6月に閉会した今国会での性的マイノリティに関する法整備の議論は、「国会審議日程を十分に取れない」などの理由により、法案成立まで辿り着かなかった。
しかし、私の所属するLGBT法連合会をはじめ、当事者、国際人権団体、アスリート関係の団体、企業、経済団体や労働組合、法曹関係者や法学者など多くの人びとが声をあげ、差別のない社会、そのための法案の成立に声をあげた。
加えて、NYタイムズ、ワシントンポストをはじめ国際メディアがその実態をとりあげ、国際オリンピック委員会(IOC)は、6月のプライド月間に合わせて、性的指向・性自認(SOGI)の差別禁止と東京オリ・パラに繰り返し言及する異例の声明を発表した 。
こうした世論に後押しされ、国会議員の大多数が差別をなくすための法整備に賛成したと聞く。焦点となった自民党内においても、賛成する声が多数だったと聞いている。
ここまで幅広く、各分野から差別をなくすべきとの「声」が広まったのは、日本の性的マイノリティの運動の中でも歴史的なことである。法案こそ成立しなかったが、運動の広がりと盛り上がりという意味で一つの達成と言ってもよいだろう。
「政局」化は新規参入者を招き、駆け引きを激化
一方で、こうした声の広がりは、この課題を国会の後半のメインイシューに押し上げ、「政局」化につながった。与野党幹部がこの法案の成り行きについて繰り返し言及し、報道機関も社会部のみならず政治部が扱うようになっていた。ジェンダー平等の課題や、超党派の議員立法が、政局に絡む与野党の主要なテーマとなることはあまり例がないように思う。
ただこの政局化は、多くの新規参入者を法案の議論に招き、かつ、政治的駆け引きを激しいものにしてしまった。
ここで、一般論としての政治的駆け引きの一面を、「桃」の値段の交渉に例えてみたい。
AさんはBさんに桃を売ろうとしており、両者で交渉をした。一旦双方の妥協で500円で桃が売られることになった。しかし、次の場面で、Bの上司であるB2さんが出てきて「私は納得できないから」と言い再度交渉。AさんとB2さんは200円で合意した。さらにB2さんの上司であるB3さんが出てきて「この桃は不良品だ。この間の交渉時間は無駄だったので損害額として私たちに100円払え」と主張した。
ありえない話だと思うかもしれない。しかしそれは、この例えが「桃」という「物」の値段であり、それを「お金」という分かりやすい価値で表しているからではないだろうか。
「物」の値段には「相場」があり、そうそう500円のものが200円、ましてマイナス100円になったりはしない。しかし、政治的駆け引きにおいて、扱われるのは「物」ではなく、目に見えにくい「施策」である。お金で価値が測れないことも多い。相場を提示しても、「それはあなたの価値観」と一蹴されることもある。それは国際的な相場でも例外ではない。
また、今回の法案の議論では、施策の内容よりも、駆け引き自体、その立場やメンツも含めて前傾化するという特徴が表れていたように思う。差別発言が報じられた議員に対して、「(議員を)守るぞ」 と、内容とは別のところで態度を硬化させていた様子は既報のとおりである。
このような人びとは、ほとんどが最終盤で議論に加わった「新規参入者」だった。その字の如く、多くが性的マイノリティの施策を議論してきた人ではなかった。彼らにとっては、価値の測りづらい施策の中でも、特に「性的マイノリティ」については、その是非がわかりにくかったようである。
たしかに、性的指向や性自認の定義自体、長年の議論の蓄積の上に立つ繊細なものである。また、当事者の困難も、教育、雇用、社会保障、行政サービス、民間事業など多岐に渡り、対応する施策も極めて広範である。蓄積された議論や実態、データなどの専門的知見が十分把握されぬまま、実態とかけ離れた、事実誤認のデマや、政治的プロパガンダのような言説も多く飛び交った。
結果、当初からこのテーマを議論していた人びとからおよそ考えられないような言説が「真っ当なこと」であるかのように議論され、報じられ、更に駆け引きを激化させてはいなかっただろうか。この点、実際の法案の論点とともに確認していきたい。
差別は許されないとの「認識」と差別「禁止」の差
今回の超党派議連における与野党の合意案 は、「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものであるという認識の下」、理解増進の施策に向けた、行政の体制整備を行う内容であったと認識している。
なぜなら、法案で義務となっている規定は、年一回の白書の公表(第八条)、国の基本計画の策定(第九条)、調査研究(第十条)、各省庁の官僚の会議体の設置(第十四条)のみであったからだ(「理解増進法案」といっても、啓発その他の規定はすべて努力義務規定であり、例えば男女雇用機会均等法におけるセクハラの啓発措置の義務ですら実施割合が2割を切っていることを考えると 、その実施割合は1割に満たないものになると予測される)。
私たちは「差別的取扱いの禁止」規定を求めており、正直に言って合意案は不十分な内容に思えた。ただ、合意案以前の自民案の取りまとめに際しては、トランス嫌悪的な発言がなされていたとの報道もあり 、法案がバッシングにつながるのではないかとの懸念が持たれていたが、合意案では基本理念に「差別は許されないとの認識」と前提が入ったことで、その懸念は解消され、一歩前進と評価した 。
しかし、合意案の慎重派から出てきた議論は「神社で同性カップルが挙式しようとするのを拒否すると訴訟問題になるのでは」「行き過ぎた運動や訴訟につながるのではないか」「男が女湯に入ってくる」 といった、法案の内容からはおよそかけ離れたものであった。
