を送っていた。失業保険を受給しながら、半年が過ぎた。

仕事を離れたこの半年間は、家族のそばにいながら、じっくりと今後を考える機会にすることができた。介護離職の経験があったため、2回目は焦ることなく、冷静に納得できる転職活動をしようと思えたのだ。

「好きな仕事をして、独り立ちするにはどうしたら良いんだろう」というのが私の人生のテーマであり、悩みだった。

そんな風に職探しをしている時、県が開催していた在宅ワーカー育成授業を受講することに。無料ライティングの講座を受けるなかで、講師や同級生からリモートワークが重点的に載っている求人サイトを教えてもらった。

そこで、オンラインアウトソーシングサービス「HELP YOU」と出会った。「働き続ける」をテーマに職探しをしていたので、リモートワークという自分の中では新しい概念に、いわゆる「ビビっ!」と心が動かされた。

なかでも「未来を自分で選択できる社会をつくる」という運営会社のビジョンは響いた。ファッションの世界へ飛び込んだあの頃の自分が背中を押してくれるかのようだった。

ジョインが決まり、配属面談をする中で、マネージャーポジションへのお声がけをいただいた。通常の会社のようにリモートワークにもマネージャーがいて、組織が成り立っていることが新鮮で、とてもワクワクした。自分の経験も活かせる仕事と巡り合うことができた。

「対面で会わないまま業務なんてできるんだろうか」という不安はすぐに払拭された。可視化された業務内容やタスク、チャットメッセージでのやり取り、一人ひとりが自立している人ばかりの集まりだったので、顧客のために良い仕事をしようという熱意をオンラインでも感じられた。 

 

森林セラピスト、音楽プロデュース、2つの副業と両立 

今の仕事は、森林セラピストと音楽のプロデュースという副業とも両立できることも魅力だった。 

Uターンで自然に囲まれた大分に戻った時に木々が生み出す癒しの力に勇気づけられ、多くの人にこの魅力を感じてもらいたいと森林セラピーのガイドをはじめた。音楽のプロデュースは、能楽堂での仕事で出会ったアーティストたちのマネジメントを続けたかったため不定期で活動している。ファッションと同じくらい音楽にも人の心を動かす力があると私は思っている。

この頃は父の介護もケアマネ―ジャーのアドバイスで訪問介護やデイサービスの利用、泊まりのサービス利用、医療連携の介護施設入所、長期入院と徐々に段階を踏んで変化していた。

私個人の感想としては、家族だけで介護をするのは難しいと思っている。仕事の有無に関わらず、家族だけでの介護は精神的にも、肉体的にも厳しい。公的機関の制度を利用することで、父や家族が無理のない生活を少しずつ築くことができた。「一人で何とかしなきゃ」ではなく、誰かに頼ることで自分が背負っているものを分かち合えたら良いのではないだろうか。 

 

働きたい人すべてが働ける世の中に

 私は自分の心のバランスを取るためにも、「介護」以外に「自分でいられる」ライフワークをつくってきた。ここまでの道は寄り道ではなく、自分で一つ一つ選択してきた確かな道のりだ。

ファッション、仕事、介護、副業、複業、Uターン…いくつものキーワードが私を形づくっている。そして50代で地方からリモートワークをしている自分の生き方はきっと少し稀有な存在。これからは私のこの生き方をロールモデルとして確立していきたい。それは、自分自身の存在で誰かの背中を押してあげて、勇気づけたいからだ。一歩踏み出す力を私から届けたい。

私の夢は働きたい人すべてが働けるように、定年のない世界を創ること。私自身、まだまだこれからだと思っている。10年、いや、もっとだ。

今まさに「介護」と「仕事」で悩んでいる方へ伝えたい。情報を探しに行けば出会いがある。

自分のやりたいこと、目指したいものを諦めなくて良い。何かを捨てなくていい。 

初めてマルジェラに出会った頃の私のように、生涯かけて向き合いたいものに全力で向き合う権利は誰にでもある。

介護と仕事を両立できる世界はある。あなたが思っている常識は、もしかしたら10年前の固定観念かもしれない。まずは一歩踏み出すことが大事だ。行動することで、自分の人生の景色は変わる。私もまだ、夢の途中だ。 

(文:林弘美 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

Open Image Modal
筆者提供
林弘美さん