特に最初の二つは、強いてあるとすれば合意案に入らなかった「差別的取扱い禁止」規定への懸念と言うべきものだろう(もちろん、差別禁止規定が直ちにそのような事態を招くというのもあまりに極端な議論である)。妥協の結果、差別へ直接的に対応できず、啓発すらも努力義務に過ぎない法案が、どうしてこのような事態を引き起こすというのか。これが議論され、また報じられること自体、理解に苦しむところであった。
併せて一部報道では、合意案を修正すべき 、自民党の原案に戻すべきなどの声 も聞かれた。これはまさに、妥協により定めた「相場」が、値切られ、マイナス、すなわちバッシングの懸念があるところまで後退するという話につながるものであろう。途中「もはや内容の問題ではなくなっている」とぼやく与党議員がいたが、昨日の現実的な落とし所が次の日には過激になるという、政治の世界の駆け引きが表れていた。
また、法案への慎重派からはマイノリティにのみ権利を認めることの是非が指摘されていた。しかしこの法案の目的(第一条)と基本理念(第三条)には「性的マイノリティへの差別が許されないとの認識」ではなく、「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されない」と規定されている。そのため、異性愛やシスジェンダー、すなわち「多数派」に対する「差別」も対象に入っていることは付記しておきたい。
「性自認」をめぐる専門家の見解と整合性
既報の通り、当初の自民案では「性同一性」の文言が使われていた。ここには大きく二つの懸念があった。一つは「Xジェンダー」「ノンバイナリー」などが排除されるのではという懸念。もう一つは、「性自認」という言葉を使うと、「朝は男、昼は女、夜は男」 になるので「性同一性」という言葉を使うべし、という事実誤認に基づく解釈に対する懸念であった。
前者は、議論の過程でアイデンティティは固定化しているべきという考え方が見受けられ、「明確な男女いずれかのアイデンティティ」をもたないXジェンダーや、先日カミングアウトした宇多田ヒカルさんのような「ノンバイナリー」の排除につながるのではとの懸念が、一部有識者や議員、法連合会の内部議論でも出ていた。しかし合意案の定義は、必ずしも排除につながるものではないと確認されている。
一方の後者。性自認という訳語の採用が「自分が今日から女性だと言えば、女湯に入れるようになる」事態を招くというのがナンセンスな議論なのは既報の通りである 。
その上で私は、法連合会内部の議論や調査と並行して、第一人者である針間克己氏にヒアリングを行った。ヒアリングで針間氏から得られたのは、主に①訳語で原語の意味は変わらない(そういった議論はそもそもおかしい)、②「性同一性」は心と身体の一致という間違った定義に誤解されやすいので、「性自認」という語が広く使われるようになった、③この分野の古典であるジョン・マネーの『性の署名』の訳書(1979年)で、既に「性自認」が訳語として使われていた、という3点の知見だった。
このヒアリング以外にも、医学の教科書 、助産師の教科書 、公認心理師の試験出題基準 、社会学の事典 、全国の自治体条例、どれも「性自認」が使われていたことを確認した。特に条例で「性同一性」の定義規定や「性同一性」の語を使った条例は一つもなかった 。またGID学会理事長の中塚氏 も既報のとおり、訳語は「性自認」が妥当としていた。
この蓄積を無視して、性自認とはまるで本人のきまぐれで変えられるものとの認識で「性同一性」を法案に採用し、その認識を立法者の意思として国会答弁される、解釈通達が出される、あるいは解説書などに書かれた場合、学問的な見地や各種教科書に混乱をもたらすだけでなく、各法制度との整合が問われることになるだろう。
性自認を理由とする差別を禁止する条例は約30自治体ほどあるが、それらは、きまぐれで性自認が変わる人への差別を禁止している条例と解釈されることになるのだろうか。また「パワーハラスメント防止法」も「性自認」に関する侮辱的言動等をハラスメントに挙げている。SOGIハラやアウティングの就業規則上の禁止や懲戒規定も、きまぐれで性自認は変わるという解釈に基づくのだろうか。大きな懸念であった。
また、政治的駆け引きが続けば、もし性同一性で「良し」としても、次の段階では性同一性障害のみを対象とする、そのまた次の段階ではバックラッシュにつながる、このような事態も懸念された。
こうしたことから法連合会は、各分野の蓄積や整合を踏まえ、性自認という言葉を採用するべきと改めて各党に提言し、結果、与野党の合意案は「性自認」にまとまった(合意案の定義にも課題はある)。
しかし、合意案の次の段階の議論では、上記の議論の積み上げや経緯が前提とされず、「性自認」を巡り、あらぬ俗説が飛び交ったのは既報のとおりである。
以上、二つの論点から見てきた。今後改めて法案が議論される際には、この点について、報道も含めてよくよく顧みられることを強く望む。
住民基本台帳を基にした無作為抽出の全国調査では、合意案よりもさらに踏み込んだ、差別を禁止する法律に約9割が賛成している 。冒頭にあげた「声」の広まりは、このような世論に裏付けられている。
2021年6月のG7サミットでも、性的マイノリティに対する差別に対処することが共同声明として出され 、国際公約になった。今回法案を成立させなかったことも含め、国際社会の眼が厳しくなることは言うまでもない。一刻も早い法整備に向けて、論点を共有し、取り組みを進めていきたい。
(文:神谷悠一 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)